5人を助けるために1人を犠牲にしますか?―エレノア・ネルソン
Does the Trolley Problem Have a Problem?
Does the Trolley Problem Have a Problem?
JUNE 18, 2018
What if your answer to an absurd hypothetical question had no bearing on how you behaved in real life?
https://slate.com/technology/2018/06/psychologys-trolley-problem-might-have-a-problem.html
第9章 壊れた計算機――バイアスがもたらす問題 より
トロッコ問題の問題
認知エラーや共感バイアスなど、人の意思決定能力に影響を及ぼす要因のなかにはトロッコ問題のような有名な仮説例と同じシナリオで検証できるものがある。ここでは暴走列車として話を進める。
シナリオはこうだ。ここに1台の暴走列車があり、あなたができる操作は分岐で2つの線路のどちらかに進ませることしかないとする。列車はその線路上に5人の人間がいる方向に進んでいる。分岐のもう一方の線路上には1人しかいない。列車が通る線路上にいる人間は必ず死ぬ。この状況は1人を助けるか、5人を助けるかという選択の問題だ。いずれを選ぶかで、運転手は線路上にいた人もしくは線路上いた人々の死に加担したことになる。人数以外にその人たちに関する情報が何も与えられていなければ、たいていの人は1人の命を犠牲にして5人を助けるほうがいいと思うだろう。
第10章 次にどうするか?――命の価格のつけ方 より
人の命には生まれたその日から死ぬまで値札がつけられる。哲学者は、命にはどのように価値をつけるべきで、何が公平なリソースの分配になるのかという聞こえのよい議論を展開しているかもしれないが、そのような議論は現実にある価格の世界と日々衝突する。
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本書は一見シンプルな質問から始まった。人の命の価格はいくらですか? この質問の厄介なところは、どのようにしてその値段に到達したかが、私たちの優先順位をよく物語っているという事実にある。価格とそれを決めるための方法は、社会としての私たちの価値観を反映している。そこには経済や道徳、宗教、人権、法律の影響が多分に含まれている。
理想を言えば、人命に対する価格のつけ方について、大半の人が同意できるシンプルな答えがあったほうがいい。しかし、そのような答えはないのだ。哲学者のアイザイア・バーリンは、人には時代を超えた真実を探求する「深くてどうしようもない形而上学的要求」があると述べていたが、そんなものは存在しない。それよりも、対立する真実がいくつもあって「価値は複数存在すること」を受け入れなければならない。人命に価値をつける作業にはいくつもの対立する真実があって、シンプルなこと会えなどない。人命に対する価値のつけ方について、これという重要ポイントや、家にもち帰れるたった1つのメッセージに辿り着けないことに、読者の皆さんはイライラされているかもしれないが、このように込み入ったテーマは、ほぼすべての利害関係者が満足するたった1つの簡潔な解決策に要約することなどできないことが多い。
人命に価格はつけられない、と哲学的視点をとる人もいる。この姿勢をとる人は、人命の価値がいくらかなどという質問は意味がないとか、答えようがないと言う。しかし、知的には満足させられても、この視点は、人命は常に金銭換算されていて、だからこそそれが公平な方法で行われるようにしなければならないという現実を無視している。
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どうでもいい、じじぃの日記。
本書は一見シンプルな質問から始まった。人の命の価格はいくらですか?
「認知エラーや共感バイアスなど、人の意思決定能力に影響を及ぼす要因のなかにはトロッコ問題のような有名な仮説例と同じシナリオで検証できるものがある。ここでは暴走列車として話を進める」
「たいていの人は1人の命を犠牲にして5人を助けるほうがいいと思うだろう」
この線路上の5人の人たち、あるいは1人について、より詳しいことがわかると共感の持ち方が変化するのだという。
5人の人たちが全員老人で、1人が子どもだったら?
5人の人たちが全員殺人犯で、1人が看守だったら?
5人の人たちの中に親族や恋人がいたら?
5人の人たちが全員が見知らぬ人で、1人が友人だったら?
「より多くの人の数の生命を救えばよい」という単純なことではないようです。