じじぃの「歴史・思想_494_思考地図・入力・脳をデータバンク化せよ」

エマニュエル・トッドの思考地図

2021.02.28 徳本昌大の書評ブログ
では、どうすれば、新たな視点を持ち、課題を解決できるアイデアを生み出せるようになるのでしょうか?
今までにイギリスのEU離脱リーマン・ショックソ連崩壊など数々の予測を的中させてきた著者は、知的活動のフレームワークを使えばよいと言います。「入力→思考→出力」3つのフェーズを経ることで、私たちは新たなアイデアを生み出せるようになります。
https://tokumoto.jp/2021/02/36796/

筑摩書房 エマニュエル・トッドの思考地図 エマニュエル・トッド 著 大野舞 訳

【目次】
日本の皆さんへ
序章 思考の出発点
1 入力 脳をデータバンク化せよ
2 対象 社会とは人間である
3 創造 着想は事実から生まれる
4 視点 ルーティンの外に出る
5 分析 現実をどう切り取るか
6 出力 書くことと話すこと
7 倫理 批判にどう対峙するか
8 未来 予測とは芸術的な行為である
https://www.chikumashobo.co.jp/special/emmanuel_todd/

エマニュエル・トッドの思考地図』

エマニュエル・トッド/著、大野舞/訳 筑摩書房 2020年発行

1 入力 脳をデータバンク化せよ より

まず、全体の見取り図を示しておきましょう。あらゆる知的活動は、基本的に「入力(インプット)→思考→出力(アウトプット)」という3つのフェーズで構成されます。「入力」というのは読書などを通じたデータの蓄積、「思考」というのは脳内での処理プロセスのことで、「着想」「モデル化とその検証」「分析」などに細分化できます。「出力」というのは、言うまでもなく話したり書いたりすることでそれを伝えていくことですね。もちろん、この流れが絶対というわけではありません。それは研究の対象や内容によって異なってくるものです。

研究者とは旅人である

以前は、研究というのは図書館にこもってすることでしたが、いまやインターネットがあります。インターネットはすばらしいです。データや数字を見ることが大好きな私のような人間にとってインターネットは本当にすばらしいツールなんでです。もちろん間違った情報もあるでしょう。でも逆に本当の情報にもあふれているのです。
私はずっとこのように、データのなかをふらふらと散歩しているわけです。昔であれば研究所の資料室でデータ年間を眺めたり、今日ではインターネットでデータの検索をしたりというふうに。私は、インターネットというのは人々の生活を巨大な図書館に変えたツールだと考えてきました。インターネットというのは図書館なのです。インターネットに間違った情報がたくさんあるとはいっても、図書館でとんでもない本に巡り合うことも十分にありうることなのですから。
インターネットの検索履歴を見ると自分が何に興味を持っているか、すぐわかります。最近だとイギリスの選挙結果[2019年の総選挙のこと]を調べていることがわかります。そこから、カトリックプロテスタントの関連性など、北アイルランドの宗教の状況について調べたりしていました。それから出生率の変遷なども調べました。
とにかく私は興味を持った」ことを調べるのが好きなのです。インドの菜食主義者に関するデータを見たり、識字率を調べたり、私のいつもの指標をもとに、乳児死亡率を調べたりもしました。というのも、2030年には全世界で識字率がほぼ100%になるだろうと以前言ったことがあるのですが、実際に調べてみると乳児死亡率があちこちで低下していることが確認でき、出生率も低下し、女性の識字率も向上していることが確認できました。ですから、発展途上国では物事が速いスピードで変化していると言えます。一方で、先進国は停滞し、また社会には何か迷いのような感情が漂っています。このようなコントラストを再認識し、それでも社会が進歩し続けているということも間違いないと思ったのです。でもだからといって、これを使って何かするわけではありません。
このような、なんの目的もなく、世界でいま何が起きているのかを知るために、ただ、数値データを眺めるというのも大切なことです。

結論づける勇気

このように、私の研究、思考のプロセスは逸脱と言えるものです。というより、逸脱しなければいけないのです。しかし、そうしつつも研究の軸を完全に見失ってもいけません。いまの私の研究で話を進めると、現時点の目的というのを定めています。それは農業の発展、女性・男性の地位、国家権力の出現、戦争、宗教と呪術の役割、迷信などの関係性をまとめた仮のモデルを描くことです。そしてモデルが出来上がった時点で、ここまで行ってきた「自由な読書」を終わらせなければいけません。
つまり、こういうことです。膨大な文献を読みながら時間をかけて自分のテーマから逸脱していくことは研究において必要不可欠な過程ですし、そこには大きな喜びがあります。しかし、いつまでもそこに留まったままでいることはできません。研究においては、逸脱を繰り返した後に意志を持って、思い切ってこうだ、と結論づけなければならないときというのがやってくるのです。
知的生産のプロセスのなかで新たな学説や見方を生み出し、それを提示するためには、しっかりと脳が動いていなければなりませんし知識の蓄積も必要ですが、最後の最後に何が必要かというと、勇気なのです。決断し、結論づける勇気、そして自分が誤っているかもしれないというリスクも含めて決断するという勇気が必要なのです。正しいかどうかなど最後までわからないものです。そして、正しかろうが間違っていようが人々から向けられる怒りや批判に向き合う勇気も必要です。
決断への恐れというのは他人の反応などに対する押されではなく、むしろ自分のなかにあるものだと思います。
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いずれにせよ、非常に楽しい自由な読書、逸脱というフェーズがここで終了します。そのあとにくるのが、確認・検証のための読書、さらなるデータ蓄積のフェーズです。ここで仮のモデルの有効性を確認するのです。制約に縛られた(なかば強制的な)読書が始まります。たとえば家族システム、経済などについての制約つきの読書です。さらにその後、知識が欠けている部分を埋める作業が続きます。これは最初のフェーズに比べて面白くない作業なのです。それから、検証が終了したら、本の構成を練る作業をして、執筆に取り掛からなければいけません。この時点で、研究の残り5%にたどり着くのです。