じじぃの「エニグマの解読・天才数学者のあまりに哀れな末路!イミテーション・ゲーム」

THE IMITATION GAME Film Clip - Starring Benedict Cumberbatch - Breaking the Enigma Code

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SkETN-xENAM

Alan Turing “The Imitation Game,”

4年前の「AIがチューリングテスト合格」騒動は何だったのか

2018年07月26日 ITmedia
●疑惑の「チューリングテスト合格」
チューリングテストは、1950年に数学者アラン・チューリングが提唱した知能に関する実験です。チューリングについては、その生涯が「The Imitation Game」(邦題:イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密)と題して映画化されたので、ご存じの方も多いでしょう。
実験内容は人工知能学会の説明に詳しいので省きますが、要は「人間とコンピュータそれぞれの対話を通じて、どちらが人間かを見抜く実験」だと考えれば良いでしょう。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1807/26/news014.html

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 より

第二次世界大戦終結に導いた英雄 アラン・チューリングのあまりに哀れな末路

アラン・チューリング。2014年のアメリカ映画「イミテーション・ゲーム」でその名を全世界で知られることになった彼は、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツの暗号機”エニグマ”の解読に成功、連合国を勝利に導き、結果的に1千万人以上の命を救い、戦争終結を2年早めたと言われる世界の英雄である。しかし、この功績は、国家の機密事項として一切なきものとされたばかりか、戦後、チューリングは同性愛者として逮捕され、わずか41歳で自ら命を絶った。生きている間、決して世間から認められることなく絶望の中で死を選んだ天才の末路は、あまりに悲劇的である。
1912年、英ロンドンで生まれたチューリングは、幼年期から数学に人並み外れた才能を発揮。1926年、地元でも有名なパブリックスクール(私立の中等教育学校)に入る。ここで彼は親友のクリストファー・マルコスに恋をする。自分が同性愛者であることは、幼い頃から自覚していた。が、クリストファーは最終学期中の1930年、18歳で死亡する。牛結核症が原因だった。
1935年、ケンブリッジ大学を優秀な成績で卒業後、特別研究員に、1939年、第二次世界大戦が始まると、その類い稀な才能を買われ、ブレッチリー・パークにある政府暗号学校でエニグマの解読に従事。見事にミッションを果たす。このシーン、映画では、ドイツの暗号文の最後が毎回「ハイル・ヒトラー」で終わることに気づいたことが解読の突破口になったとしてドラマチックに描かれる。が、実際は「天気」という単語を何度も繰り返すエニグマの運用ミスと、チューリングが開発した”機械的弱点を突いて初期設定を逆算する装置”を組み合わせ、解読に成功したという。
政府は、この事実を機密扱いとする。
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第二次世界大戦が終ると、東西冷戦の時代が始まった。当然、暗号解読技術はトップシークレットだ。さらに、あろうことか、イギリス政府は旧植民地の英連邦の国々に「絶対に解読できない暗号作成装置」とエニグマを配っていた。チューリングの業績を公表できるはずがなかったのである。ちなみに、秘匿を強いられたのはチューリングだけではなく、ブレッチリーに努めていた全員が対象で、彼らは戦後「戦時中はどこかに逃げていた卑怯者」扱いされ、職を失った人も多数いたという。
戦後、チューリングマンチェスター大学に招かれ、数学科の助教授として教鞭を執る。が、その暮らしは決して穏やかなものではなかった。これも劇中では描かれないが、政府は、彼を危険視していた。暗号解読の天才がソ連に融解されでもしたら一大事である。チューリングは、常に監視されていた。
そして、映画の冒頭でも描かれる泥棒騒ぎが起きる。1952年1月、チューリングマンチェスターの映画館で出会った19歳の青年マレーと一夜を共にする。まもなくチューリングの自宅に泥棒が入り、彼は警察に通報。その捜査過程で、泥棒の手引きをしたマレーとチューリングが同性愛の関係にあることが発覚する。信じがたいが、当時のイギリスでは同性愛は違法だった。逮捕されたチューリングは裁判で有罪となり、入獄か、化学的去勢を条件とした保護観察かを迫られ、後者を選択。当時、性欲を抑えると考えられていた女性ホルモン注射の投与を受け入れる。
チューリングが、青酸カリが塗られたリンゴをかじって自殺するのは、それから2年後の1954年6月7日。その死は、新聞でごく小さな扱いで報じられただけだった。
2013年12月、英国政府はチューリングに”恩赦”を与え、キャメロン首相が彼の業績を讃える声明を発表した。墓に眠るチューリングがこれを知ったら何を思うのだろう。

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