Women and Water Documentary WWCASA
Gender & Water and Sanitation Projects
Gender & Water and Sanitation Projects
Water and sanitation projects that take gender differences into account can play a significant role in improving the health, education, social, economic, and overall well-being of women and girls and their communities.
In many cultures women and girls bear, for example, the primary responsibility for collecting water for food preparation, drinking, bathing, washing and are the main caregivers for children, sick and elderly family members. Improved access to clean water and sanitation facilities located at a convenient distance from home can play an important role for the quality of life and safety of women and children and other vulnerable community members. Gender-responsive water and sanitation projects can also promote economic empowerment since they allow in particular women and girls to use time saved for more productive activities that can lead to increased financial independence.
https://ppp.worldbank.org/public-private-partnership/ppp-sector/gender-impacts-ppps/mainstreaming-gender-sector-specific-materials/water/mainstreaming-ge
6 はじめに より
水問題はいたってシンプルである。世界で6億人以上の人々が飲料水にアクセスできず、世界の農業生産の40パーセントが灌漑農業に依存している。
水辺の生態系は自然のプロセスに欠くことのできない役割を果たしているにもかかわらず、きわめて脆弱である、ということである。
103 すべての人に水を? より
120 水に現われる社会とジェンダーの不平等
水へのアクセスは社会的立場と非常に強く結びついている。北の諸国では、すべての人にサービスがいきわたるまで、水は不平等をもっとよく示すものであったし、先進国以外ではまだ、広くその状態が続いている。つまり、水へのアクセス(さらに衛生設備へのアクセス)の統計は、農村の世界と都市の世界の対立だけでなく、南の大都市におけるさまざまな地区間の対立も示しているのである。
すくなくとも今世紀半ばにならなければ、水と衛生設備のユニバーサルアクセスは達成されないだろうが、水というかけがえのない財産をめぐる不公平を埋めあわせることができるのは、ユニバーサルアクセスだけなのである。
農村地域の遅れ
飲料水と衛生設備へのアクセス率の世界平均だけを見ていては、農村の世界と都市の世界との大きな格差はわからない。南の諸国では、飲料水のアクセス率の平均が都市部で82パーセントなのに対し、農村部では70パーセント。衛生設備にいたっては、それぞれ73パーセントと33パーセントである。
農村の住民の大半は共用のトイレに頼っている。自宅に設備のある人は平均して25パーセント、サハラ以南のアフリカでは4パーセントである。投資が集中する大都市に比べ、農村部は投資が少なすぎるように思えるかもしれないが、従来のやり方をなかなか変えられないことを考慮に入れる必要がある。それをうまく生かせば安全な水へのアクセスが可能になることもあり、そのいっぽうで、西欧のモデルにしたがったやり方が通用しないこともある。ヨーロッパ諸国のものに近い水道をアフリカの田舎に短期間につくるのはむりがある。同様にして、「技術」に頼ったコストのかかるやり方は、資金面で長続きせず、それを維持できなくなるおそれがある。
同じ地域の内部に大きな不均衡が存在することもある。コンクリートの井戸や深井戸のある村は、衛生状態が非常によい可能性がある。いっぽう、すぐ近くの村が地下水をくみ上げすぎて井戸を涸らしてしまい、女性たちが何キロも歩いて水質のよくない水をくみにいかなければならず、水を介した病気にかかる者が多いということがある。
農村部における水へのアクセスは、今後数年間の大きな課題である。アクセス率を上げるのはきわめてむずかしいだろう。投資をして収益を上げるのが、都市部より困難だからである。
貧しければ貧しいほどアクセスは容易でなく、水の値段は高くなる
この原則は、南の諸国ではどこでもいえることだが、とりわけ1990年代初期にアパルトヘイトが終わった南アフリカでは切実な問題となった。国内では、慢性的な投資不足により、東海岸のトランスケイやクワズールーといった古くからのホームランド[黒人住民の自治区]の遅れがめだち、飲料水にアクセスできるのは人口の半分以下というところもあった。アクセスできない人の多くは農民だったが、大都市では80パーセント近くがアクセスできたのである。
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アクセスの不平等にくわえて、支払う金額の不平等もある。特別な料金設定や支援がまったく行なわれなければ、貧しい人々は豊かな人々は豊かな人々より、水に対して多くの金を払うことになる。水の消費量はそれほど「フレキシブル」ではない。飲んだり身繕いをしたりするには、すべての人が最低限の水を消費せざるをえない。スーダンのハルツームの下町で行なわれた調査によると、値段が上がっても水の消費は減らないし、もっとも貧しい人々がとぼしい収入の半分以上を水の支払いにあてることもあった。
以上のことから、もっとも貧しい人々の水へのアクセスがどうしてミレニアム目標のひとつになり、南の諸国における社会正義の問題の中心になっているのか、どうしてそれが政治的に微妙な問題なのかが理解できるのである。