中華民族の偉大なる復興・習近平のパックス・チャイナとは!経済成長という呪い

十三五之歌 The 13 WHAT - A song about China's 13th 5-year-plan 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?time_continue=16&v=LhLrHCKMqyM
中国から見た太平洋

ベンチャー企業の集まる深圳

プライムニュース 「習近平新体制スタート 中国の思惑と世界戦略 軍事力増強で日米は?」 2017年10月25日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】松川るい自由民主党参議院議員)、天児慧早稲田大学大学院教授)、朱建榮(東洋学園大学教授)
18日から始まった中国共産党大会は、冒頭に習近平総書記が「活動報告」で「社会主義現代化強国」を築くという新たな目標を掲げ、規約改正などの重要事項を決定、24日に閉会した。そして、党大会で決まった新たな中央委員による党中央委員会総会が始まり、党執行部である新たな政治局常務委員が決まる予定だ。
定員7名の常務委員のうち、いわゆる「習派」は何人入るのか?注目の“ポスト習氏”の面々は?党大会の結果と常務委員の顔ぶれから、習総書記の権力基盤の現状と国家運営の今後を読み解くとともに、対日政策の行方や日本がとるべき対応などについて議論する。
習近平新体制スタート 『社会主義現代化強国』
党の歴史的使命について、習近平の発言。
1921年に党が誕生し中国人民の闘争に大黒柱が生まれた。偉大な中華民族アヘン戦争後に暗黒状態に陥り苦難をなめ尽くした。今や中華民族の偉大な復興に近づき、これまで以上の自信と能力を持っている。全党は党の指導と社会主義制度を堅持し、否定する一切の言動に断固反対しなければならない。
松川るい、「習近平訒小平毛沢東の間をいこうとしている。経済や科学技術などで必要な発展は確保しないといけないと思っているが、習近平は徹頭徹尾社会主義者マルクス主義者なので、やりかたが正しいと思っている。今度の発言で、党の指導が必要だ、と何百回も出てくる。ここに書かれている一切の言動に断固反対しなければならないというのは共産党の支配、監督がすみずみまで行き渡らないと中国が発展できないし、秩序が保たれないし、駄目になってしまうと思っているからだ。政党からすると懸念は中国の敵は人民。党の指導に関わる部分に関しては一切容赦をしないと、密告しあいましょうと、これは毛沢東時代と同じ。中国はアメリカまで行く軍隊にしようとしている。太平洋に出るための出口は限られている。沖縄とか尖閣諸島が安全保障上、中国の要求が減ることはないだろう」
提言 「日本は習近平政権の強国化戦略とどう向き合うべきか」
天児慧 「聖徳太子精神を毅然、学ぶ、和」
 聖徳太子精神というのは毅然とするという意味。中国はこれからどんどんイノベーションで発展していく。聖徳太子は隋に遣隋使を派遣して学んだ。最後は和をもって尊しとなす。そういう気持ちをもう1回思い出そうということです。
朱建榮 「日中長期戦略の対話」
 習近平政権は今回2050年までの戦略を打ち出した。日本もこれから20〜30年後の姿を考えて対話する。尖閣を取られるという心配をするなら日本が率直に議論し、互いに30年も触れないようにする凍結の行動をしてもいいのではないか。
松川るい 「硬軟+仲間」
 毅然として守るべきものは守る。それといろんなことを柔軟に中国と向き合っていく。日本は自分と戦略的に価値を共有する仲間、アメリカ、オーストラリア、インドと連携しながら、中国と向き合っていく。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d171025_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d171025_1
中国の"新皇帝"習近平がねらう「日本潰し」、そして「パックス・チャイナ」という野望(近藤 大介) 2016.06.24 講談社
このたび、『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』(講談社現代新書)を上梓した。
古代の地中海世界で展開された「パックス・ロマーナ」(ローマ帝国のもとでの平和)、産業革命後の「パックス・ブリタニカ」(大英帝国のもとでの平和)、第二次世界大戦後の「パックス・アメリカーナ」(超大国アメリカのもとでの平和)などに続き、習近平主席は21世紀のアジアに、パックス・チャイナ中華帝国のもとでの平和)の構築を目指している。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48975
汪洋、韓正両氏が昇格か 最高指導部7人全員が判明と香港紙 2017.10.22 産経ニュース
サウスチャイナはこれまで複数の消息筋の話として、反腐敗を指揮する党中央規律検査委員会書記に趙楽際・党中央組織部長(60)、全国人民代表大会全人代)常務委員長に習氏最側近の栗戦書・党中央弁公庁主任(67)が就くと報道。政策ブレーンの王滬寧・党中央政策研究室主任(62)も政治局員から昇格し、宣伝・思想部門を担当すると伝えた。
http://www.sankei.com/smp/world/news/171022/wor1710220022-s1.html
クローズアップ現代+ 「シリーズ 習近平の中国② 加速する“創新(イノベーション)”経済」 2017年10月18日 NHK
【キャスター】鎌倉千秋 【ゲスト】馬淑萍(国務院発展研究センター)
権力集中を強める習近平国家主席のもと、変貌する中国の姿を伝えるシリーズ。2夜目は、新たな成長モデルを模索する中国経済の最前線。キーワードは高付加価値の産業創出を目指す“創新”経済。
「皆が起業し、技術革新を起こそう」という掛け声のもと、IT技術を生かしたイノベーションが生活を一変させている。“創新”は、一時の勢いを失いつつある中国経済起爆剤となるのか?中国企業の開発力を取り込もうとする日本企業の姿とともに伝える。
今後5年の中国の行方を決める共産党大会が、きょう開幕。2期目を迎える「習近平の中国」をシリーズでお伝えします。
第2回は創新・イノベーションによって大きく変貌する中国の経済です。
スマホ1つで支払いできる電子決済。
現金を持たない生活が当たり前になろうとしています。
誰でも簡単に映画のような映像を撮影できる最新鋭のカメラ。
中国発の新しい製品やサービスが次々に生み出されています。
例えば、電子決済です。QRコードスマホで読み取りアプリで料金を支払うと銀行口座からすぐに引き落とされる仕組みです。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4048/index.html
『逆説の世界史 2 一神教のタブーと民族差別』 井沢元彦/著 小学館 2016年発行
遠征と聖地エルサレム キリスト教VSイスラム教「連鎖する憎悪」の原点 より
最終的に3つに分裂してしまったイスラム帝国のうち、最も有力だったアッバース朝が建国の翌年の西暦751年に、タラス河畔の戦いで当時の中国「唐」の大軍を破った。そこで捕虜となった唐人に製紙職人がいて、その結果、イスラム社会ひいては西欧社会に紙の製法が伝わったということは、文化史そして情報史上に大事件として特筆しておかねばなるまい。
現在の欧米社会には他の社会に対する歴史的偏見がある。英語「ペーパー(paper)」の語源はエジプトの「パピルスpapyrus)」であるが、パピルスは紙ではない。植物の繊維を張り合わせただけで、折りたたむと破損してしまう。だから巻物(スクロール)にするしかない。しかし、紙は植物の繊維を砕いて鋳物のように成形したもので、前後左右に折りたためるという決定的な長所がある。これによって初めて冊子(コーデックス)つまり一般に言う「本」を作ることが可能になった。これは人類の文明に対する偉大な貢献である。その功績は中国人のもので、エジプト人や欧米人のものではない。

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『経済成長という呪い 欲望と進歩の人類史』 ダニエル・コーエン/著、林昌宏/訳 東洋経済新報社 2017年発行
中国の絶頂期と衰退――モンゴルという外的要因 より
ローマ帝国崩壊後、西洋は長い冬眠に入った。冬眠から目覚めた西洋は、世界の人々が西洋など必要とせず暮らしていたのを目の当たりにした……。11世紀から13世紀ごろに始まったヨーロッパのルネサンスは、東洋への憧れに満ちていた。ヨーロッパのルネサンスは、マルコ・ポーロの旅にロマンを感じた。ヴェネチアはは東洋との交易で富を築き、ヴェネチアをモデルとする大商業都市ジェノバァ、アムステルダム、ロンドン)も繁栄した。クリストファー・コロンブスが出航したのは、インド航路を発見するためだった。この発見がコロンブスでなくユーラシア大陸のどの国の人物であっても、イギリス、スペイン、ポルトガルが行なったのと同じように、アメリカ大陸は開拓されただろう。
たとえば、1405年、(明の)武将の鄭和は、300隻の船、2700名の船員、180名の医師を引き連れ、南京からスリランカ、そしてアフリカまで航海した。鄭和羅針盤を利用し、飲料水のための補給船を確保した。一方、コロンブスには、3隻の船、90人の船員しかなく、飲料水の補給船や羅針盤はなかった。しかし、中国は航海を中断した。というのは、中国はヨーロッパに向かう新たな航路の発見にあまり興味をもたなかったからだ。そうした事情はヨーロッパ側にとっても同様だった。
西洋が再び飛躍するきっかけになった大きな発明は、羅針盤(航海のため)、活版印刷術と紙(知識の伝達のため)、火薬(戦争のため)だ。何とそれらすべての発明は、中国のものである。実際、14世紀の中国は、その4世紀後にヨーロッパで勃興する産業革命の一歩手前の段階にあった。宋の時代の11世紀と12世紀に、イアン・モリスによると、中国はローマを追い抜き、絶頂期にあったという。市場には農産物だけでなく、「紙、麻、絹、桑の葉」などの新製品が出回っていた。
しかし、中国のルネサンスは、13世紀のモンゴルの略奪という外敵要因によって打ち砕かれた。さらに、西洋が飛躍した要因の1つは、モンゴルの脅威が終ったことであった。すなわち、16世紀にイヴァン4世(雷帝)が東洋と西洋を結ぶロシアのステップ地帯にある交通路を遮断したのだ。モンゴルの略奪によって壊滅的な被害を受けた中国の産業レベルは、その後、14世紀よりも後退し、明の王朝の再興にもかかわらず、過去の勢いを取り戻すことはなかった。ケネス・ポメランツによると、中国における産業の衰退には地理的なめぐり合わせがあるのではないかという。モンゴルの侵略により、中国の知識および政治の中心地は中国南部に追いやられたが、中国の場合、イギリス発展の決め手になった石炭の産地は、中国北部に位置していたのである。