じじぃの「科学・地球_218_データサイエンスが解く邪馬台国・4つの項目データからの結論」

卑弥呼の墓は福岡県朝倉市?平原遺跡が注目されない理由

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ViQvKPQCJPU

鏡、鉄鏃、絹、勾玉のデータ比較

(yamataikokunokai.com HPより)

第389回 邪馬台国の会 鏡の歴史にみられる二大激変

邪馬台国北部九州存在説・二つの証明法]
ベイズ統計学による確率計算
福岡県に邪馬台国があった確率は99.8%になる。下のベイズ統計学参照。
https://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku389.htm

朝日新書 データサイエンスが解く邪馬台国―北部九州説はゆるがない

安本美典(著)
数理統計学の手法でデータを読めば、明解!卑弥呼のみやこは99.9%福岡県に。
はじめに
第1章 データサイエンスとの出合い―探究60年の旅
第2章 邪馬台国問題をデータサイエンスで解く―そんなに、むずかしい問題なのか?

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『データサイエンスが解く邪馬台国―北部九州説はゆるがない』

安本美典/著 朝日新書 2021年発行

第2章 邪馬台国問題をデータサイエンスで解く―そんなに、むずかしい問題なのか? より

ベイズ統計学の適用

邪馬台国は、畿内か九州か」という問題であれば、データにもとづいて、邪馬台国が、「畿内にあった確率」と「九州にあった確率」とを、計算して、比較すればよい。機械的(メカニカル)に答えを求めればよい。
これが、データサイエンスの考え方である。そして、データサイエンスは、すでに、このような問題を解く方法を提供している。
邪馬台国問題」は、碁や将棋にくらべれば、はるかに簡単な問題のようにみえる。
これについては、拙著『卑弥呼は99.9%福岡県にあったーベイズの新統計学による確率計算の衝撃』(勉誠出版、2015年)の中で、方法、データ、結論を、ややくわしく述べた。この章では、その要点のみをまず記す。
どうか、読者の方々は、自説に不都合なものは、すべて無視(スルー)する、というのではなく、検討をしてみて欲しい。
邪馬台国問題は、日本古代史全体の中で考えるべき問題である。その問題を、「考古学の中のある特定の立場」、あるいは、「鏡の問題」という狭い範囲に限って、その中で解決できるはずのものときめて発言する。それが、「専門家」のすることであるとし、それ以外は、「専門外の人の発言」として無視する。このような方法は、すでに述べたように、失敗をくりかえしてきた方法である。
簡単なところから、話をはじめる。

寺沢薫氏の庄内式土器時代の鏡のデータ

まず、「鏡」についてのデータをとりあげる。
魏志倭人伝』には、魏の皇帝が、倭王卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えたことを記している。
魏志倭人伝』の正始元年(240)の条にも、倭王「鏡」を賜ったことを記している。
邪馬台国」がどこにあっかはわからない。しかし、倭国に鏡がもたらされたことはたしかである。
そして、わが国では、そのころのものとみられる鏡が多数出土している。
たとえば、「邪馬台国畿内説」の立場にたつ、桜井市の纒向(まきむく)学研究センター所長の考古学者、寺沢薫氏は、そのころの土器の時代(庄内式土器の時代)に出土した鏡として、表5のようなデータを示しておられる。

奥野正男氏、小山田宏一氏、樋口隆康氏の鏡のデータ

じつは、庄内期のころの出土の鍵については、寺沢薫氏以外に、次のような方々も、同様の調査を行なっておられる。
(a) 奥野正男氏(邪馬台国九州説)
(b) 小山田宏一氏(邪馬台国畿内説)
(c) 樋口隆康氏(邪馬台国畿内説)
いま、この(a)(b)(c)の3氏について、原データの紹介ははぶき、各県別の出土数グラフだけを示せば、図7、図8、図9のようになる。
(c)の樋口隆康氏のデータは、鏡の調査総数がすくないので、数字の信頼度が、やや劣る。図6~図9をみれば、次のようなことがわかる。
(1) いずれの図においても、福岡県からの出土数がもっとも多い。
(2) 福岡県と奈良県とを比較してみる。いずれのデータによっても、奈良県からのこの時期の鏡の出土数は、福岡県の10分の1以下である。
このような共通性がみられることは、このようなデータが、科学に必要な「再現性」(追試験、追調査をしても、同じような結果がえられる性質)をもつことを示しているといえよう。「再現性」については、あとで述べる。
以下では、4氏のうち、福岡県に比しての、奈良県の出土率のもっとも大きな、寺沢薫氏のデータで、話を進めることにしよう。つまり、表6のデータ[鏡の出土数は4氏とも圧倒的に福岡県が多い]には、全体的にみて、「邪馬台国=福岡県所在説」に有利なようにみえるものが多いので、「邪馬台国=福岡県所在説」にとって、もっとも不利になるようなデータで話を進めるということである。また、私には、「畿内説」の方の作成したデータを用いれば、そこからみちびきだされる結論に、「畿内説」の方も反対しにくいであろうという気持ちも、若干ある。

鉄の鏃

さらに、『魏志倭人伝』に、倭人は「鉄鏃(てつぞく)」すなわち鉄の鏃(やじり)を用いると記されている。
「鉄の鏃」について、「鏡」の場合と同じようなグラフを作れば、図10のようになる。
図10をみれば、福岡県と奈良県との鉄の鏃の出土数は、次のようになっている。
福岡県・・・398個
奈良県・・・ 4個
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次に、「鉄の鏃」「鏡」のデータに、『魏志倭人伝』に記されている「絹」の出土地数、「勾玉」の出土数のデータを加える。さらに、全都道府県を対象にし、その都道府県に、邪馬台国が存在した確率を、それぞれ求める。すると、次のページの表8(画像参照)の結論のようになる。

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朝倉市(福岡県)、倉敷市岡山県)、桜井市奈良県)の3つをくらべれば……

いま、福岡県の朝倉市岡山県倉敷市奈良県桜井市の3つの市をとりあげ、出土頻度の多い「鉄の武器」をとりあげ、その出土状況をみてみる。すると、表10のようになる(福岡県の朝倉市は、別著『邪馬台国は福岡県朝倉市にあった!!』[勉誠出版、2019年]」で述べたところであるが、私が、卑弥呼の宮殿があったであろうと、考える場所である)。
表10にみられるように、「鉄の武器」の出土数は、福岡県の朝倉市のばあい、35例に達する。
岡山県倉敷市でも、13例になる。
ところが、奈良県桜井市のばあい、『弥生時代鉄器総覧』に記されているものは、1例もない。この地には、とくに「鉄の武器」を使用していた伝統があったようにはみえない。