John F. Nash (A Beautiful Mind)
John F. Nash (A Beautiful Mind) Nobel Prize heads to auction ... again
October 16, 2019 NEW ATLAS
In 2016, the Nobel Prize of John Forbes Nash Junior went to auction with an official estimate of US$2.5 million to $4.0 million and even higher expectations.
The medal failed to make reserve and was passed in, cooling expectations in the Nobel prize marketplace. Now the medal is heading to auction again with a far more conservative $500,000 to $800,000 official estimate, but with an academy-award-winning movie behind the story, unofficial expectations remain high.
https://newatlas.com/collectibles/john-f-nash-nobel-prize-auction-again/
『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』
鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行
ビューティフル・マインド より
映画とはまるで違うノーベル賞受賞の天才数学者 ジョン・ナッシュの複雑怪奇な素顔
ラッセル・クロウ主演の「ビューティフル・マインド」は、精神病に侵された実在の数学者ジョン・ナッシュ(1928年生)が、献身的な妻に支えられノーベル賞を受賞するまでを描いた愛と感動の物語だ。
映画は絶賛されアカデミー賞の4部門に輝いたが、その一方で、内容と事実があまりに異なるとして様々な批判が噴出した。本物のナッシュは傲慢で冷徹な反ユダヤ主義者で、さらにはバイセクシャルだった。そんな彼の一面は劇中に一切出てこない。
大学時代のルームメイトとの友情、国防総省に依頼された極秘任務など、映画は前半、ナッシュの幻覚で占められている。本作の大きなキーワードとなる「統合失調症」。いったいなぜ、ナッシュはこの病気にかかったのか。
幼い頃から頭脳明晰で、1948年に名門プリンストン大学の博士課程に進学。ナッシュはここで、後のノーベル賞受賞の対象となる応用数学の1分野「ゲーム理論」の研究に没頭する。ナッシュが天才であることは間違いないが、そのことを本人がいちばん鼻にかけていた。他人に対しては傲慢な態度を取るのが常で、ひとたびライバルの研究員が現われると、相手に「ユダヤ小僧」と差別用語を並べた嫌からせの手紙を送りつけたこともあったという。
私生活においては、マサチューセッツ工科大学(MIT)の教員だった1953年、当時の恋人女性に子供を産ませたが、自分の教え子アリシアと付き合うために彼女を捨て、子供の扶養義務も一切放棄した。女性に奥手で純情な男として描かれる劇中のナッシュからは想像もできない冷酷ぶりだ。
その一方、彼は男性も性の対象とするバイセクシャルだった。MITの構内では恋人男性とキスを姿が毎日のように目撃され、1950年代半ばにはサンタモニカの公衆トイレで性器を出して男を誘ったことで、警察に逮捕されている。統合失調症の罹患は、この1件がキッカケと言われるが、映画はこうしたナッシュのダークな部分には全く触れていない。
1957年にアリシアと結婚。1959年には男の子を授かる。しかしこの頃、数学会最大の難問と言われるリーマン予想の証明に専心し、その困難さによるストレスが、さらに彼の精神を蝕んでいく。妄想、奇妙な言動。周囲が混乱するなか、同年4月、ついに病院の検診で正式に統合失調症の診断が下る。研究者として絶頂期にあった30歳のときだった。
その後、ナッシュはMITの職員を退職し、ヨーロッパとアメリカへ放浪の旅に出る。栄光から絶望への転落だった。そんな彼を受け入れたのが母校プリンストン大学だ。人間として大きな問題を抱えながら秀でた才能を持つ彼に、講師のポストをあてがったのだ。
1960年、こうしてナッシュは数学の研究者として復職を果たすが、病状は一向に改善せず、その後、10年間にわたり入退院を繰り返す。この間、劇中では妻アリシアが献身的に彼を支えていることになっているが、実際は1963年に離婚。原因はナッシュが愛人男性と浮気したという、呆れかえるものだった。
アリシアと別れた後は7年間、実の母親や妹に面倒を看てもらいながら大学に通っていたが、回復の兆しが見え始めた1970年、アリシアが夫ではなく同居人としてナッシュを引き取り、再び闘病生活を支えるようになる(2人は2001年に再婚)。その後、症状は年を追うごとに改善し、1980年代後半には、問題なく日常生活を送れるまでに回復した。
そして映画のラストで描かれる1994年のノーベル経済学賞。
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ノーベル賞受賞後、ナッシュは多くの講演会をこなしつつプリンストン大学で数学の研究を続け、2015年5月には「リーマン多様体の埋め込み問題に関する功績」によりアーベル賞を受賞した。が、オスロで行われた授賞式からの帰路、妻と乗っていたタクシーが事故を起こし、夫婦共々車外に投げ出され死亡。ナッシュは86歳、アリシアは82歳だった。
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