じじぃの「主人公マリアとトラップ一家の激動の人生!サウンド・オブ・ミュージック」

The Sound of Music Opening Scene from The Sound of Music

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5fH2FOn1V5g

Die Trapp-Familie (full movie with English subtitles)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=N1ivtrTM7QI

THE VON TRAPP FAMILY

DID YOU KNOW? The true story of the von Trapp Family

Chemainus Theatre Festival
The film adaptation The Sound of Music was released March 2, 1965, and for many households, was the introduction to the von Trapp Family, and beloved classic songs such as “Do-Re-Mi”, “Climb Ev’ry Mountain” and “Sixteen Going on Seventeen”.
However, while The Sound of Music was based on Maria von Trapp’s book The Story of the Trapp Family Singers (published 1949), there were a number of key differences between the true story of the von Trapp family, and that of the film and Broadway (first performed 1959) adaptations.
https://chemainustheatrefestival.ca/did-you-know-the-true-story-of-the-von-trapp-family/

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

映画とはまるで異なる主人公マリアとトラップ一家の激動の人生

主人公マリアに扮したジュリー・アンドリュースの奇跡的な名演技、「エーデルワイス」「ドレミのうた」などの劇中歌、アルプスの絶景――。映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、ミュージカル映画の金字塔とも言うべき名作中の名作である。
本作が実話を基にしているのは有名だが、映画化にあたり、原作となった主人公マリア・トラップの自叙伝は大幅に脚色された。
マリアが、元オーストリア海軍将校トラップ大佐の家の住み込み家庭教師となるのは1926年、21歳のとき。それまで働いていた修道院からの紹介だった(劇中、マリアは修道女のままトラップ家にやってくるが、実際は体調を崩しての転職)。
大佐には死別した妻との間に子供が7人おり、マリアは長女に勉強を教えたり、他の子供ともハイキングやバレーボールなどで心を通わせる。特に彼女が大好きだった音楽が、トラップ家の子供たちも好きだったことで絆が深まった。やがて大佐と恋仲になり、1927年11月、25歳の年齢差を乗り越えて結婚。ちなみに映画では、大佐は厳格で気むずかしい人物に描かれているが、実際は愛情深く優しい性格だった。
映画は、マリアと子供たちとの交流、大佐との恋、ナチスが台頭するなか合唱団を結成し音楽コンクールに出る一家の姿などを描いていくが、史実とは大幅に異なる。
実際の一家は結婚7年目の1933年、大きな苦難に襲われる。
ウォール街に始まった大恐慌の影響がオーストリアにも押し寄せ、資産を預けていた銀行が倒産、無一文になってしまう。すっかり意気消沈した大佐に対し、マリアは屋敷の空いてる部屋を神学生向けの下宿として貸し出し、さらにはそれまで一家の趣味でしかなかった歌を各地で催しで披露して厳禁収入を得ようと思いつく。下宿人の中に教会音楽に精通した神父がおり、子供たちの音楽指導は彼が行ったという。
こうしてオーストリア各地を巡り始めた一家の歌声は評判を呼び、1935年にザルツブルク音楽祭に参加して見事に優勝。以降、一家はヨーロッパ全域を巡り、「トラップ室内聖歌隊」としてコンサートツァーを行うようになる(映画ではマリアと7人の連れ子で合唱団を結成しているが、実際には後にマリアが産んだ3人の子供も加わっていた)。
ようやく安定した一家の暮らしは、1938年、ナチス・ドイツオーストリアを併合したことで再び窮地に陥る。映画では、有能な軍人であった大佐がドイツ軍の招集を受けるものの、これを拒否。ここから一家の亡命劇が描かれる。
劇中でも描かれるように、大佐が招集令状を拒否したのは事実だが、亡命を決意したのはドイツ軍からヒトラーの誕生日に合唱団が歌を披露するよう命じられたのが直接の原因である。屋敷にナチスの旗を掲げることを拒み、召集も断ったとなれば、もはや国外脱出よりほかに手立てはなかったのだ。
亡命に関しても、映画のようにコンクールの途中で徒歩で逃げ出し、ぎりぎりのところでナチスの追跡をかわすといったドラマチックな脱出劇があったわけではない。ちょうど聖歌隊アメリカ公演の依頼が入っていたこともあり、普通に列車を乗り継ぎ、イタリア→スイス→フランスと移動した後、イギリスから船で渡米したのが真相だ。
一家はその後、ピザが切れるとヨーロッパに帰ってはドイツの勢力圏外で公演していたが、ナチスポーランド侵攻をみてアメリカに亡命。大手音楽事務所に所属、「トラップ・ファミリー合唱団」としてフォークソングを中心に全米各地でコンサートを行い大人気を博した。
トラップ大佐は1947年に肺がんで死亡。翌1948年に一家はようやくアメリカの市民権を取得し、1949年にマリアが家族の歴史を綴った自叙伝を発表する。
合唱団が活動を停止したのは1956年。同じ年、ドイツの映画会社がマリアの著作とそれに関する全ての権利を9千ドルで買い取る。その9年後に公開された映画を観て、マリアと子供たちは、あまりに現実とかけ離れた物語、特に夫であり父親であるトラップ大佐の人物造形に大きな落胆を覚えたという。
マリアはその後、数人の子供たちとバーモント州に「トラップ・ファミリー・ロッジ」を開き訪問者をもてなす傍ら精力的に講演活動を行い、1987年3月、82歳でこの世を去った。なお、ファミリー合唱団はいったん解散したものの2人の次男に引き継がれ、現在もその息子の子供たち、つまりマリアのひ孫の世代が世界中で公演を行っている。

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