じじぃの「歴史・思想_496_思考地図・創造・着想は事実から生まれる」

Johan Peter Sussmilch (#UNACHI #MEDICINA #DEMOGRAFIA)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AAGT1WZ7YjE

Johann Peter Sussmilch

ジュースミルヒ コトバンク より

ヨハン・ペーター・ジュースミルヒ(1707年 ー 1767年)はドイツの統計学者。
穀物商の子として生れ,医学,解剖学,植物学などを学んだのち,ハレ,イェナ両大学で神学,哲学を修めた。第1次シュレジエン戦争に牧師として従軍,陣中で主著『神の秩序』 Die gottliche Ordnung in den Veranderungen des menschlichen Geschlechts,aus der Geburt,Tod,und Fortpflantzung desselben erwiesen (1741) を書いた。
「神の秩序」とは,ドイツが三十年戦争の荒廃にもかかわらず復興した事実をさす。これはドイツ各連邦の出生,死亡などの人口資料を集計し,そこに統計的法則を実証したもので,後世いわゆるドイツ大学派の統計学の基礎をつくった。

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筑摩書房 エマニュエル・トッドの思考地図 エマニュエル・トッド 著 大野舞 訳

【目次】
日本の皆さんへ
序章 思考の出発点
1 入力 脳をデータバンク化せよ
2 対象 社会とは人間である
3 創造 着想は事実から生まれる
4 視点 ルーティンの外に出る
5 分析 現実をどう切り取るか
6 出力 書くことと話すこと
7 倫理 批判にどう対峙するか
8 未来 予測とは芸術的な行為である
https://www.chikumashobo.co.jp/special/emmanuel_todd/

エマニュエル・トッドの思考地図』

エマニュエル・トッド/著、大野舞/訳 筑摩書房 2020年発行

3 創造 着想は事実から生まれる より

「発見」とは何か

私にとって「発見」とは、変数間の一致を見いだすことを意味します。とはいえ実際のところ、社会科学の研究者の大半はたいした発見をしません。理系の学問と異なり、すべてを科学的に確認するわけではありませんから。その意味では私の態度はどちらかというと、理系の科学者に似ているのかもしれません。
いずれにせよ、どんな領域であっても科学の出発点となるのは非常に膨大かつ複雑なデータです。それらのデータはたいてい入手困難ですし、データの収集や検討というのは、とにかく大変な作業なのです。ところがそんな作業をしていると、ある日突然、体系だったアイディアを思いつくのです。しかも、このおもいつきというのは、往々にしてそれ自体は非常にシンプルなものなのです。一般的に科学における「すばらしいひらめき、アイディアというのは、本質的に単純なものが多いです。アイディアを思いついた後に気づくのは、そのアイディアはだれにとって明白で、理解可能なものだということです。
ちなみに、アイディア、仮説、直感の違いをうまく定義するのは難しいので、私はそれらをまとめて「ブレーク」と呼んでいます。何かが思い浮かぶとき、それはテニスでいうブレークの瞬間なのです。興味深いことを見つけた、何かがある、という感覚です。あるいは収集したデータなどのなかに特異な点を見つけて、その意味を見いだすことができたりしたときのことを指します。

予想外のデータを歓迎する

人口学というのがいかに親しみやすい分野かということについては、その始まりにいくつかよい例があります。人口統計学の祖の一人、ヨハン・ペーター・ジュースミルヒは『神の秩序』(1741年)という本を書きました。デュルケームにも言えることですが、初期の人口学者が発見したのは、毎年の観察を重ねると人口がいかに規則正しい側面を持っているかという点でした。たとえば、人口に対して毎年ある程度の死亡件数があr、出生件数がある、といった規則正しさです。彼らが驚いたのは、人口とその社会の規則正しさだったのです。
ただ、私たちはその驚きが当然のこととなった時代を生きています。毎年どれだけ人が死んでいくのか、そのデータが見せる規則正しさに驚かされることは特にありません。もちろん、インフルエンザやエイズなどの影響もあったりはするのですが、自分自身がある程度安定した社会に生きているということも関係しているのだと思います。
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しかし驚くべきデータや数字に出会ったとき、それを単なるエラー、間違いだと思う可能性だってあります。SF作家のアシモフが書いた本のなかにこんな話がありました。人々はパストゥールというのはただ単に運がいい男だったんだよ、と話していたそうです。それに対してアシモフは、5年ごとに運が回ってくる奴というのは単純に偉大な学者ということなのではないか、と言うのです。
アインシュタインも同様です。私にとって偉大な学者、研究者というのは驚くべき数字や常識を逸したようなデータに出会っても、それを拒絶しない人です。確かに、データが間違っていることも、ときにはあります。社会科学だろうが物理学だろうがエラーというのはあります。ですから、データを批判的に分析してデータシートをきちんと見直すことも必要です。しかしこれらの作業は最後にすればいいことで、まず最初にしなければいけないのは、予期せずに出現した驚くべきデータに対して、それが新たな分野への道を切り開くものではないかと考えることなのです。
私自身、25ページくらいまで読めていないのですが、それでもやはりすばらしいと思うのは、アインシュタイン相対性理論です。そのころの物理学というのは壁にぶち当っていました。それは相対性理論とマイケルソ=モーリーの実験に基づいた光速度不変の原理との矛盾でした。これらの2つは絶対的な矛盾として考えられていたわけです。しかしアインシュタインはここで、ではこの2つの原理が真実だったらどうなるか、と説くのです。そこからアインシュタイン相対性理論が生まれ、それまでのニュートン物理学を根底から再検討することにつながっていったのです。私自身がこのような偉大な発見をしていると言いたいわけではありません。驚くべきデータを排除しない、無視しないというのがいかに重要かということです。
研究者というのは図書室にこもっているタイプの人間が多いので実際に移動をする冒険家ではありませんが、研究も旅行のようなものなのです。データのなかを散歩して、すごく目立つ偉大な建造物を発見するというわけではないのですが、「あれ?」と思うような数値に出くわすことがあるのです。私はあまり旅行しませんが、わりと洞察力に長けていると思います。そしてちょっとおかしいと思うことにすぐ気づく傾向にあります。

誰かに評価してもらうこと

本を出版したときも、どこの国の誰かもわからない人たちからもポジティブな批評が届き、それに励まされたりしました。このように誰かによる温かい励ましというのがつねにあったからこそ進んでこられたのだと思います。どこかにかならず自分を評価を評価してくれる人がいると信じること、そしてその存在に気づくことというのは、アイディアを育み、研究し続けるうえでかけがえのないものなのです。
こうやって自分がどうやってアイディアを得てきたのか、そのプロセスを描いてみると、かなり偶然や無意識の部分も多いことがわかります。乱雑さの連続、偶然、学業の放棄の危機など、何も予定調和通りに進んだことではないことばかりです。しかし、それでもその裏には、じつは無意識の意図や絶対的な使命感のようなものもあると思うのです。そしてそれらが、あらゆる目の前の明白な事実に対して表出してくるのです。揺らいだりすることもありますが、何ものにも破壊できない底力みたいなものが最終的にまさってきたのです。