じじぃの「科学・芸術_876_クロード・シャノン・発明家の遺伝子」

Claude Shannon - Father of the Information Age

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=z2Whj_nL-x8

クロード・シャノン 情報時代を発明した男』

ジミー ソニ、ロブ グッドマン/著、小坂恵理/訳 筑摩書房 2019年発行

はじめに より

クロード・エルウッド・シャノンが「情報時代のマグナカルタ」とも評される論文を発表し、その論文1本だけで情報というアイデアを世に送り出してから40年近く経過していた。ただし、彼のアイデアによって可能になった世界は、姿を現したばかりだった。今日、私たちは情報が氾濫した世界に暮らしているが、送信するすべてのeメール、鑑賞するすべてのDVDやサウンドファイル、読み込むすべてのウェブページが存在しているのは、クロード・シャノンのおかげだ。
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「おそらく20世紀で最も重要で最も有名な修士論文」と共に始まったキャリアのおかげで、シャノンはブュシュ、アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンといった思想家と出会い、共同研究する機会に恵まれた。シャノンと同じく全員が、今日の土台を築いた。シャノンは不本意ながら、アメリカの防衛機関に協力する機会も多く、第二次世界大戦の最中には暗号解読、コンピュータ制御式の砲術、さらには大西洋を横断してルーズベルトチャーチルを結ぶ電話回線などの難事業にも駆り出された。のちにシャノンはベル研究所に勤務することになる。
ここは企業の研究杯発部門として設立されたが、電話会社の一部門というより、「天才たちの活動」の拠点と見なされていた。「世間から不可能だと思われていることでも、いったんやると決めたら、ベル研究所の連中はほんとうにやってしまうんだよ」と、シャノンの同僚は言う。シャノンがそこで選んだのは「電話通信、ラジオ、テレビ、電報など、情報を伝達する一般的なシステムの気品的な性質の一部についての分析」だった。これらのシステムは数学的にはまったく別物だと思われていたが、シャノンはそれらがすべて本質的なものを共有していることを証明した。これがシャノンの成し遂げた2つ目の抽象化であり、最大の功績である。

発明家の遺伝子 より

当時シャノンの親友だったロドニー・ハッチンズの妹、シャーリー・ハッチンズ・ギッテンは、兄とシャノンのことを振り返ってこう語っている。「ふたりはいつも何かたくらんでたわ。どれも害のないものだったけれど、すごく独創的だったの」。ある実験のことをよく覚えているという。ハッチンズ家の納屋のなかに、ふたりの少年は即席のエレベーターを取り付けた。その実験台として、最初にエレベーターに乗り込んだのがシャーリーだった。手作りにしてはよく出来ていて、シャーリーの運もあるだろうが無事に降りられた。ほかにも見事な仕掛けはたくさんあって、ハッチンズ家の裏庭にはトロリーが走り、有刺鉄線を利用した電信装置もあった。「ふたりはいつも何かしらこしらえていたわよ」とシャーリーは語る。
意外ではないが、クロードはトーマス・エジソンを崇拝した。しかも、エジソンクロード・シャノンが似通っているのは偶然ではない。ふたりには共通の先祖がいるのだ。ジョン・オグデンという清教徒の石工で、イギリスのランカシャーから海を渡ってきて、製粉所やダムの建設にたずさわった。彼は弟と一緒にマンハッタンで最初の常設の教会を建設したが、その3世紀後に、子孫のクロード・シャノンが情報時代の土台を築くことになったオフィスはそこから3キロほどしか離れていない。
マンハッタン島の南端の、フォート・アムステルダムのすぐ近くに建設された教会は、1644年の春に完成した。ゴシック様式で、木製の屋根は雨風にさらされて時間と共に青みを帯び、もっと高価なスレートで葺いたような印象を受ける。石切り場での作業から風見鶏の設置までいっさいの計画を立てたオグデンは、痩身で鷲鼻が目立ち、頑固な性格だった。発見からまもない新世界の建設に貢献した移民のひとりだ。
私たちのほとんどは、理想の人物を選ぶ条件がそれほど厳しくない。候補として考えられるたくさんの英雄のなかから、結局は自分との類似点を備えている人物を選び出す。おそらくそれは、クロードと遠縁のエジソンの場合にも当てはまるだろう。理想の人物として身内を尊敬できるのは幸運である。しかし彼はそれだけでなく、滅多にない強運の持ち主だった。