じじぃの「科学・芸術_878_クロード・シャノン・チューリングとの出会い」

Claude Shannon's Perfect Secrecy

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cAt6MYoGqJ4

information theoretic security; Shannon cipher system

クロード・シャノン

ウィキペディアWikipedia) より
クロード・エルウッド・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916年4月30日 - 2001年2月24日)はアメリカ合衆国の電気工学者、数学者。20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。
情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる。
【暗号理論に関する先駆的成果】
1949年に論文「秘匿系の通信理論」を発表し、ワンタイムパッドを利用すると情報理論的に解読不可能な暗号が構成でき、情報理論的に解読不可能な暗号はワンタイムパッドの利用に限ることを数学的に証明した(現代の暗号研究で考察されている計算量的に安全な暗号ではなく、情報理論的に安全な暗号を考察している点に注意)。
シャノンはこの論文で、暗号のアルゴリズム(暗号化方法)が知られてもなお安全である暗号(ケルクホフスの原理参照)について考察しており、はじめて暗号について数学的分析を行った。

                    • -

クロード・シャノン 情報時代を発明した男』

ジミー ソニ、ロブ グッドマン/著、小坂恵理/訳 筑摩書房 2019年発行

チューリングとの出会い より

暗号技術に関するシャノンの研究からは、のちの人生に重要な影響を与える結果がほかにも生まれた。デジタル時代のもうひとりの巨人、アラン・チューリングとの出会いだ。チューリングは1942年、軍事目的の暗号化プロジェクトを視察するためにイギリス政府が企画した視察旅行の一環としてアメリカを訪れた。この時点で、彼の名声はアメリカでも定着していた。数学に関しては小学生のときから驚異的な天才で、16歳までにアインシュタインの研究の内容を理解していた。23歳のときにはケンブリッジ大学のキングスカレッジの特別研究員に選ばれ、1936年にはチューリング・マシンを思いついた。この画期的な思考実験は、現代のコンピュータを理論的に支える土台となった。
チューリングもまた暗号解読に取り組んでおり、後にこの分野では世界的に有名な人物として歴史に名を残した。アメリカにやって来たのも暗号技術がきっかけで、アメリカの暗号研究者とのあいだで人脈を作り、滞在中に軍上層部と会談し、アメリカの機械の品質と安全性を確かめることを命じられていた。そのなかにはSIGSALYも含まれていた。イギリスの指導者がヴォコーダーで暗号化された会話を受信するのであれば、システムが解読不能だというお墨付きをチューリング博士が与えなければならない。
この件については秘密厳守が徹底され、チューリングとシャノンという評判の人物が関わり、当時は戦時下だったことからすると、ふたりの知的巨人の出会いにはどうしても陰謀の謎めいた雰囲気が漂う。しかし、ふたりの交流にスパイ小説のような展開はいっさいなかった。チューリング伝を書いたアンドリュー・ホッジスによれば、シャノンとチューリングが会った場所はいたって質素なベル研究所のカフェテリアで、周囲にほかの人たちがいる環境で、毎日お茶を飲みながら話し合っていたという。チューリングはある意味、多方面にわたるシャノンのキャリアをうらやんでいた。
    ・
チューリングがイギリスに帰国したあと、ふたりは戦後にもう一度だけ会っている。1950年、シャノンが会議のためにロンドンを訪れ、そのとき時間を割いてチューリングを研究所に訪問した。それについて、シャノンはつぎのように回想している。
  マンチェスター大学チューリングを訪問した……このとき彼は、チェス指しコンピュータのプログラム開発に興味を持っていた……僕もこの問題にはかなり関心があった。実際、その頃の彼はコンピュータのプログラム開発に夢中で、2階がオフィスで、1階にコンピュータが置かれていた。当時はコンピュータは揺籃期だった。
ふたりはチューリングが書いたプログラムについて議論した。数十年後、シャノンはそのときのことを回想している。
  いま何をやっているのかと尋ねた。すると、コンピュータの内部で何が進行しているか知りたくて、コンピュータからのフィードバックを改善するという方法に取り組んでいると教えてくれた。そしてそのために、すごいコマンドを発明したという。当時は様々なコマンドの研究がさかんで、優れたコマンドの発見が大きな課題だった。
  それで、これは何のコマンドかと尋ねると、フッターにパルスを送るためのコマンドだと教えてくれた。フッターにパルスを送るといっても、ピンとこないだろうね。わかりやすく説明しよう。フッターというのは……イギリス英語で拡声器のことだよ。拡声器にパルスを送るということと、フッターにパルスを送ることは同じなんだ。
  では、このコマンドのどこがすごいか。ネットワークでループ障害が発生したときにこのコマンドを使えば、コマンドがループを巡回するたびにパルスが送られ、所要時間に応じた周波数の音とが聞こえるところだ。ループが大きくなれば、周波数はそれに応じて変化する。したがって、ループ障害が発生すればいつでも「ブー、ブー、ブー、ブー、ブー、ブー」と音が聞こえる。その音を上手に聞き取れば、ループ障害が発生しているのか、それともほかの何かが発生しているのか、状態を確認できる。以前には区別できなかったことだ。
情報時代の土台を築いたふたりの巨人は、戦後の再会を心から楽しんだ。しかしこれは、ふたりがじかに話し合う最後の機会となった。同性愛が違法とされる時代に、チューリングは「わいせつ行為」で有罪判決を受け、シャノンの訪問を受けた4年後に青酸中毒で死亡した。彼の死は自殺と断定されたが、詳しい状況は今日に至るまで謎に包まれている。