じじぃの「科学・地球_27_世界史と化学・世界でもっともおそろしい化学物質」

Dihydrogen Monoxide (H2O) Pranks Gets DJs in Hot Water

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZVcK8hGE3ZE

DHMO

ウィキペディアWikipedia) より
DHMO(dihydrogen monoxide=ジヒドロゲンモノオキシド)とは、化学式 H2O で表される水素と酸素の化合物であり、和訳すれば一酸化二水素、すなわち水そのものである。
これは水であることを敢えて分かりにくくして危険な化学物質であるかのように錯覚させるため、元素の構成に基づく化合物名として表現したものである。
科学論文などでこの表現が使われることはまずなく、心理実験やジョークのひとつとして使われる。
水を難解な言い方で相手を煙に巻くような表現は昔から存在する。例えば1965年に公開された日米合作映画『怪獣大戦争』の中には、「酸化水素?なんだ、水のことじゃないか」との台詞がある。
DHMOの名称は、1990年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校のルームメイトだったエリック・レヒナーとラース・ノーフェン、マシュー・カウフマンらによって考えられた。さらに1994年に同校の学生だったクレイグ・ジャクソンによって改訂され、DHMOについての最初のジョークサイト「DHMO.org」が作られた。

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ダイヤモンド社 絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている 左巻健男(著)

【目次】
1  すべての物質は何からできているのか?
2  デモクリトスアインシュタインも原子を見つめた
3  万物をつくる元素と周期表
4  火の発見とエネルギー革命

5  世界でもっともおそろしい化学物質

6  カレーライスから見る食物の歴史
7  歴史を変えたビール、ワイン、蒸留酒
8  土器から「セラミックス」へ
9  都市の風景はガラスで一変する
10 金属が生み出した鉄器文明
11 金・銀への欲望が世界をグローバル化した
12 美しく染めよ
13 医学の革命と合成染料
14 麻薬・覚醒剤・タバコ
15 石油に浮かぶ文明
16 夢の物質の暗転
16 人類は火の薬を求める
18 化学兵器核兵器
https://www.diamond.co.jp/book/9784478112724.html

『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』

左巻健男/著 ダイヤモンド社 20210年発行

5 世界でもっともおそろしい化学物質 より

古代ローマ上水道と公衆浴場

水は都市の衛生にも大きく関係している。人類は、川、湖、わき水のそばなど、きれいな水がすぐに得られるところに住んでいた。しかし、文明の発展につれて人口が集中する「都市」が発達すると、その水量では不十分となり、清浄な水を多量に供給する設備――上水道――が生まれた。上水道は郊外の湖や川の上流から、トンネルなどの水路をつくって市内まで導いた。
最初に大がかりな上水道を敷いたのは、古代ローマ人である。上下水道が整備され、汚物を水で洗う流すトイレもつくられた。驚くべきことに公衆トイレもつくられており、1600個もの便器が1ヵ所から発掘されているのである。
紀元前312~3世紀、数多くの上水道が建設された。
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古代ローマの公衆浴場は、規模が大きかったし内部は豪華であった。多くの都市に少なくとも1つの公衆浴場があり、社会生活の中心の1つになっていた。体にオイルを塗り、(木製または骨製の)肌かき器で汚れとともにオイルを落とすための部屋、高温水・温水・冷水の浴槽、サウナルーム、ジム、図書室などがあった。講堂では哲学や芸術を論じることができた。

伝染病が上下水道を発達させた

中世末期まで、家庭の汚物は、道路の上または道路の中央に溝に流した。しかし、何度もペストやコレラの伝染病が流行し、その度に多数の人命が犠牲になった。
そこで、16世紀になってようやく、市民生活の衛生を保つことが重要視されるようになり、少しずつではあるが、小規模の上水道の工事が行なわれるようになった。1582年、ロンドン橋に水車で動くポンプを据えて配水したが、テムズ川は激しい船運のために汚濁しがちだった。
19世紀になると、蒸気ポンプ・配水用の鋳鉄管および浄水装置(砂による人工的ろ過)が発明され、水を処理してきれいにし、ポンプによって送水をする大規模な近代水道の条件が整ってきた。
ヨーロッパ最初の公共給水は、1830年産業革命の先進国イギリスのロンドンで実施された。また、1831年コレラ流行は、ロンドンの地下下水道を発達させた。しかし、せっかく下水道ができてもただ河川に放流するだけだった。そのため河川はますます汚れて、工業用水としても使用不能なものになりつつあった。1861~1875年にはテムズ川の両岸に川と平行の水路をつくって流したが、それでも下流の汚染は防げなかった。
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なお、日本では、江戸時代に水道の建設が始まっている。江戸市民の生活用水を、小石川上水(1590年、のちの神田上水)、玉川上水(1654年)などから給水。水源からの傾斜を利用する「自然流下方式」と呼ばれる設備が建設された。

水道水の塩素殺菌

水が伝染病の大きな媒介物になっていることから、「水を消毒して供給する」ことの重要性が認識されるようになった。19世紀末には、イギリス、ドイツ、アメリカなどで水道水に塩素剤が試験的に使われ始める。21世紀になると塩素剤による消毒の研究がますます盛んになった。塩素剤は伝染病発生時の緊急時に使用されていたが、1902年にベルギー、1905年にはイギリスで継続的に使われるようになり、1912年にドイツで塩素注入器が発明されると、各地で塩素消毒が行なわれるようになった。
日本では1045年に終戦を迎えると、GHQ連合国軍最高司令官総司令部)から浄水場において消毒用の塩素を常時注入することが指示された。その後、政府は「水道管の末端においても0.1ppm(ppmは濃度の単位で100万分の1のスケールで割合を表す)の遊離残留塩素があること」を定めた。これは「水道法」に引き継がれて現在に至っており、浄水場では水を処理してきれいに安全なものにしたうえで、塩素や次亜塩素酸ナトリウムを投入して塩素殺菌をして家庭などに配水している。

世間の注目を集めた嘆願書

本章の最後は、ジヒドロゲンモノオキシド(一酸化二水素。略称DHMO)という科学物質の話で締めることにしよう。
DHMOは、私たちの身のまわりに気体、液体、固体の状態で多量に存在している。無色で無味・無臭の化学物質である。
この化学物質の危険性について、とくに世間の注目を集めたのは、1997年、アイダホ州の中学生ネイサン・ゾナーが行った調査が、地元の科学展で優秀賞を受賞して話題になったからだ。ゾナーは、「ジヒドロゲンモノオキシドの使用を禁止せよ」という嘆願書を作成し、街頭でDHMOの危険性を説明し、署名を集めた。
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しかし、化学物質DHMOはよく使われている。そのため、私たちの食べ物も私たちの体も大いに汚染されているままだ。ゾナーの署名活動の結果のように、この実態を知らせることで、多くの人がジヒドロゲンモノオキシドの使用を禁止することに賛成したのである。……と、ここまできて種明かしをしよう。
DHMOとは水H2Oのことである。