立花隆さん死去 「知の世界」に好奇心を燃やし続けた生涯
2021/6/23 毎日新聞
4月30日に亡くなったジャーナリストで評論家の立花隆さんは長年、がんや糖尿病、高血圧や心臓病など多くの病気を抱え、入退院を繰り返していた。
公式サイトによると、立花さんは1年前、大学病院に再度入院したが、検査や治療、リハビリを拒否し、別の病院に転院した。病院側の「病状の回復を積極的な治療で目指すのではなく、少しでも全身状態を平穏で、苦痛がない毎日であるように維持する」との方針のもとで入院を続けていたが、病状が急変したという。
https://mainichi.jp/articles/20210623/k00/00m/040/116000c
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『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』
立花隆/著 文春新書 2020年発行
医師団が脳死者を作り上げた
ドナーであった山口君については、もっと大きな疑惑がありました。山口君は脳死になっていないのに、つまり、まだ生きているうちにその心臓を取り出されてしまったのではないかという疑惑です。
山口君は移植手術前日の正午ごろ、海岸で水泳中に溺れ、心拍も呼吸も停止していたため、一時は絶望視されていたのですが、救急車で小樽市内の野口病院に運ぶ途中、人工呼吸器で奇跡的に蘇生しました。同病院で当直医の診察を受けて、意識は戻らないものの、酸素呼吸器を取り外すほどに回復しました。
しかし、当直医が帰宅したあとで、病院長の野口氏は、患者の容態が急変したから高圧酸素療法を受けさせる必要があるといって、山口君を札幌医大の和田外科に送り込みました。しかし、その夜の10時10分ごろ、山口君は脳死状態でもう助からないから、移植のために心臓を提供してもらえないかと和田教授が山口君の両親に願い出て、その許しを得て、午前2時すぎに心臓を摘出したということになっています。
しかし、調べてみるとこれがおかしなことの連続だったのです。
まず、山口君を札幌医大へ運んだ救急車の係官は、山口君が血色もよく健康そうなので、なぜ急に大学病院に転院させるのかと聞いたら、野口院長が「脳波の働きがなくなった」と説明したといいます。しかし、野口病院では脳波の測定はしていなかった。
札幌医大では、一応高圧酸素療室に運ばれましたが、実際には高圧酸素療法はほどこされず、すぐに手術室に移されました。結局、山口君は、心臓も動き、自発呼吸もあり、十分蘇生可能な状態であったのに、はじめから、蘇生の努力もせずに、心臓移植のドナーにされてしまったのです。
和田教授は、山口君の脳死は、平坦脳波によって確認したというが、手術室には脳波計は存在していませんでした。記録がなかったのは脳波だけでなく、心電図も血圧計も記録が残っていないし、脈拍、心音の記録もない。カルテも「一筆書」の記録があるだけという、およそまともな医療機関とは考えられないほど、何も記録が残されていなかった。これでは、証拠が隠滅されたと見られても仕方がありません。
心臓を摘出されるとき、本当のところ山口君がどのような容態にあったのかはわかりません。記録が一切ない上に、関係者の口裏合わせが成立している以上、そのとき山口君が生きていたという証拠はないわけです。だから和田教授は不起訴処分になったのです。
しかし、山口君が最終的に心臓摘出時点でどのような容態にあったかは重要な問題ではありません。心臓移植のドナーにしようという共通の目的をもった医師団が患者を他の者の目にふれさせずに6時間以上にわたって勝手に処理できれば、6時間前には健康であった人を本当の脳死者に仕立て上げてしまうことくらい簡単にできるからです。
以上で、和田移植事件が、どれほどおそろしい事件であったかがわかったでしょう。これは二重の殺人だったといってよいのです。そして、心臓移植という医療は、きちんとしたルールづくりをした上で行わなければ、いつでも第2の和田移植事件を起こす可能性を蔵しているのです。
【第12章】 がん罹患、武満徹、死ぬこと より
日本人の死生観
僕は長い間、人の死とは何かというテーマを追いかけてきました。1980年代後半から90年代前半にかけて取り組んだ、脳死問題に関する一連の言論活動でも、死の定義について徹底的に考え抜きました。
当時、死の定義を拡大して、脳死者からの臓器移植を普及させようとする立場に対して、僕は異議を申し立てたり、記事を書いたりしていました。その頃、移植医療を推進したい側の人たちの集会に呼ばれて議論したことがあります。そのとき、彼らのリーダーから突然、「あなたの死生観はどうなってるんですか」と聞かれたのです。それは僕がまったく予期していなかった質問で、虚をつかれて口をつぐんでしまった。後になって、「あなたの死生観はどうなんだ」というのは、正しい問いの立て方だと思い返しました。結局、その問いにきちんとした答えを持っていないと、あらゆる問題に対して答えようがないのです。
自殺、安楽死、脳死など、生と死に関する問題は1つの問題群として捉えるべきで、それはその人の死生観と切り分けられない問題なのです。どの問題を考えるにしても、結局、自己決定権がある場合は、その人の自己決定に従うしかないだろうし、神あるいは運命に決定権があるような場合には、それに従うしかないだろうと思います。
人の死生観に大きな影響を与えるのは宗教です。僕の両親はキリスト教徒だったので、一般の日本人の習俗を知らずに育ちました。家には仏壇も神棚もなく、むしろ両親はそういう日本の伝統的な習俗に反対していました。
「死後の世界は存在する」という見方は、日本人一般にとっては馴染みやすいところがあります。お盆になると死者が帰ってきて、仏壇のロウソクの炎をゆらすと教えられて育ってきた人にとっては、この世とあの世がつながっているという考えは自然に受け入れられるものでしょう。日本人の心の世界は、広い意味で、死者の世界との交わりを含めて成立しているように思います。
どの宗教的なグループに属するかによって、死生観は異なります。日本人の場合は、自分がはっきりと仏教徒であるとか、神道の氏子であるとかと認識している人は少なくて、ぼんやりとどこかのグループに属している状態ですよね。
仏教でも神道でも、宗派によって死生観はかなり違いがあります。僕は2度目に結婚した人の家の宗教が神道で、葬式が神道で行われるのを経験しているんですが、仏教のゴテゴテとした感じがなくて、自然宗教的スッキリ感にすごく好感を持ちました。キリスト教はほかの宗教をすべて邪教と考える独善性がいやで、大学時代に離れました。いまは哲学的&科学的世界観にもとづく無宗教派といったところでしょうか。
死後の世界が存在するかどうかというのは、僕にとっては解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません。
前にもヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の言葉を紹介しましたね。「語りえないものの前では沈黙しなければならない」。
死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのは確かですが、沈黙しなければなりません。
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じじぃの日記。
時々、月刊誌『文藝春秋』を買ってきて読む。
毎月、「巻頭随筆」に載っている立花隆さんの随筆を読むのが楽しみだった。
2012年4月号『文藝春秋 NEXT』に、「これからの10年『日本人の底力』立花隆 日本を救う夢の先端技術『SACLA』」が載っていた。
「X線自由電子レーザー、スプリング8、そして『京』、この3つの世界一は3つとも中国が逆立ちしても追いつけない技術だ。3つとも日本の産業に広く開かれている。中国は金儲けと国威発揚には熱心だが、基礎科学では日本にかなわない」
「スプリング8」というのを知ったのは、立花隆さんの本からだった。
立花隆著『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』の最後のページにこんなことが書かれている。
「書き終わる前に寿命が尽きてしまうかもしれません。結局、人間というのは、いろんな仕事をやりかけのままに死ぬのだろうし、僕もおそらくそういう運命を辿るんでしょう。でも『形而上学』のはじめの20行くらいはすでに書いてあるんですよ(笑)」
立花隆さんが、今年の4月30日に亡くなっていたことがわかった。80歳だった。
いろいろ、教えてもらいました。
ご冥福をお祈りいたします。