じじぃの「東日本大震災から10年・盗作疑惑・大地の子!遠藤誉・卡子の検証」

大地の子5 中国語字幕

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遠藤誉

ウィキペディアWikipedia) より
遠藤 誉(えんどう ほまれ、1941年1月3日 - )は、日本の物理学者、社会学者、作家。中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士。
【人物】
『卡子』は、満州での脱出行の体験を基に執筆されたが、 1997年1月13日、山崎豊子の『大地の子』が『卡子』の盗作であるとして提訴。 自論を主張する『卡子の検証』まで上梓したが敗訴。
子供が2人、孫が2人いる。

山崎豊子

ウィキペディアWikipedia) より
山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年大正13年)1月2日 - 2013年(平成25年)9月29日)は、日本の小説家。本名、杉本 豊子。
【評価】
「日本のバルザック」と呼ぶファンがいる一方、参考とした資料をほとんど脚色せず作品に反映させたため、盗作との指摘を資料の執筆者から何度も受けている。
1968年(昭和43年)、『婦人公論』に連載中だった長篇小説『花宴』の一部分がレマルクの『凱旋門』に酷似していることを指摘されている。山崎は、秘書が資料を集めた際に起った手違いであると弁明したが、その後さらに芹沢光治良巴里夫人』や中河与一『天の夕顔』からの盗用も判明したため日本文芸家協会から脱退した(1969年に再入会)。さらに、婦人公論の編集長が辞任。1973年には『サンデー毎日』連載中の『不毛地帯』において、今井源治『シベリアの歌』からの盗用があるとして問題となった。
1987年から文藝春秋で連載された『大地の子』をめぐっては、遠藤誉(当時筑波大学教授)から自著『卡子(チャーズ)―出口なき大地―』に酷似しているとして訴訟にまで発展した(裁判では遠藤の主張は認められなかった)。
大地の子』の編集者によると、山崎は「長編に6~7年かかるが、失敗したら6~7年がパー(ゼロ)や。」と大阪弁で言ったが、長編に取り掛かると短編も書かない。エッセイも『大地の子』関連しかしない。対談も講演もしない。前作を超えるものを自分に課していた。そのために取材し、イマジネーションと(取材した)事実を往復する事で、イマジネーションを超える事実に行き着いた。

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『卡子【チャーズ】の検証』

遠藤誉/著 明石書店 1997年発行

第3章 長春は今、6時半なり より

卡子(チャーズ)に捧げる碑文

山崎豊子の最初の東洋疑惑事件は1968年、『花宴』に関して発生した。レマルクの『凱旋門』をはじめとして、芹沢光治良の『巴里夫人』から2ヵ所、中河与一の『天の夕顔』から3ヵ所の盗用疑惑がが報じられたのである。あれからおよそ30年間にわたって、絶えず、ここまで盗用疑惑を持たれ続けた人が、なぜ今日まで放置され続けたのだろう。これは日本という国の有り様の問題なのかも知れない。
最初の盗用疑惑の時の社会の反応は見事(みごと)だった。
過去の資料に当ってみると、モラルの問題として全マスコミが怒っている。作家も実に歯切れ良く道義の問題を糾弾した。
被害者の一人である芹沢光治良氏は、作家というものは読者に対して責任があるとした上で、山崎豊子の盗用疑惑を次のように糾弾している。
  あの人は私の小説の全くフィクションの部分を使っているので、これは私が骨までしゃぶられたということです。
この「骨までしゃぶられた」という表現は、被害者にとってまさに的確な表現で、私も山崎豊子に対して、同じ言葉を言いたい。しかも私の場合、盗用個所はいったい何百ヵ所に及ぶのか、数えるのも大変なほどだ。
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ジャーナリズムの神髄は何なのだろうか。本来、知性の先鋭であったはずではなかったのだろうか。
文春も、NHKも、いかなる知性と良心を持っているのだろう。文春は民間企業という言い逃れをするかもしれないが、少なくとも、NHKには、その弁解は許されない。モラルと姿勢は徹底して追求されるべきである。
NHKは国を背後に背負っているだけに、その罪は重い。山崎豊子が1968年から度重なる盗用疑惑を受け続けてきた人間であることを十分承知し、『山河燃ゆ』で『二つの祖国』の盗用疑惑をNHK自身が経験しながら、また同じ罪を繰り返した。
今回は、『大地の子』と拙著が酷似しているのを発見し、再びの可能性を疑い、わざわざドラマ化の可否に関わる検討を行っている。だから文春に問い合わせた。本当に問題はないのか、今回は大丈夫なのかと。文春はそれに対し「問題なし」と答えているらしい。
そしてNHKもやはり、原作者である私には問い合わせようとはしなかった。
「問題あり」という回答が来るのがこわかったからだろうか。創立70周年記念番組を成功させる方が優先されたのかもしれない。問題ありとなれば、この計画は潰れてしまう。確認を怠らせたのは、やはりモラル喪失が招いた結果なのだろうか。
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仮にある母親が最愛の息子を失い、その死の場面がビデオに撮られていたとしよう。その母親にとって、そのビデオを画像として見せつけられる以上に残酷な痛みがあり得るだろうか。母親は来る日も来る日も痛みに耐えて生き、その場面を忘れよう忘れようと努力して振り切って生きてきたはずである。その場面を面白おかしく、「見せ場」あるいは「見世物」として扱われ画像で全国にばらまかれたとしたら、これ以上の罪があり得るだろうか。もし母親が何かの罪を犯しているとして、刑罰を受ける場合、これ以上の酷(むご)い罰の与え方があり得るかどうか考えてほしい。電気椅子で一思いに殺された方がどれほど楽かは、誰の目にも明らかだろう。
それが人間の尊厳なのである。その尊厳はなに人(びと)たりとも侵してはならない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
遠藤誉著『卡子【チャーズ】の検証』を読んだ。
この本は、山崎豊子著『大地の子』が、遠藤誉著『卡子』の盗用ではないかとの疑念から、著者が厳密な対照を行った本である。
著者は本のなかで、『大地の子』に書かれていることが「私が体験した事しか書いていない。この奇妙な一致は不思議なことだ」と書いている。
「仮にある母親が最愛の息子を失い、その死の場面がビデオに撮られていたとしよう。その母親にとって、そのビデオを画像として見せつけられる以上に残酷な痛みがあり得るだろうか。母親は来る日も来る日も痛みに耐えて生き、その場面を忘れよう忘れようと努力して振り切って生きてきたはずである。その場面を面白おかしく、「見せ場」あるいは「見世物」として扱われ画像で全国にばらまかれたとしたら、これ以上の罪があり得るだろうか」
2011年3月11日、東日本大震災が発生。巨大津波東京電力福島第一原発事故という大災害が起きた。
関連死を含めて約2万人の人々が亡くなった。
当時、外国では津波で襲われている様の映像を生々しく放映しているのに、なぜ日本では遠くからの映像しか流さないのだろうと不思議に思っていた。
それは、日本人が被害にあった人々と気持ちを共有しているからだった。
こんなことを今さら感じるというのも、やはりどこかおかしい。