じじぃの「突然の病気・左目の瞼の瞬きだけで綴った奇跡の手記!潜水服は蝶の夢を見る」

Le Scaphandre et le papillon - trailer

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CecAbmELolY

How a ‘Locked-in’ Man Dictated a Bestseller Using Only One Eyelid

January 12, 2017
Trapped in a body that almost overnight became a brittle shell of its former state, unable to move due to sudden complete paralysis. Such was the fate of French writer Jean-Dominique Bauby, who managed to carry on living and creating with only the blink of an eye as his means to communicate.
https://insh.world/people/jean-dominique-bauby-and-the-real-story-behind-the-diving-bell-and-the-butterfly/

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

元『ELLE』誌編集長が20万回の瞬きで綴った奇跡の手記

2008年2月、フランスの栄誉ある映画賞、セザール賞の各部門にノミネートされた「潜水服は蝶の夢を見る」は、突然の病気で体の自由を奪われたファッション誌の編集長が、唯一動く左目の瞼(まぶた)の瞬きだけで書き上げた同名の手記を映画化した作品である。映画は随所に幻想的な映像をちりばめ、実に詩的でアートな作品に仕上がっているが、順風満帆な人生から絶望の淵に落とされた男の驚異的な行動力は、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい。
物語の主人公は1952年生まれのフランス人、ジャン=ドミニック・ボービー(通称ジャン・ドー)。新聞数紙の記者を経て、雑誌『ELLE』の編集長に就いた人物である。『ELLE』は現在、60以上の国で43の版が発行されている世界最大手のファッション誌で、その編集長ともなれば、パリ・コレクションにおいて『ヴォーグ』『マリ・クレール』の編集長と並び、彼らが会場に現われない限り、いくら時間が押していてもショーが始まらないほど影響力のある立場だ。
そのイメージどおり、ジャン・ドーは男の魅力に満ち溢れていた。流行のファッションを着こなし、スポーツカーに乗り、食と旅と文学とサッカーと音楽を愛し、気の利いたジョークを飛ばす。
プライベートでも一男一女(劇中では一男二女)に恵まれ、順風満帆を得に描いたような人生。しかし、それは彼が働き盛りの43歳のとき、あっけなく幕を閉じる。
1995年12月8日、ジャン・ドーは突如、脳出血に襲われる。北フランスの病院に運ばれたときはすでに昏睡状態で、20日間生死の境をさまよった後、目を覚ます。しかし、その体は完全に機能を失っていた。手足を動かすことはもちろん、唾を飲むことも、自力呼吸も不可能。医学的には「ロックトイン・シンドローム」と呼ばれる、脳梗塞の中でも最も重度とされる非常に珍しい症状に侵されていた。
絶望的な状態で、唯一、彼の自由が利く部位があった。左目の瞼である。容体を見守り続けていた友人たちの「僕らのことがわかった瞬きして」という言葉に、彼が左目の瞬きで応えたのだ。肉体に致命的なダメージを負いながらも、ジャン・ドーの意識と知力が完全に機能していることに周囲が気づいたのは、このときだった。
やがて、ジャン・ドーは瞬きによるコミュニケーションを身に付ける。1度の瞬きなら「イエス」、2度なら「ノー」。自分から何か発したいときは、使用頻度に応じて並べられたアルファベットを1字ずつ読み上げてもらい、該当の文字に来たとき、左目で瞬きするというものだった。この原始的ながらもジャン・ドーにとっては画期的なコミュニケーション方を作り出したのが、映画でも重要な役割を担う女性言語療法士サンドリーヌだ(劇中の役名はアンリエット)。ドアを閉めてほしい。枕を少し上げてほしい。彼女はアルファベットの一覧ボードを片手にジャン・ドーの瞬きを根気強く、かつ正確に読み取り、彼の要望に応えたという。
まもなく、ジャン・ドーは自身が置かれた状況を本にすることを思いつく。映画のとおり、それは決して悲壮な覚悟ではなく、生きるための極めて前向きな判断だった。その意に応え、出版社のロベール・ラフォン社がフリーの女性編集者であるクロード・マンディビルをジャン・ドーのもとへ派遣する。口述筆記による書き取り作業は、毎日午前11時半から3時間にわたって行なわれた。ジャン・ドーはクロードが病室を訪れる前に文章を全て完成させており、即興で作る文章は1つとしてなかったという。
計2ヵ月、20万回の瞬きを費やした聞き取り作業によって完成した本はジャン・ドーによって『潜水服と蝶々』(原題)と名付けられる。潜水服とは、閉じ込められた彼自身の身体的な不自由さの象徴。蝶々は、そんな状態の中で自由にできる想像や希望を意味していた。実際、プロローグと28の短いエッセイで構成されたその著作は、夢と愛と幻想とユーモアに溢れ、闘病記とはほど遠い内容である。
ジャン・ドーが45歳でこの世を去ったのは、本がフランスで出版されたわずか2日後、1997年3月9日のこと。死後、彼の著作は世界28ヵ国で翻訳されるベストセラーとなった。

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