じじぃの「人の生きざま_752_王・滬寧(中国の政治哲学者・党指導理論ブレーン)」

第19回中国共産党大会 政策ブレーンの王滬寧・党中央政策研究室主任(62)が政治局員から昇格 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Z0W-iMYlmNo
中国AIIBの罠に嵌ったトランプ大統領!中国AIIBの野望はウオールストリートの北京移転!クシュナー氏に待つチャイナ・ゲート!【遠藤誉】 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7sXowcrF-fs
王滬寧(おうこねい)

「一帯一路」構想

汪洋、韓正両氏が昇格か 最高指導部7人全員が判明と香港紙 2017.10.22 産経ニュース
サウスチャイナはこれまで複数の消息筋の話として、反腐敗を指揮する党中央規律検査委員会書記に趙楽際・党中央組織部長(60)、全国人民代表大会全人代)常務委員長に習氏最側近の栗戦書・党中央弁公庁主任(67)が就くと報道。政策ブレーンの王滬寧・党中央政策研究室主任(62)も政治局員から昇格し、宣伝・思想部門を担当すると伝えた。
http://www.sankei.com/smp/world/news/171022/wor1710220022-s1.html
ワイドスクランブル 2017年4月19日 テレビ朝日
【司会】橋本大二郎大下容子 【コメンテーター】遠藤誉(東京福祉大学・国際交流センター長)
●米国&中国“蜜月”舞台裏・キーマン不在が歴史を変えた
習近平には7人の影のブレーンがいる。中でも突出しているのは王滬寧(おうこねい)だ。
王滬寧は江沢民胡錦濤習近平と3代続けてブレーンを担ってきた。
遠藤誉、「キーマン 王滬寧の不在が歴史を変えた。先日行われた米中首脳会談の夕食会で、トランプ大統領が習主席にシリアへ攻撃したことを伝えたが、習主席は10秒間も無言だった。その後容認した。会談の時は習主席の右側に座っていたが、晩餐会のときは王滬寧が不在だった。その後、習主席が王滬寧に相談したことから、トランプ大統領との米中電話首脳会談が実現し、中国が“米中蜜月”を演じて北朝鮮に恐怖を与え、譲歩を引き出そうとしている」
http://www.tv-asahi.co.jp/scramble/
王滬寧 ウィキペディアWikipedia) より
王 滬寧(おう こねい、ワン フーニン、1955年10月6日−)は中華人民共和国の政治哲学者 、政治家。第18期中国共産党中央政治局委員、党中央政策研究室(zh)主任。復旦大学教授。「中南海シンクタンク」と呼ばれる。
【党指導理論のブレーン】
滬寧は1980年代にはすでに「半月談」(新華社発行)など時事雑誌の表紙を飾る青年学者として有名であり、中国共産党上海市委員会宣伝部の注目を得て、第13回全国代表大会以降、党の重要理論の起草に関わってきた。
1993年に「国際中国語大学ディベート大会」で復旦大学ディベートチームを率いて優勝し、さらに名声を高めた。
1995年、曽慶紅・呉邦国の強い推薦により、江沢民総書記(当時)によって党中央政策室政治グループ長に任命され、「三つの代表」、「科学的発展観」など重要理論の起草に直接関与した。滬寧は江沢民胡錦濤時代の中国共産党指導理論ブレーンであった。
2007年10月、第17期中央委員会第一全体会議で中央書記処書記に選出され、訒力群以来の理論家による書記処書記就任となった。 2012年11月、第18期中央委員会第一全体会議で、中央政治局委員に選出された。

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習近平のブレーンは誰だ?――7人の「影軍団」から読み解く 2016/4/25 Yahoo!ニュース
遠藤誉(東京福祉大学・国際交流センター長)
習近平の「影軍団」――7人の「帝王師」たち
習近平には中共中央政策研究室主任の王滬寧というブレーンがいることは、中共中央で知らない者はいない。
しかし、実はそれ以外にも、王滬寧を含めた「7人の影軍団」(7人のブレーン)がいることを知っている者は、そう多くはない。中国の巷では「影軍団」のことを「帝王師(ていおうし)」とささやく者もいる。「帝王師」とは「皇帝の老師(ろうし)」のことだ。皇帝を創りあげるための賢者で、控え目で目立たず、信頼のできる「切れ者」であることが要求される。これは中国古来からの習わしと言っていいだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20160425-00056974/
習近平vs.トランプ――世界を制するのは誰か』 遠藤誉/著 飛鳥新社 2017年発行
一帯一路構想はいつから練り出されたのか より
一帯一路構想のスタートと経緯を見ると、中国の意図がもっと明らかになる。
習近平は盛んに「これは私が思いついた構想で、私が付けた名前だ」といっているが、それは二重の意味でちがう。
この構想は胡錦濤政権(国家主席:2003年〜2013年。中共中央総書記:2002年〜2912年)時代に、すでに胡錦濤が「新シルクロード経済ベルト」という言葉を使って提唱していた。
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胡錦濤が使っていた「新シルクロード経済ベルト」を海路にまで伸ばし、「陸と海の新シルクロード経済ベルト」として「一帯一路」という言葉を使い始めたのは、たしかに習近平政権に入ってからだ。ただ、習近平が「これは私が思いついた構想」というのは間違いで、命名も、習近平のあのブレーン、王滬寧(おうこねい)によるものと考えていいだろう。
そしてこれはアメリカを中心にしたAPECアジア太平洋経済協力)やTPP(環太平洋パートナーシップ)に対抗して生まれたものといえる。