じじぃの「科学・地球_217_データサイエンスが解く邪馬台国・ベイズ統計学」

邪馬台国―北部九州説 「吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡邪馬台国ロマンを体感する3つのコツ

弥生時代の代表的な遺跡として、歴史の教科書にも登場する「吉野ヶ里遺跡」。
今では「吉野ヶ里歴史公園」として整備され、古代の暮らしを見て、感じて、体験できるスポットになっています。ここに邪馬台国はあったの?卑弥呼はいたの? 歴史のロマンに駆り立てられ、多くの観光客が全国各地から訪れています。
https://www.tabirai.net/sightseeing/saga/tatsujin/0000033.aspx

朝日新書 データサイエンスが解く邪馬台国―北部九州説はゆるがない

安本美典(著)
数理統計学の手法でデータを読めば、明解!卑弥呼のみやこは99.9%福岡県に。
はじめに
第1章 データサイエンスとの出合い―探究60年の旅
第2章 邪馬台国問題をデータサイエンスで解く―そんなに、むずかしい問題なのか?

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『データサイエンスが解く邪馬台国―北部九州説はゆるがない』

安本美典/著 朝日新書 2021年発行

第1章 データサイエンスとの出合い―探究60年の旅 より

邪馬台国の探求へ

1965年に、井上光貞著『日本の歴史1 神話から歴史へ』(中央公論社)が出版され、67年に宮崎康平著『まぼろしの邪馬台国』(講談社)が出版され、空前の古代史ブームがおきる。
私も邪馬台国問題に興味をもち、数理文献学的立場から発言できるところがあるように思えたので、考えをまとめて、計量国語学会で、発表した。
参会された方の中に、言語学者野元菊雄氏(のち、国立国語研究所長、松陰女子学院大学教授など)がおられた。私の発表に、興味をもたれたようで、筑摩書房に紹介して下さった。
それで、私の邪馬台国関係の最初の本の『邪馬台国への道―科学の解いた古代の謎』(「グリーンベルト・シリーズ」新書、筑摩書房、1967年)が出た。
本の売れ行きは好調だったのであるが、批判もうけたので、少しムキになって、邪馬台国問題に、のめりこんでしまうこととなった。
国語学の分野では、計量国語学会があり、言語学の分野では、東京大学服部四郎教授によるアメリカの言語学者、スワディッシュの説く「言語年代学」の紹介などがあり、あるていど、計量的研究や統計学的な研究の伝統が形成されていた。これに対し、歴史学や考古学の分野では、そのような伝統がなく、私のようなアプローチには、抵抗があったのかもしれない。
それで、外国の数理的な歴史研究を紹介した『整理歴史学』(筑摩書房、1970年)を出した。

「科学的な証明」とはなにか

邪馬台国九州説」も、1つの仮説であり、「邪馬台国畿内説」も、1つの仮説である。したがってそれらの仮説が正しいことを主張するためには、「根拠(エビデンス)」を示し、「証明」が行われなければならない。
ではどのような議論が、「根拠」をもつものであり、「証明」のできた議論といえるのか。
このことを考えるのに、大変参考になる本が、最近刊行されている。
京都大学大学院文学研究科准教授の大塚淳氏の手になる『統計学を科学する』(名古屋大学出版会、2020年)である。
3000円をこえる本であるが、私の買い求めたものでは、刊行後1ヵ月と少しで3刷となっている。この種の本を求める人の多いことがわかる。
この本の序章で、大塚氏は述べる。
「この本は何をめざしているのか。その目論見(もくろみ)を一言で表すとしたら、『データサイエンスのための哲学入門、かつ哲学者のためのデータサイエンス入門』である。ここで『データサイエンス』とは、機械学習研究のような特定の学問分野を指すのではなく、データに基づいて推論や判断を行う科学的/実践的活動全般を意図している。」
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邪馬台国問題へのベイズ統計学の適用にあたっては、わが国において、ベイズ統計学の第一人者といってよい松原望氏(東京大学名誉教授、上智大学教授、聖学院大学院教授など)に、長時間の議論検討、ご指導におつきあいいただいた。松原望氏は、次のように述べておられる。
統計学者が、『鉄の鏃(やじり)』の各県別出土データを見ると邪馬台国についての結論は出ています。畿内説を信じる人にとっては、『奈良県からも鉄の鏃が4個出ているじゃないか』と言いたい気持ちはわかります。しかし、そういう考え方は、科学的かつ客観的にデータを分析する方法ではありません。私たちは、確率的な考え方で日常生活をしています。
 たとえば、雨が降る確率が『0.05%未満』なのに、長靴を履き、雨合羽をもって外出する人はいません」

「各県ごとに、弥生時代後期の遺跡から出土する『鏡』『鉄の鏃』『勾玉(まがたま)』『絹』の数を調べて、その出土する割合をかけあわせれば、県ごとに、邪馬台国が存在した可能性の確率を求めることが可能になります。その意味では、邪馬台国問題はベイズ統計学向きの問題なのです」(「邪馬台国統計学で突き止めた」『文藝春秋』2013年11月号)

『肉眼観察主義』と『属人主義』との問題点

考古学の分野で、ある見解が確かであることを「証明」する方法として、多用されているのが、「肉眼観察主義」と「属人主義」であるようにみえる。
ここで、「肉眼観察主義」は、「百聞は一見に如かず。この眼でよく見たのであるから確かである」というものである。
「属人主義」は、「専門家のA氏あるいは、私じしんの発言であるから確かである」というものである。
そして、これらを確かなものとした上で、議論は次の段階に進む。
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「旧石器捏造事件」では、何人もの「専門家」が、肉眼で、しかと見たはずなのに、インチキ物であった。
「神の手」を信じたのでは、「属人主義」が、宗教段階に近づいたことを示している。
考古学の「専門家」は、しばしば、考古学以外の人の発言を、「専門家以外の人の、余計な口出し」のようにとりあつかい、とかく無視しがちである。
しかし、「勾玉事件」のときに、それがニセ物であることを指摘したのは、ガラス工芸の専門家であった。
「旧石器捏造事件」のさいに、それがはっきりした「ニセ物」であると「証明」したのは、毎日新聞社の取材班のビデオカメラであった。
いずれも、考古学の「専門家」ではない。
それまでは、考古学の分野での自浄作用は働かず、ニセ物が、ホンモノとしてまかり通っていた。考古学の「専門家」はなにをしていたのか。
「肉眼観察主義」や「属人主義」がきわまるところ、事件がおきやすい。のっぴきならないところまでつき進むから、大事件になるのである。
それは、「肉眼観察主義」や「属人主義」は。科学の方法として、長い事件をかけて洗練され、客観化されてきたものではなく、主観的判断のはいりやすい、日常生活の経験にもとづく「素朴な経験主義」であるからである。
人間は、あやまちをおかしやすい存在であることをみとめず、みずからをモノサシにするからである。
「属人主義」は、また、データにもとづいて判断せずに、大学の先生や先輩、あるいは、その大学での伝統的見解を優先し、それにもとづいてデータを「読み取る」、または、「解釈する」という姿勢を、生みがちとなる。
他の分野では、何でもなく通る方法や論理が、考古学の分野では、なかなか通らない。
ここに大きな問題がある。
次章以下では、このようなことを『邪馬台国問題』に則して、具体的にお話ししてみたい。