じじぃの「科学夜話・恐怖と安心感・生物はリスクを負うことで進化した?恐怖のパラドックス」

地上最凶の存在 - バクテリオファージ

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YI3tsmFsrOg

最凶のバクテリア

パラドックス

ウィキペディアWikipedia) より
・全能の逆説
 全能者は自分が持ち上げることができないほど重い石を作る事ができるか?
・例外のパラドックス
 「例外のない規則はない」という規則に例外はあるか。(例外があると仮定しても、無いと仮定しても自己矛盾する)
・落書きのパラドックス
 落書き禁止の壁に、「落書きするべからず」と書くことは許容されるのか。(張り紙禁止のパラドックスと同じ意)
フェルミパラドックス
 地球外文明の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のこと。

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「恐怖」のパラドックス 安心感への執着が恐怖心を生む Amazon

by フランク・ファランダ (著), 清水 寛之 (監修), 井上 智義 (監修)
「恐怖」という感情は人間だけでなく,ネコ,イヌ,ネズミ,ウマ,あらゆる生物が持っています。この「恐怖」という感情をなぜ持っているのか,考えたことはあるでしょうか?
「恐怖」という感情は生物に備わった,本能のようなものです。
例えば,ネズミはネコの匂いを恐れる本能を持っており,ネコの姿を一度も見たことがなくとも,匂いで存在を察知できるのだそうです。
同様に、 人間もまた,恐怖を感じることで自分の身を守り、種を守って進化を遂げてきました。
恐怖があるからこそ,危険を察知できるというパラドックス…。実は恐怖とは,ネガティブな感情ではなく,安心へと結びつくポジティブな側面を持っています。
逆に安心感は,追い求めれば追い求めるほど,恐怖心を募らせていくという側面を持っています。

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『「恐怖」のパラドックス

フランク・ファランダ/著、清水寛之、井上智義/訳 ニュ-トンプレス 2021年発行
8章 恐怖のパラドックス より
  「問題は、もしあなたがなんのリスクも負わなかったら、その分かえってリスクが大きくなるということなのです」
                エリカ・ジョング(小説家・詩人)
1945年、スコットランドの医師で科学者、アレクサンダー・フレミングはその年のノーベル賞の授賞式で参列者を前にスピーチを行った。フレミング博士はペニシリンを発見したことで賞の栄誉にあずかったのだが、私はそれに「ペニシリンという新たな武器を手に入れた」とつけ加えたい。多くの点で、このスピーチは一種の勝利宣言であった。
いろいろ読んでも、いったいいくつの命が彼の発見によって救われたか、見当もつかない。私が目にした推定値では8,000万から2億のあいだといったところだろうか。ペニシリンが発見されるまでは、ちょっとしたかすり傷さえ命取りになり、出産や手術は大変な危険を伴った。抗生物質の使用は乳児の死亡率を低下させ、同時に、手術を行える疾患の種類と程度を拡張することに大きく貢献した。
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バクテリアがどれだけ「賢く」なるか、言い換えればバクテリアが私たちの存在に対してどこまで脅威となるかを考えるうえで、米国疾病予防管理エンター(CDC)による推定値に注目することは意味だあるだろう。CDCによると、現在アメリカ合衆国で一年に280万人が抗生物質耐性バクテリアに感染し、そのうち35,000人が死亡すると推定される。
毎年新種の耐性バクテリアが発見され、なかには非常に危険なものもある。最近では「カンジダ・オーリス」と呼ばれるパンデミック真菌が世界中に広がっている。カンジダは識別するのが難しく、病院でも広がり、弱まった免疫システムを餌食にする。リヒテルとジェイコブスによって確認されたケースでは、ある高齢者が感染症で死亡したが、菌は死亡した男性のからだのなかや病院内で生き続けた。
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要約すると、私たちは、目に見えない敵、すなわちバクテリアの問題に対して、想像の光を当てた。バクテリアを根絶やしにする優れた解決策、ペニシリンを見つけたのだ。しかし、バクテリアを攻撃する明快な発明の衝動の裏には、バクテリアだけでなく、それが象徴するもの、すなわち比喩的な暗闇を除去したいという二次的な欲求があった。そしてこれは、崇高だが実現不可能なゴールとなった。
ペニシリンから始まって、ずらりと並んだ膨大な数の抗生物質、手を洗うという常識的な行為から、絶えず手指消毒剤を噴きかける行為にいたるまで、私たちはバクテリアを不必要なまでしつこく追い回した。そして、ついに追い詰められたバクテリアに残された唯一の自衛手段は攻撃することだった。
これが恐怖のパラドックスである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館で本を眺めていたら、『「恐怖」のパラドックス』というのがあった。
ぱらぱらと、ページをめくってみたら例として、「耐性菌」のことが書かれていた。

ペニシリンから始まって、ずらりと並んだ膨大な数の抗生物質、手を洗うという常識的な行為から、絶えず手指消毒剤を噴きかける行為にいたるまで、私たちはバクテリアを不必要なまでしつこく追い回した。そして、ついに追い詰められたバクテリアに残された唯一の自衛手段は攻撃することだった」

モグラたたき」のように叩いていると、なかには叩かれ強いのが出てくるかもしれない。
生物の「進化」には「恐怖のパラドックス」があった。
今のところ、薬剤耐性ウイルスに対してコロナワクチンが効きにくくなることはないそうです。