じじぃの「歴史・思想_493_思考地図・序章・思考の出発点」

エマニュエル・トッド (著)「エマニュエル・トッドの思考地図 (筑摩書房) 」- 著者にインタビュー / シード・プランニング【Seed Planning, Inc.】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZVq5sZ1OyAA

エマニュエル・トッドの思考地図」読後感

2021年02月08日 のとみいの日記
エマニュエル・トッド氏のインタビューを本にした『エマニュエル・ドトッドの思考地図」をKindleで読了。
リアル本屋で見ていて見つけた本。
http://blog.livedoor.jp/shinkozo/archives/57654392.html

筑摩書房 エマニュエル・トッドの思考地図 エマニュエル・トッド 著 大野舞 訳

【目次】
日本の皆さんへ
序章 思考の出発点
1 入力 脳をデータバンク化せよ
2 対象 社会とは人間である
3 創造 着想は事実から生まれる
4 視点 ルーティンの外に出る
5 分析 現実をどう切り取るか
6 出力 書くことと話すこと
7 倫理 批判にどう対峙するか
8 未来 予測とは芸術的な行為である

                  • -

エマニュエル・トッドの思考地図』

エマニュエル・トッド/著、大野舞/訳 筑摩書房 2020年発行

序章 思考の出発点 より

思考を可能にする土台

私は研究者としてユニークな視点から物事を分析すると言われます。しかし、私の思考もそうした大きな枠組みのなか、そして歴史のシークエンスのなかに組み込まれれいる一部なのです。これが思考というものが成り立つうえでの条件です。
私の研究も同様です。それは歴史研究の長いシークエンスに組み込まれたものです。私の研究は、アナール学派[多様な歴史的資料を駆使し、過去の生活を総体的に抽出することをめざした歴史学の一潮流。20世紀フランス歴史学の主流をなす]から始まり、ケンブリッジの歴史人類学に学び、それはさらにピーター・ラスレット[1915ー2001年。イギリスの歴史人口学者]が発見した核家族から、アラン・マクファーレン[1941年ー。イギリスの歴史学者・人類学者]がそれを個人主義と結びつけた流れに連なるものです。研究者としての活動というのは、たくさんの個人が関わってきた研究シークエンスの一部を成すものなのです。
もちろん、ある個人が解を見いだしたり、あるいはそこにたどり着く道を発見したりすることはあります。ですが、基本的には個人がもたらすものは問いなのです。以前の研究者が出した問いに答える、そして、それに反論したり、あるいはそれを受けて別の問いを提出する――こうしてみると、研究というのは問いと答えの連鎖なのです。研究という観点から見たとき、思考というのは、こうした歴史的な連なりと蓄積のうえに成り立っているわけです。
今日、世界について思考をするのは本当に困難なことです。一方では、世界が流動化していくなかで、考慮しなければいけない変数はますます増え、他方で思考の土台である集団的な枠組みや歴史的連累が、ネオリベラリズムによってどんどん掘り崩されてしまっているわけですから。逆に言えば、そうであるからこそ、思考とはどういう営みなのか、人間にとって思考とは何なのかといったことについて、改めて検討すべきときなのだとも言えるでしょう。

思考のフレーム

さて、知性の話に戻りましょう。私は知性というのはほとんど平等に存在するものだと考えていますし、考えるという能力はだれにでも備わっているものだと思っています。思考そのものはとっさの行為、自然発生的な行為です。しかしもちろん、これを思考法として「学ぶ」ことも「磨く」こともできます。
私の場合は、思考にフレーム(枠組み)を与えてくれたのが統計学でした。のちほど詳述しまうが、私にとって考えるというのはデータを蓄積するということで、データの関連性を見つけることや地図を比較することは、ほとんど自然発生的にできることです。しかし、その後に統計学がフレームとしての役割を果たすのです。言い換えましょう。自然発生的なとっさの思考というのは、いわば「思いつき」あるいは「気づき」のようなもので、それ自体を方法論として体系化として体系化することは困難です。ですが、そこで生まれたものは何らかの手段で検証しなければなりません。こうした着想の検証やデータ分析の際に――私の場合は統計学という――フレームが重要な役割を果たすのです。
このフレームを学ぶことや、知的な事柄も分業することが可能になります。たとえば技術の習得や行政の規約策定やら歴史学的考察といった知的な作業をすることができ、これらの領域で専門性をもつことが可能になるのです。
そして、私は知性には大まかに3つの種類があると思っています。まずは処理能力のような頭の回転の速さ、次に記憶力、そして創造的知性です。

機能不全に注目する

私はこれまで、自分自身の知性のあり方や思考法についてはあまり自覚的に考えてきませんでしたし、いまでも明確な方法論があるとは思っていません。これから詳しく述べていきますが、私にとってそのプロセスというのは、完全に無意識で運しだいでもあり、言うなればシステ身の機能障害のような状況と密接に結びついているのです。

アルゴリズム思考」なる言葉がありますが、これほど私の思考法と相容れないものはありません。つまり、私にとって思考のプロセスとは、たとえばコンピュータの処理などとは真逆のプロセスなのです。

もちろん、先に述べたとおり、ある程度の処理能力は社会を理解するために必要です。ですが、社会を理解することは、必ずしも社会について考えることを意味するわけではないのです。社会を考えるためには、機能不全や一見関係のないもののつながりに気づくことが何よりも大切です。聴力に長けている人は音で関連性を見いだすこともできるでしょうし、私のように視覚から入る人間は、イメージとイメージをつなげていくことで関連性を見いだします。私が研究の際にしばしば地図製作などを用いるのも、じつはそれにつながっています。さまざまな事柄を関連づけるとともに、通常の状況から外れたものに関心をもつこと、それが思考の出発点だと言えるのではないでしょうか。