じじぃの「知の巨人・立花隆の遺言・日本の運命・怖くなくなった死!報道1930」

【“歴史に呼ばれた男”立花隆の遺言】報道1930 まとめ21/6/28放送

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「知の巨人」立花隆さんが示したもの【サンデーモーニング

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『死はこわくない』立花隆インタビュー

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追悼 立花隆は歴史に呼ばれて、この世に生まれてきた 世代の昭和史/40=保阪正康サンデー毎日

2021年6月28日 週刊エコノミスト Online

「世代の責任」を生きた世界史的スケールの知性

この連載における世代論の試みは、①大正10年代生まれ ②昭和6、7年生まれ ③昭和14、15年生まれ、そして④昭和22、23、24年ごろの生まれの世代を対象に、時代は彼ら世代にどのような要求を突き付けたかを見てきた。無論、この他の世代にしても戦争の影響や時代が彼らに過酷な生き方を強いたであろうことは十分に想像できる。しかし日本社会にあっての世代論には、やはり戦争が大きな影を落としていることがわかる。戦争によってそれぞれの世代は、その年齢に相等しい体験を強いられたことがわかってくる。
立花の世代は、前述の世代の分け方では③のグループに入る。戦後民主主義教育を受けた第1期生のようなものである。それは民主主義とは何か、という問いではなく、「民主主義は正しい。軍国主義は間違いである」といった極端なまでの二元論的断定であった。この二元論も前述の戦争時には軍事的価値観で埋まり、平時の思考や哲学を許さないといった単一社会と同義語だったのである。平和は尊い、民主主義万歳、がまさにスローガンであった。立花はそういう社会空間の中に身を置いた。私もそうであった。そして戦後民主主義論の空虚さには目を瞑(つぶ)り、ひたすら私たちの前代の軍事主導教育を呪ったのである。
前述の③の世代である立花は、これまで書いてきたように宇宙、脳死、臨死、さらには生命の源など人間根幹の基本的な学問や知識に触れながら、一方で「歴史」の語り方、継承の仕方、そして重要な歴史の流れについて誠実に語り続けてきた。そこには一見世代の発する言辞はないように思える。だがそうではないと、私は気がついた。
そういう例を挙げておこう。札幌で半藤一利、立花、それに私、メディアを代表する形で中国新聞編集委員田城明の4人で、講演とシンポジウムを行った(2009年11月)。その時、立花は「『長い二十世紀』の終わりと日本の運命」というタイトルで講演している。
初めにジョヴァンニ・アリギという社会学者の書いた『長い20世紀』という書を紹介しながら、世界システムの覇権国の推移を説くのである。オランダ、イギリス、アメリカと続いた覇権国の世紀を論じつつ、アメリカの世紀は終わろうとしているという。それでは日本のこれからの状況はどうだろうか、と立花は説いている。そして書くのだ。立花の見方は冷徹であり、そして根拠も明確なのである。

「(日本の運命は)一言で言うと『ほとんど滅びるのが確実な状況』にあります。おそらく日本人の大半の意識は、『かなり状況は悪いけれども破滅までは行かないだろう』というものではないかと思いますが、けっしてそうではありません」

太平洋戦争に例えると、とっくにミッドウェー海戦は終わっていて、ガダルカナルからも撤退している。日本は歴史の流れでは敗北必至のこの時代をいかに損失を最小限にとどめるかという段階だというのである。立花は日本の国力が衰退していくのは、いくつもの条件の重なり合いがあるとも説いている。

日本がこの先力を失っていくのは、いくつかの顕著な理由があるとして、立花は例えば、人口減を挙げている。人口減はそのまま生産世代の減少にとつながっていく。やがて5000万人を割り込むであろうと予測される。もう一つ重要なことは、科学技術者の数が激減するということである。それは人口減がそのまま反映していることでもあるのだが、もう一面で教育水準の低下が拍車をかけている。

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210628/se1/00m/020/002000d

報道1930

2021年6月28日 BS-TBS
【キャスター】高畑百合子、松原耕二 【コメンテーター】堤伸輔 【ゲスト】保阪正康(ノンフィクション作家)、緑慎也(科学ライター/元“立花ゼミ”生)

“人間”立花隆の遺言 怖くなくなった「死」。語らなかった戦争体験

●ジャーナリスト・立花隆 死去
知の巨人として知られるジャーナリストでノンフィクション作家の立花隆が2021年4月に亡くなっていたことが分かった。
立花隆は1940年、長崎市の生まれで東京大学を卒業後文藝春秋に入社した。
退社後、当時の総理大臣だった田中角栄を巡る資金の流れなどを研究した「田中角栄研究」を発表。
政治分野にとどまらず科学技術や人の死に関することなど幅広く著作を発表し「知の巨人」と呼ばれた。
立花隆は、がんなどで入退院を繰り返していたが2021年4月30日夜、入院先の病院で急性冠症候群のため亡くなったという、80歳だった。
堤伸輔、「好奇心のかたまりみたいな幅の広い方。情報によれば樹木葬というのを選ばれたそう」
●人間はどこから来てどこへ行くのか
立花隆は何を残そうとしたのか。
緑慎也、「負け戦をいま日本も戦っている状況というのがいますごく当てはまると思う。感染者が増えている状況の中でオリンピックに突進しているというのは、立花の場合人口だとか技術だとか経済だとかをマクロな指標をもとに読み解く。そうすると未来がちょっと先に分かる」
保阪正康、「問題は私も立花もまだ5、6歳で、日本は悪い国でした。これから民主主義の時代ですと教える教師。大人たちは自分のアリバイのために教えたとも言える。戦前は天皇のために死になさいといって戦争は負けました。きょうから民主主義ですというのは、私たちは1つの将棋の駒で大人たちにいいように使われたんじゃないか、私たちがこの段階の教育から自立していく力を持てということを言ってるんだと思う」
●人間とは何者か…思索尽くす
立花隆は、「そういうヒトは人生を知ったつもりになっていてもほとんどわかってないですよ、偉そうなことを若い頃から書いてますから今若いときに書いたものを読み直すと、おそらくチャンチャラおかしいという感じの部分が相当あると思います。やっぱり年齢を重ねると年をとっただけのことは自然とあるってことか、特に人間が年をとったときにどうなるかとか、死ぬことについてどう思うかとかね。そのあたりは自分が本当に年をとって死が近く見える。その年齢にならないと分かんない面は多いと思います。死が怖い、怖くないという話はもっぱら若い時怖いんですよ。当然、事実死というのは簡単には考えられないみたいなね。それはありましたね。年をとった人であれば気持ちが自然と落ち着くんです。自分自身の人生全体をルックバックするということがね、60代後半はまだそこまでいかないかなあ、70を超すとすごくそういう気持ちになるんですよ。人間“死に時”っていうかね、おかしくない“死に時”に自分が差しかかっているっていうか、そういう気持ちが分かるんですね」と語った。
        『死はこわくない』(立花隆、文春文庫 2018)の言葉。
●12年前に語っていた「日本の運命」

2009年、札幌でのシンポジウムに半藤一利立花隆保阪正康が参加。

日本の運命について。

立花隆は、「一言で言うと“ほとんど滅びるのが確実な状況”にあります、おそらく日本人の大半の認識はかなり状況は悪いけれども破滅までは行かないだろうというものではないかと思いますが、けっしてそうではありません。日本はすでに負け戦の段階に完全に入っています。できる最善のことはダメージコンロトール、いかに上手に敗けて次の時代につなげるか、いまいちばん必要だろうと思います」と語った。
https://www.bs-tbs.co.jp/houdou1930/