じじぃの「科学・芸術_877_クロード・シャノン・最も重要な修士論文」

The Thinking Machine (Artificial Intelligence in the 1960s)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aygSMgK3BEM

Claude Shannon pictured in May 1952.

クロード・シャノン 情報時代を発明した男』

ジミー ソニ、ロブ グッドマン/著、小坂恵理/訳 筑摩書房 2019年発行

はじめに より

クロード・エルウッド・シャノンが「情報時代のマグナカルタ」とも評される論文を発表し、その論文1本だけで情報というアイデアを世に送り出してから40年近く経過していた。ただし、彼のアイデアによって可能になった世界は、姿を現したばかりだった。今日、私たちは情報が氾濫した世界に暮らしているが、送信するすべてのeメール、鑑賞するすべてのDVDやサウンドファイル、読み込むすべてのウェブページが存在しているのは、クロード・シャノンのおかげだ。
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「おそらく20世紀で最も重要で最も有名な修士論文」と共に始まったキャリアのおかげで、シャノンはブュシュ、アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンといった思想家と出会い、共同研究する機会に恵まれた。シャノンと同じく全員が、今日の土台を築いた。シャノンは不本意ながら、アメリカの防衛機関に協力する機会も多く、第二次世界大戦の最中には暗号解読、コンピュータ制御式の砲術、さらには大西洋を横断してルーズベルトチャーチルを結ぶ電話回線などの難事業にも駆り出された。のちにシャノンはベル研究所に勤務することになる。
ここは企業の研究杯発部門として設立されたが、電話会社の一部門というより、「天才たちの活動」の拠点と見なされていた。「世間から不可能だと思われていることでも、いったんやると決めたら、ベル研究所の連中はほんとうにやってしまうんだよ」と、シャノンの同僚は言う。シャノンがそこで選んだのは「電話通信、ラジオ、テレビ、電報など、情報を伝達する一般的なシステムの気品的な性質の一部についての分析」だった。これらのシステムは数学的にはまったく別物だと思われていたが、シャノンはそれらがすべて本質的なものを共有していることを証明した。これがシャノンの成し遂げた2つ目の抽象化であり、最大の功績である。

史上最も重要で最も有名な修士論文 より

1930年代、「記号を使った計算」すなわち厳密な数理論理学と、電気回路の設計のどちらの分野にも精通している人間は、世界に一握りしか存在しなかった。これは、特に意外なことではない。シャノンの頭のなかで融合する以前には、このふたつの分野が共通点を持っているとはまず考えられなかった。論理を機械にたとえることはできても、機械が論理を実践できるわけではないと信じられていた。
ミシガンでの学生時代にシャノンは(何と哲学の講義で)、いかなる論理的陳述も方程式で表現することが可能で、数学に似たシンプルなルールでこれらの方程式を解けることを学んだ。
陳述の意味を理解していなくても、真偽を証明できる。実際、理解しようと努めないほうが悩む必要がなく、推論を自動的に進められる。このように、気まぐれな言葉を厳密な数学に変換するうえできわめて重要な役割を果たしたのが、19世紀のイギリス人天才数学者ジョージ・ブールだった。靴の修理屋だった父親には経済的な余裕ががなく、学校には16歳までしか通えなかぅたため、独学で数学を習得した。トムソンが最初の解析器を考案する少し前、ブールは1冊の本によって自らの天才ぶりを証明した。僭越にも彼は、著書に『The Laws of Thought(思考の法則)』というタイトルをつけた。そしてこの法則は、少数の基本的な演算子――AND、OR、NOT――に基づいていることを示したのである。
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これは非常に興味深い内容だったものの、ほぼ1世紀のあいだ、実用的な問題にほとんど応用されず、何世代にわたって学生には、哲学書の奇抜な発想として教えられてきた。それが、クロード・シャノンにも教えられる機会につながった。当時は、「ブーリアン」という言葉の響きが面白かった程度だと彼は語っている。しかし、100のスイッチを持つ箱の仕組みを理解しようと格闘しているとき、このルールの何かが頭の片隅に残っていた。ブュシュが解決しようとしている方程式は恐ろしく複雑だったが、そのなかで、閉と開、イエスとノー、1と0 といった、ブール代数の単純明快さはなぜか際立っていた。
1937年の夏にMITからニューヨークに向かったときにも、それは頭の片隅に残っていた。シャノン以外に、論理と回路を同時に考えるという発想に近づいている者たちがいたとすれば、ベル研究所の研究者たちだったろう。彼らは夏のインターンシップにシャノンを招いた。一時的な雇用で、臨時スタッフに割り当てられる通常業務をこなしただけだったらしく、研究所にも記録は残されていない。しかしシャノンは、数理論理学に対する深い洞察、回路設計に関する平均以上の知識、そしてこのふたつが関連しているのではないかという消えることのない疑念を研究所に持ち込んだ。つまりこれらのいっさいを、現存するなかでは最も複雑で広範な回路網を所有する電話会社の心臓部に持ち込んだのである。ネットワークの機能改善とコスト削減に数学的見地から取り組むことが、シャノンに任せられた仕事だった。
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「おそらく今世紀で最も重要で、最も有名な修士論文かもしれない」、「歴史上、最高の修士論文のひとつ」、「あらゆる時代を通じて最も重要な修士論文」、「記念碑的」といった評価を受けたものの、エンジニアの時間を節約しただけの一連のトリックは、本当にこれだけの賞賛に値するのだろうか。いずれの方法からも同じ結果が得られるのであれば、同僚が11の段階で踏んだ作業をシャノンが2段階ですませたことが、それほど重要なのだろうか。
間違いなく重要だった。しかし、シャノンの論文のなかで最も素晴らしい結果は、目に見える形で記されておらず、ほとんどは暗示されており、時間の経過と共にその重要性は明らかになった。シャノンがブールに倣って統合記号を「もしも」という条件節とみなしていることに気づくと、暗示されていることの重要性が明確になる。
1 + 1 = 1 という式は、もしも電流が並列のふたつのスイッチを通過したら電球が点くことを(あるいは継電器が「イエス」の信号を送ることを)意味する。そして 0 + 0 = 0 という式は、もしも電流が並列した2つのスイッチのいずれにも流れなければ、電球は点かないことを(あるいは継電器が「ノー」の信号を送ることを)意味する。入力情報次第で、同じスイッチからはふたつの異なる回答が提供される。これを擬人化すれば、回路が決断を下した、あるいは論理を実行したと言ってよい。回路がたくさんあれば、きわめて複雑な論理を解き明かせる。論理的な難問を解決し、前提から結論を推論する作業を、人間が鉛筆で行うよりも正確に迅速にこなしていく。そして、論理を真と偽のバイナリに分解する方法をブールが示したおかげで、バイナリで表現できるシステムであれば何でも、彼が語る論理的世界にアクセスできるようになった。「思考の法則」は、無生物の世界にも延長されたのである。