じじぃの「歴史・思想_153_ホモ・デウス・他我問題」

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動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=f_6L8vl_DYs

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来 2018/9/5 ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) Amazon

世界1200万部突破の『サピエンス全史』著者が戦慄の未来を予言する! 『サピエンス全史』は私たちがどこからやってきたのかを示した。『ホモ・デウス』は私たちがどこへ向かうのかを示す。
全世界1200万部突破の『サピエンス全史』の著者が描く、衝撃の未来!
【上巻目次】
第3章 人間の輝き
チャールズ・ダーウィンを怖がるのは誰か?/証券取引所には意識がない理由/生命の方程式/実験室のラットたちの憂鬱な生活/自己意識のあるチンパンジー/賢い馬/革命万歳!/セックスとバイオレンスを超えて/意味のウェブ/夢と虚構が支配する世界

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『ホモ・デウス(上) テクノロジーとサピエンスの未来』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著、柴田裕之/訳 河出書房新社 2018年発行

人間の輝き より

生命の方程式

科学の大躍進のうち、他人にも自分と同じような心があるかどうかという、悪名高いこの「他我問題」を克服してのけたものは1つもない。これまで学者たちが思いついた最善のテストは「チューリングテスト」と呼ばれるものだが、それは社会的慣習しか検討しない。チューリングテストでは、コンピューターに心があるかどうかを判定するために、コンピューターと本物の人間を、どちらがどちらとは知らずに同時に相手にして言葉を交わす。何でも好きな質問をしたり、ゲームや議論をしたりしていていいし、なれなれしく戯れることさえしてかまわない。時間も好きなだけかけられる。それから、どちらがコンピューターでどちらが人間かを判断する。もし区別できなかったり、判断を誤ったりしたら、そのコンピューターはチューリングテストに合格し、本当に心を持っているものとして扱われるべきであるということになる。
とはいえ、もちろんそれは本物の証明とは言えない。自分のもの以外にも心があると認めるのは、社会的・法的慣習にすぎない。
チューリングテストは1950年に、コンピューター時代の創始者の一人であるイギリスの数学者アラン・チューリングが考案した。彼は同性愛者であったが、当時のイギリスでは同性愛は違法だった。1952年、チューリングは同性愛行為のかどで有罪とされ、化学的去勢処置を強制的に受けさせられた。2年後、彼は自殺した。チューリングテストは、1950年代のイギリスですべての同性愛者が日常的に受けさるをえなかったテスト、すなわち、異性愛者として世間の目を欺き通せるかというテストの焼き直しにすぎなかった。チューリングは、人が本当はどういう人間なのかは関係ないことを、自分自身の経験から知っていた。肝心なのは、他者に自分がどう思われているかだけなのだった。チューリングによれば、チューリングは将来、1950年代の同性愛者とちょうど同じようになるという。コンピューターに現実に意識があるかどうかは関係ない。肝心なのは、人々がそれについてどう思うかだけだった。

意味のウェブ

やがて月日が流れた。歴史家が見守るなか、意味のウェブがほどけ、その代わりに別のウェブが編まれる。ジョン(イングランドの騎士)の親が亡くなり、兄弟姉妹や友人もそれに続く。吟遊詩人たちによる十字軍遠征の歌に取って代わって、悲劇的な恋愛についての舞台劇が流行する。一族の城は焼け落ち再建されたときには、祖父ヘンリーの剣は跡形もなくなっている。教会の窓は冬の嵐で割れ、新しい窓にはゴドフロワ・ド・ブイヨンと地獄の罪人たちの姿は見えず、フランス王に対するイングランド王の大勝利が描かれている。地元の聖職者はローマ教皇を「我らの神聖な父」とよぶのをやめ、今や「あのローマの悪魔」と呼んでいる。近くの大学では科学者たちが古代ギリシャの文書を熟読し、死体を解剖し、閉ざされた扉の陰で、ひょっとしたら魂などというものはないのではないかと小声でささやく。
そして、さらに歳月が過ぎていく。かつて城のあった場所は、今ではショッピングセンターになっている。地元の映画館では、もう何度目になるだろうか、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』が上映されている。人気(ひとけ)のない教会では、退屈した牧師が2人の日本人旅行客を目にして大喜びする。彼がステンドグラスについて詳しく説明すると、2人は愛想笑いを浮かべながら、まったく理解できないままうなずく。外の石段ではティーンエイジャーの騒々しい一団が、iPhoneをいじくっている。彼らはYouTubeジョン・レノンの「イマジン」の新しいリミックスを観ている。「天国がないと想像してごらん」とレノンは歌う。
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歴史はこのように展開していく。人々は意味のウェブを織り成し、心の底からそれを信じるが、遅かれ早かれそのウェブはほどけ、後から振り返れば、いったいどうしてそんなことを真に受ける人がいたのか理解できなくなる。後知恵をもってすれば、天国に至ることを期待して十字軍の遠征に出るなど、愚の骨頂としか燃えない。今考えれば、冷戦は狂気の極みだ。30年前、共産主義の天国を信じていたがゆえに、核戦争による人類の破滅の危険を喜んで冒す人々がいたとは、どういうことか? そして今から100年後、民主主義と人権の価値を信じる私たちの気持ちもやはり、私たちの子孫には理解不能に思えるかもしれない。

夢と虚構が支配する世界

サピエンスが世界を支配しているのは、彼らだけが共同主観的な意味のウェブ――ただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブ――を織り成すことができるからだ。人間だけがこのウェブのおかげで、十字軍や社会主義革命や人権運動を組織することができる。
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一方、人文科学は共同主観的なものの決定的な重要性を強調する。そうしたものはホルモンやニューロンに還元することはできない。歴史的に考えるというのは、私たちの想像上の物語の中身には真の力があると認めることだ。もちろん、歴史学者は気候変動や遺伝子の変異といった客観的要因を無視するわけでなないが、人々が考え出して信じる物語をはるかに重視するのだ。北朝鮮と韓国があれほど異なるのは、ピョンヤンの人がソウルの人とは違う遺伝子を持っているからでもなければ、北のほうが寒くて山が多いからでもない。北朝鮮が、非常に異なる虚構に支配されているからだ。
いつの日か、神経生物学で飛躍的な進展が見られ、純粋に生化学的な見地から共産主義や十字軍の遠征が説明できるようになるかもしれない。とはいえ、私たちはそれには程遠い所にいる。21世紀の間に、歴史学と生物学の境界は曖昧になるだろうが、それは歴史上の出来事に生物学的な説明が見つかるからではなく、むしろ、イデオロギーの虚構がDNA鎖を書き換え、政治的関心や経済的関心が気候を再設計し、山や川から成る地理的空間がサイバースペースに取って代わられるからだろう。人間の虚構が遺伝子や電子コードに翻訳されるにつれて、共同主観的現実は客観的現実を呑み込み、生物学は歴史学と一体化する。そのため、21世紀には虚構は気まぐれな小惑星や自然選択をも凌ぎ、地球上で最も強大な力となりかねない。したがって、もし、自分たちの将来を知りたければ、ゲノムを解読したり、計算を行なったりするだけでは、とても十分とは言えない。私たちには、この世界に意味を与えている虚構を読み解くことも、絶対に必要なのだ。