じじぃの「科学・地球_276_それはあくまで偶然です・核のニアミス」

The Goldsboro B-52 Incident | A Short Documentary | Fascinating Horror

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zO3sCdAmwPw

1961年ゴールズボロ空軍機事故

1961年ゴールズボロ空軍機事故

ウィキペディアWikipedia) より
1961年ゴールズボロ空軍機事故は、1961年1月24日にアメリカ合衆国ノースカロライナ州で起こった飛行機事故である。
マーク39核爆弾2発を搭載したアメリカ空軍のB-52 ストラトフォートレス爆撃機が空中分解し、その過程で搭載されている核兵器が地表に落下した。機長は乗組員に高度2,700メートルからの脱出を指令し、5人は脱出後に無事着地したが、1人は着地時に生存しておらず、2人は衝突によって死亡した。
2013年に新しく情報が公にされて以降も、この事件についての論争は続いており、2発のうちの1発は爆発し得る状況にあるのではと疑われている。

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『それはあくまで偶然です 運と迷信の統計学

ジェフリー・S・ローゼンタール/著、石田基広、柴田裕之/訳 早川書房 2021年発行

第11章 運に守られて より

私たちの世界は危険に満ちている。いつ犯罪者に金品を奪われてもおかしくない。テロリストが爆弾を炸裂させるかもしれない。乗っている飛行機が墜落するかもしれない。子供が誘拐されるかもしれない。じつに多くの悪いことが起こり、ひどい結果になりかねない。それに対して、私たちにはいったい何ができるのか?
まあ、ある程度まで、用心することはできる。ドアに鍵をかけ、暗い裏通りは避け、戦場には近づかず、子供からは目を離さないことは可能だ。それでも、こうした手立てで自分たちを守ろうとしても限度がある。幸い、トラブルを避けるには別の方法もある。運だ。

核のニアミス

私たちの世界には現在1万を超える核兵器があり、かつては6万4000以上あった――知られているかぎりでも。そのどれもが、とても恐ろしい。けれど、1961年には、2発の核弾道がそのなかでも最も恐ろしいものになりかけた。この2発のせいで、何百万もの命が奪われることもありえた。そしてそれらの命がかろうじて救われたのは、そう、幸運のおかげにほかならない。
1961年1月24日火曜日。ノースカロライナ州東部のゴールズボロ近くを飛んでいた1機のB52爆撃機が、右の翼から燃料漏れを起こし、不安定になった。機は空中分解して墜落したけれど、搭乗員は無事脱出した。1つだけ問題があった。この爆撃機は、2発の核爆弾を搭載しており、そのそれぞれが数メガトン級の爆発力を持っていた。これは、1945年に広島と長崎であれほど多くの人命を奪った爆弾の何百倍もの威力だ。
爆弾の1発は、パラシュートで落下し、野原に生えた木に引っかかっているところを発見された。間一髪で爆発するところだった。6つの安全用の連動装置のうち、5つまでもが解除されていた証拠を目にしたと、2人の専門家が主張しており(じつは、4つの連動装置のうちの3つだったと言う人もいる)、残るわずか1つの装置が爆発を防いだのだった。もう1発はパラシュートなしで地面に落ち、のちに、ぬかるんだ、泥沼のような状態の土の中でばらばらになっているところを発見された。
回収チームの1人は、爆弾の7つの起爆ステップのうち、6つまでがすでに起こっていたと回想している。詳細の一部は今なおあやふやなままだけれど、それらの説明に強く異を唱えるある核兵器管理者さえもが、最近になって機密扱いを解かれた1969年の覚書の中で、「単純なダイナモ技術の低電圧スイッチが、合衆国と一大惨事とのあいだに立ちはだかった」と明言している。
要するに、爆弾は2発とも、もう少しで起爆し、大爆発を起こして死の灰を降らせ、何百万もの人の命を奪うところだったのだ。もしどちらかの爆弾が起爆していたら、外国による攻撃だと誤解され、本格的な核戦争を引き起こしていたかもしれない。どちらの爆弾も、おそらく安全装置のほとんどが無効になっており、想像を絶する規模の爆発を生み出す一歩手前まで行っていた。
では、そのどこに運が入り込む余地があるのか? それはまあ、どちらの核爆弾も起爆のためにはいくつもの手順を踏まなければならなかったのは幸運だった。
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けっきょく、1961年のあの運命の日に、あの爆弾が両方とも起爆しなかったのは、ほんとうにほんとうに、運が良かっただけにすぎないだろう。