じじぃの「スペイン風邪・アメリカ起源説・中国起源説?人類はパンデミックをどう生き延びたか」

Spanish Flu: a warning from history

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3x1aLAw_xkY

Remembering the Spanish Flu

Remembering the Spanish Flu and WW1, Episode 310

NOVEMBER 22, 2020 Join Us in France Travel Podcast
It is more likely that the Spanish Flu started with a farmer in the US who then went to serve on a US army base. As American soldiers were shipped out to help end WW1 they spread the virus all over the world. The first place these soldiers landed was in Bordeaux and it spread from there in France.
https://joinusinfrance.com/episode/remembering-the-spanish-flu-and-ww1/

『人類は「パンデミック」をどう生き延びたか』

島崎晋/著 青春文庫 2020年発行

史上最悪のパンデミックスペイン風邪」の思わぬ被害者と経路――1918~19年・インフルエンザ・中国 より

ヨーロッパで「大戦」といえば、第一次世界大戦を指すのが一般的である。勝者か敗者かに関係なく、ヨーロッパ全体に甚大な被害をもたらし、ヨーロッパが世界の覇者を握る時代に終止符を打たせもした。
人的損害だけを見ても、大戦の死者の数は1600万人以上に及んだ。これに民間人の死者を加えれば、その合計は2倍近くになるだろう。
だが、第一次世界大戦の末期と少し時間が重なりながら、それ以上の命を奪う出来事があった。1918年から翌年にかけて世界中を席巻した「スペイン風邪」と名付けられたパンデミックがそれである。全世界での死者数は4000万人とも5000万人ともいわれ、日本だけでも38万人が命を落としている。
    ・
ヨーロッパ戦場で蔓延していたスペイン風邪は各国兵士の凱旋に伴い、世界中に拡散した。呼び名のスペイン風邪だが、スペイン発祥というわけではなく、戦時下の検閲で中立国であったスペインでの流行ばかりが報道されたことによっている。
実際の発源地は特定されておらず、当初はフランス軍塹壕(ざんごう)と目されていた。汚物と死体にまみれたそこなら、どんな感染症が発生してもおかしくないと考えられたからである。
だが、大戦終結から10年も経つと、アメリカ中部カンザス州のフアンストン基地とする説が有力となった。同州内で起きていたインフルエンザの流行が1918年3月にフアンストン基地に及び、歩兵58人が死亡との報告者が野戦病院さながらの写真とともに残されており、それらが根拠とされたのでる。
以来、アメリカ起源説が有力視されてきたわけだが、カナダの歴史学者マーク・ハンフリーズの新説が2020年3月15日付けの『ナショナルジオグラフィック日本版』に「スペインかぜのパンデミック中国起源説とその教訓 起源の解明は困難でも、「中国に注目せよ」と歴史家は言っていた」と題する記事の中で紹介された。

ハンフリーズの説は、後方支援のため西部戦線に送られた中国人労働者を感染源とする内容で、根拠として複数の公文書が挙げられている。

要約すると、1917年に万里の長城沿いの村々で呼吸器感染症が流行し、1日あたり数十人の死者が発生。同年末には6週間で500キロも離れたところまで広がった。翌年の報告書には、この病気をインフルエンザとする記述がある。
英仏両国は後方支援の兵士を前線に出すため、中国人労働者をその穴埋めに使おうと計画。アフリカ南まわりだと時間も費用もかかりすぎるため、船でカナダ西海岸のバンクーバーに運び、そこからヨーロッパへ送ることにした。
途中で検疫を実施した際、喉の痛みを訴える者がいたが、カナダ人医師はこれを「怠惰な基質」のせいとし、ひまし油を与えるにとどめた。
かくして1918年1月にイギリス南部に到着した中国人労働者はそこからフランスへと送られたが、フランス北部のノイエル=シュル=メールの病院には、呼吸器疾患により中国人労働者の数百人が死亡したとの記録が残っている。けれども、スペイン風邪がピークに達した同年秋には、逆に中国人労働者の間から症例は報告されなくなった。
ハンフリーズは以上の公文書の記録を総合して、スペイン風邪中国起源説を提示したのである。定説となるにほど遠い現状だが、ユニークな説ではある。

                • -

どうでもいい、じじぃの日記。
1918年から1920年に流行したスペイン風邪は、2,000万~5,000万人が死亡したとされている。
スペイン風邪の起源は、アメリカ中部カンザス州のフアンストン基地とする説が有力なようである。
日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国と南下政策を行うロシア帝国との間で行われた。
日露戦争後から 1920年代にかけてのアメリカの排日運動の際に、黄禍論的な議論がしばしば行われた。
スペイン風邪の起源には、中国起源説というのがあるのだそうだ。
スペイン風邪の流行する前に、アメリカでは中国人排斥法(1882年)が成立した。
スペイン風邪の流行した後に、アメリカでは日本人排斥法(1924年)が成立した。
何かパンデミックがあると、ユダヤ人が井戸に毒を入れたとか、中国人が持ち込んだとか、結びつけられてしまう。
スペイン風邪の起源に、日本起源説がないのは幸いであった。
ついでに、日本人排斥法の根拠になったのは表向きは、日露戦争で日本が南満州鉄道敷設権を獲得したことでアメリカが利益を損ねたためとなっているが、実際は白人による人種差別だったらしい。