じじぃの「人の死にざま_1611_池内・正清(アンボン事件・通訳官)」

Blood Oath ( Prisoners of the Sun, 1990 ), English 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LcgPexeOZKI
埋もれた発言 チャンネル桜
●池内正清氏
神奈川県。奏任嘱託。昭和22年9月25日ラバウルにて銃殺刑。49歳。
   遺 書
前略過去三年半に亘りアンポン攻略の軍使として又連合国俘虜収容所長の補佐役として謹直,精励日本軍の為又俘虜の為にも全力を尽し休日一日もなく尽したが不幸連合国側の邪推誤解に基き重罪の判決となったが、之は不正不公平なる判決で飽迄上告して控訴する積りである。終戦直後の濠洲軍及び其俘虜と国民一般が尚敵意に燃えて居る感情に対して国内問題として一時的に厳罰主義に出で国内の感情を柔げる対内政策が多分に含まれて居るやうだ。重刑を減刑又は解放する場合も期待せられる。人事を尽して天命を待つの外ないが自分としては戦時中戦死したと思へば諦めがつくがお前達の身の上を考へると胸の重苦しさに堪えない。
http://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=50026&page=13&genre=giron
アンボンで何が裁かれたか ウィキペディアWikipedia) より
『アンボンで何が裁かれたか』(原題:Blood Oath/Prisoners of the Sun)は、1990年制作のオーストラリア映画
太平洋戦争中の1942年にオランダ領東インド(現・インドネシア)アンボン島で起きた日本軍による連合軍捕虜虐殺事件に関する軍事裁判を描いた作品。
無名時代のラッセル・クロウが端役で出演している。
【あらすじ】
太平洋戦争終結後の1945年12月、オーストラリア陸軍法務部は、戦中にオランダ領東インド(現・インドネシア)アンボン島で起きた日本軍による連合軍捕虜虐殺事件に関する軍事裁判を開廷した。
検察官のクーパー大尉は、当時の最高司令官だった高橋中将と収容所長の池内大佐を事件の首謀者として断罪する事を求めるが、アメリカ軍の圧力により高橋中将は無罪となり、池内大佐は自決してしまう。
最終的に裁判を受ける事になったのは、上官の命令で処刑を実行した田中中尉だけとなった。クーパー大尉は彼がスケープゴートとして処刑される事になるのを承知で、苦渋の決断で求刑するのだった。

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昭和史の謎を追う 下』 秦郁彦/著 文藝春秋 1999年発行
BC級戦犯たちの落日――アンボンで何が裁かれたか (一部抜粋しています)
1991(平成3)年の4月にかけて、東京と大阪のアート・シアターで「アンボンで何が裁かれたか」(Blood Oath, 1990)という変った題の映画が上映された。
第二次大戦後のアンボン法廷におけるBC級戦犯の軍事裁判を題材にしたオーストラリア映画である。重い主題のせいか、本国でも一時は上映を危ぶまれたというが、試写会の段階から好評が伝わり、静かなブームを呼んだ。
アンボン裁判の関係者には5度も映画館へ足を運んだ人もいると聞くが、たしかにこの映画は通り一遍の通覧ではつかみきれぬ戦争犯罪の多様な側面を描き出していると感じた。
筆者も秀れた芸術作品が持つ陶酔力にひたりながら、「裁く立場と裁かれる立場」「法と現実」「人間性の祟高と邪悪」といった未解決の課題に思いをはせた。それはBC級裁判全般に共通する課題であり、アンボン裁判を素材としたこの映画は、いわば象徴的次元にまで高めたアピールではないかと思った。
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映画は1945(昭和20)年9月、アンボン島に復帰してきた豪州軍が捕虜収容所長の池内大佐(渡辺哲)らの日本兵を使役して3年半前(42年2月)日本軍がアンボン進攻作戦時に集団虐殺(ラハ事件)した豪州兵捕虜の死体を発掘させるシーンから始まる。
多数の人骨が掘り出され、頭骨が切断されたり、鎖でとぁしをしばったままのものもあったが、検事のクーパー大尉(ブライアン・ブラウン)の追及にもかかわらず、不敵なつら構えの池内は、「知らぬ存ぜぬ」で押し通して、ラハ事件の解明は行きづまった。
粗末なニッパ小屋の法廷に日本から、この地域の海軍部隊司令官だった高橋中尉(ジョージ・タケイ)が米軍法務官に伴われて飛行機でやってくるが、男爵でオックスフォード大学に4年留学した経験を持つ高橋は、巧みに尋問をはぐらかす。米軍の法務官は彼が占領政策に必要な人物だとクーパーたちに説き、高橋は無罪となって日本に帰る。
なんとか池内だけでも有罪にしようとするクーパーは、4人の豪州飛行士が処刑された事件を探り出し、追及された池内は割腹自殺をとげ、上官の命を受け日本刀で飛行士を斬首した田中日出雄中尉(塩屋俊)だけが裁かれる。クリスチャンの田中は、公正な裁判を信じて両親を原爆で失った長崎から自首してきたのだった。
いよいよ銃殺される日、田中は、彼に好意を寄せる兵士(ジェイソン・ドノバン)がさし出した目かくしの黒布を断るが、「規則だから」と言われて承知する。命令をくだした高橋が無罪となり、特権を持たない下級将校が端然として死につく姿を見たクーパーは、激しく苦悩する。
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田中とは対照的な悪役として登場する池内は、この映画では大佐の捕虜収容所長にされているが、実在の池内正清は職業軍人ではなく、捕虜収容所を担当した英語の通訳官(海軍嘱託)だった。実家が洋書輸入業で、本人も滞米経験があったが、人柄については関係者の印象が分かれる。
残酷な男ではなく、むしろ捕虜の食料調達にかけまわっていたと証言する人もいるが、生き残り捕虜の印象は悪く、とくに隊長格のウエストレー少佐が捕虜虐待の張本人と公式に報告したことが致命傷になったらしい。
通訳は日本軍と捕虜グループの接点だけに、捕虜の憎悪を一身に集めやすい。映画の池内はそうした役まわりを代表しているようだが、実在の池内は割腹ではなく、白水大佐、宮崎大尉とともに銃殺刑で死んだ。次のような辞世の句が『世紀の遺書』に収録されている。
 大君のみこと畏み我行かむ
   忍び難きを忍びて逝かむ