じじぃの「カオス・地球_254_人類の終着点・フクヤマ・民主主義・トランプの資質」

「バイデンは裏切った」 Z世代が幻滅で「もしトラ」に現実味?/アメリカの若者たちが迫られる究極の選択 【2月21日(水)】|TBS NEWS DIG

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8T0MRe8ckDs&t=806s


【大図解】もしトランプが米大統領に復活したら…「もしトラ」で世界は再び大混乱へ!

2024.1.1 ダイヤモンド・オンライン
欧州の“支援疲れ”などが目立ち始めたロシア・ウクライナ戦争や台湾統一に向けた姿勢を崩さない中国など、国際情勢は緊迫の中にあるが、その趨勢のほとんどが2024年11月の米国大統領選の結果に左右される。
共和党候補としての選出が濃厚なトランプ氏が大統領に返り咲けば、世界が再び混乱の渦に巻き込まれることは必至だ。特集『総予測2024』の本稿では、そのシナリオを大図解とともに解説しよう。
https://diamond.jp/articles/-/335592

朝日新書 人類の終着点―戦争、AI、ヒューマニティの未来

【目次】
はじめに

1 戦争、ニヒリズム、耐えがたい不平等を超えて

 エマニュエル・トッド 現代世界は「ローマ帝国」の崩壊後に似ている
 フランシス・フクヤマ 「歴史の終わり」から35年後 デモクラシーの現在地
2 「テクノロジー」は、世界をいかに変革するか?
 スティーブ・ロー 技術という「暴走列車」の終着駅はどこか?
 メレディス・ウィテカー×安宅和人×手塚眞 鼎談 進化し続けるAIは、人類の「福音」か「黙示録」か
3 支配者はだれか?私たちはどう生きるか?
 マルクス・ガブリエル 戦争とテクノロジーの彼岸 「人間性」の哲学
 岩間陽子×中島隆博 対談

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『人類の終着点―戦争、AI、ヒューマニティの未来』

トッド、フクヤマ、ロー、ウィテカー、ガブリエル/著 朝日新書 2024年発行

1 戦争、ニヒリズム、耐えがたい不平等を超えて より

フランシス・フクヤマ 「歴史の終わり」から35年後 デモクラシーの現在地

リベラリズムを支える「コミュニティ」を創設せよ】
――民主主義の中にあっても、幅広い政治勢力で不満がたまっているのですね。あなたは、著書『歴史の終わり』で、リベラリズムの本質的な弱点を論じています。「リベラルな民主主義は自己完結しないものだ」と述べていました。それは「リベラリズムそのものからは生まれてこないコミュニティ(共同体)に依存しているからだ」と。
米国の民主主義を分析したフランスの思想家、アレクシ・ド・トクヴィルは「正しく理解された自己利益」の重要性を強調しました。しかし、自分の利益を正しく把握するのは、実はとても難しいことです。リベラルな価値観では、自己利益や個人主義を強調するあまり、リベラル民主主義の力である自律性を蝕んでいるのかもしれません。この点についてはどのように考えていますか。
   
たしかに、トクヴィルは「正しく理解された自己利益」について論じています。ですが「米国人の連帯の技法」にも触れています。「米国人は、様々な目的で自発的に連帯を生み出すのが得意である」とも述べています。これは実のところ、質の良い民主主義を維持することに関連する能力なのです。

リベラルな民主主義では、必ずしもすべての個人が自立して、自律的である必要はないからです。自由を発揮してしたいこととは、すなわち「コミュニティの創設」です。政府がセットして義務的に参加するコミュニティは1つもありません。それは北朝鮮のやり方です。

リベラルな社会では、教会の一員にもなれます。市民の集団や非営利組織の一員にもなれます。異なる目的の集団です。「他者と交流を持ちたい」という希望を満たすものです。コミュニティの一員として、他者に価値を感じてもらいたいのです。

リベラリズムは、細分化された個人を必然的にもたらすということはありません。ときにはそのように批判されることもありますが、非常にしっかりしたコミュニティを生み出す舞台にもなるのです。

リベラリズムに不満を感じることに関して私が言いたいのは、リベラリズムにはある種の文化的な要素が必要だということです。人は互いに信頼を寄せ合う必要があります。これは、信仰や文化や体験を共有る基盤となり得るものです。ですが、互いの信頼関係を失って、ともに取り組むことができなくなれば、リベラルな社会を維持するのは難しいでしょう。

アイデンティティは、民主主義を脅かすのか?】
――あなたの著作である『歴史の終わり』は、とても有名な本です。しかし、この書籍であなたが「気概(きがい)」という大事なコンセプトを紹介していることに気づく人は多くありません。気概とは、「尊厳を認めてほしいという説成る願いをあらわす人間の心の状態のこと」です。この「気概」や「アイデンティティの承認欲求」といった問題は、国内外の問題を把握するために鍵となるコンセプトです。これについても解説をお願いします。
   
気概とは、「尊重・承認されたい」という欲求のことです。これには、2つの形態があります。まず「対等願望」と呼ばれるものです。ギリシャ語で「平等に尊重される」という意味です。これは、民主社会の基本的な特徴です。平等に扱われなかったり、他の特定の人から蔑まれたりすれば、とても憤慨しますよね。

次は「優越願望」と呼ばれる現象です、これもギリシャ語ですが、「他者よりも多くを欲する」という意味です。名誉や栄光をより多く求めることです。

「尊敬されたい」と願う人間心理の同じ部分ではありますが、異なる2つの形態があるのです。ある人は平等に扱われたいと願い、他のある人は、別の人よりも優遇されたいと願うのです。このどちらも、民主主義社会では起こり得るのです。

現在起こっているのは、社会のエリート層から尊重されていないと感じる多くの人が、ポピュリスト政党に投票しているということです。米国や欧州、あるいはその他の国々で目にしているのは、大都市在住で教育水準の高い人々は、よりリベラルな傾向にあるということです。高い教育の影響によって、自分と同程度の教育を受けていない人、あるいは小さな街や田舎に暮らす人などを下に見ることが、しばしばあります。これはすさまじい対等願望を誘発します。ここでは、エリートに対する敵意とか怒りです。

こうしたものこそ、トランプやエルドアンやオルバーンが利用しているものです。各国で教育水準の高いエリートから、ぞんざいな扱いを受けている人々の怒りをうまく利用しているのです。これは(選挙などの)結果にもあらわれています。大都市の人はよりリベラルな政党に投票する傾向があり、田舎や小規模な街の人はポピュリスト政党に投票する傾向にあります。優越願望のほうはと言うと、ドナルド・トランプが完璧な例でしょう。「トランプの最も大きな特徴は何か?」と問うなら、何でも最高でないと気が済まないということでしょう。彼は本質的に最高であることを求めているわけではありません。ただ、全員に頭を下げてほしいのです。これは民衆扇動に通じます。

米国の建国の父たちはこの点を、大いに憂慮していました。「聞こえの良いことだけを言ってこうした恨みを増大させて、民衆の支持を得ることに長けたリーダーが民主主義社会では出現するだろう」と。

他者よりも偉大になりたいと願うリーダーは、平等に扱われていないと感じる人の恨みを活用します。これが民主主義を脅かすのです。彼らは、それをはるか昔の世界で目にしていましたから、米国で同じことが起こることを危惧していたのです。

――あなた『歴史の終わり』で、トランプ氏にも言及していますね。
   
当時の彼は、ただの実業家に過ぎませんでした。「資本主義経済において、他者よりも偉大になりたい」「他者よりも認められたい」という欲求、お金持ちと認められるのは、優越願望の安全な形態かもしれません。より多くの富を生み出せば、巨大な存在の実業家になれるからです。巨大企業を起せば、より多くの承認欲求を満たしてくれるでしょう。

当時の私が予測できなかったのは、ドナルド・トランプはそれだけでは満足しなかったことです。政治の世界でも承認欲求を発揮して、政治に参入したのです。その結果、みんなが苦しんでいます。

優れた大統領やリーダーになるには、良き人格が必要なのです。その点、トランプは考えられる限り、最悪の人格を保有しています。リーダーとして、これ以上考えつかないほど最悪です。自己中心的で嘘つきで、公共心はありません。何ごとも個人の利益になるかで判断して、公の利益は考えもしません。そんな人に資格はありません。

些細なことでさえ、真実を語りません。たとえば、就任式に群衆がどれぐらい集まったかということも、本当のことは言いませんでした。オバマの就任式のほうが多くの人を集めたことに、我慢ならなかったので嘘をついたのです。

とても縁起の良い兆しとは言えませんが、米国政治や米国社会でとても心配なのは、人々の関心が薄いことです。彼のことを好きな人も大勢いました。また彼の周囲には、カルト的に崇拝する人もいました。どんな振る舞いも言い訳も容認しました。2020年の大統領選挙の結果を受け入れるのを拒み、平和的な権力の移譲を妨げるべく暴力に訴えました。基盤となる民主主義制度に対する、あれ以上の攻撃は考えつきもしません。ですが、米国人の3分の1ほどが、彼の行動を正当化しています。

これが、米国社会が抱える病理の一部です。すべてが彼の責任とは言いません。異なる類の憤慨をため込んでいるとも言えますが、歴史上この特定の時間に、このような他に何を見ない悪質なリーダーが出現したのは、運のなさと言えます。