じじぃの「科学・地球_21_科学とはなにか・日本の科学技術のあり方」

[JAPAN] Erwin von Balz, M.D. Tribute

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jFkrJL4W0vw

エルヴィン・フォン・ベルツ

エルヴィン・フォン・ベルツ

ウィキペディアWikipedia) より
エルヴィン・フォン・ベルツ(独: Erwin von Balz、1849年1月13日 - 1913年8月31日)は、ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとり。27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。滞日は29年に及ぶ。
【ベルツの日本観】
彼の日記や手紙を編集した『ベルツの日記』には、当時の西洋人から見た明治時代初期の日本の様子が詳細にわたって描写されている。そのうち来日当初に書かれた家族宛の手紙の中で、明治時代初期の日本が西洋文明を取り入れる様子を次のように述べている。
  日本国民は、10年にもならぬ前まで封建制度や教会、僧院、同業組合などの組織をもつわれわれの中世騎士時代の文化状態にあったのが、一気にわれわれヨーロッパの文化発展に要した500年あまりの期間を飛び越えて、19世紀の全ての成果を即座に、自分のものにしようとしている(「横領しようとしている」の異訳あり)。
このように明治政府の西洋文明輸入政策を高く評価しその成果を認めつつ、また、明治日本の文明史的な特異性を指摘したうえで、他のお雇い外国人に対して次のような忠告をしている。
  このような大跳躍の場合、多くの物事は逆手にとられ、西洋の思想はなおさらのこと、その生活様式を誤解して受け入れ、とんでもない間違いが起こりやすいものだ。このような当然のことに辟易してはならない。ところが、古いものから新しいものへと移りわたる道を日本人に教えるために招聘された者たちまで、このことに無理解である。一部のものは日本の全てをこき下ろし、また別のものは、日本の取り入れる全てを賞賛する。われわれ外国人教師がやるべきことは、日本人に対し助力するだけでなく、助言することなのだ。

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『科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点』

佐倉統/著 ブルーバックス 2020年発行

第7章 「今」「ここ」で科学技術を考えること より

福沢諭吉が書いた科学書

教養のため、啓蒙のための科学というのは、明治以来の日本において一貫している特徴だ。
近代日本の社会啓蒙活動のリーダーとして活躍した福沢諭吉(1835~1901)は、生涯に60冊弱の著作を出版しているが、そのキャリアの最初期に『訓蒙 窮理図解』(1868年)という科学入門書を書いている。彼の8冊目の著作だ。「窮理」というのは物理のこと。「絵入り物理学入門」である。
たき火や洗濯物を乾かすといった身近な現象を題材に科学的な原理をわかりやすく説明したもので、出版の前年、2度目の渡米をした際に購入した数冊の英語の科学入門書から適宜つまんで翻訳したものとされている。
福沢諭吉といえば、自由主義、民主主義、資本主義など、政治経済における重要な思想や概念を啓蒙普及した人物としてのイメージが強く、最初期の著作のひとつが科学入門書というのはちょっと意外かもしれない。以後、彼は科学関係の本は書いていない。
福沢は、欧米諸国が反映しているのは、科学的合理主義が社会に根づいていることが理由だと考えていた。1860年に最初の渡米を、1862~63年にはヨーロッパへと、広く欧米諸国を見てまわった彼は、近代化のカギが科学技術にあることを見抜き、日本でも広く国民が科学的合理主義を身につけることが必須と確信していたのである。

日本人は科学的な精神を学ぼうとしない

しかし、一方では、批判的な声も同時代の人から聞えてくる。たとえば、エルヴィン・フォン・ベルツ(1849~1913)。彼は明治期に西洋医学の導入に際して主導的な役割を果たしたドイツの医師で、1876(明治9)年から1902(明治35)年まで、東京帝国大学医学部の教授を務めた。いわゆる「お雇い外国人教師」のひとりであり、日本に西洋近代医学教育を根づかせ、その礎を固めてくれた大恩人である。
そのベルツが、自身の日本在留25年を記念した式典(1901[明治34]年11月22日)における講演で、日本人は科学的な精神を学ぼうとせず、科学の「成果」のみを手に入れることに性急であると批判しているのだ。長きにわたって日本の大学生たちを教え、生活をともにし、さらに配偶者も日本女性である人物の言葉として、重く受け止めるべきだろう。

これが私たちの「科学技術」です。

西洋近代科学を明確に「科学技術」と読み替えて、近代国家をつくっていった明治の日本。
ドイツと同じく、近代化や帝国主義というレースには遅れて参加した新参者ではあったが、持ち前の勤勉さを発揮して工業化に成功し、欧米先進国に引けをとらない国力を身につけた。太平洋戦争や公害問題、原発事故などを起こしてきてはいるが、短期間で近代工業国に成長し、世界屈指の経済大国になって豊かで安定した社会を築き上げた実力は、プラスに評価するべきだろう。
日本の科学技術のあり方はたしかに、ベルツが思い描いていたような、ヨーロッパの歴史と文化的土壌に根ざした科学技術とは、いくぶん異なる様相を呈してきたかもしれない。その意味では、「科学が日本の文化に根づいていない」という今でもしばしば聞かれる意見は、正しいのかもしれない。
けれど、ぼくはベルツの批判にこう応えたい――たしかに私たち日本人は、近代科学を産んだヨーロッパの文化土壌のすべてを導入はしませんでした。しかし、科学を日本の土条に適合させ、この土壌で豊かな実りをもたらすように品種改良することには、それなりに成功しました。これが、私たちの「科学技術」です。西洋近代の「科学」ではないかもしれないけれど。
科学技術は歴史的な産物であり、生態系である。その多様な成立条件や経緯を無視して、近視眼的にシステムの一部だけを変えても、決してうまく機能しない。そのことは、国立大学法人化以後の、日本の科学技術の低迷ぶりが端的に示している。

国民からの信頼と支援に応える科学を

21世紀の今、ここ日本では科学技術に携わることの意味について、あれこれ考えてきた。
最後にもうひとつだけ、使用する言語について触れておきたい。とくに、科学の成果である論文は、英語で書かれる。科学の世界では、英語が共通語だ。これが、科学界と一般社会との距離をさらに広げる原因のひとつとなっている。非英語圏であっても、ヨーロッパ諸語は、なんだかんだいっても日本語に比べたら英語との距離が圧倒的に近い。
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したがって、日本の研究者に対して、社会に貢献しろとか役に立つ研究をしろとか、もっと一般向けにも情報発信しろとか、外側から強い圧力をあまりかけすぎないほうが良いのではないかと思う。ただでさえ、しんどい状況に置かれていて、自分の専門の研究分野で英語圏の研究者たちに伍してやっていくだけで、相当の負荷がかかっているのである。そこのところは、理解してあげてほしい。
だからといって、研究者たちがあぐらをかいて象牙の塔に閉じこもり、自分たちの好奇心のおもむくままに研究を続けていてよいとも思わない。基礎研究を続けていけるのは、社会、いや、世間から、お目こぼしをされているからなのである。
2017年に内閣府が行なった世論調査によれば、一般国民の8割近くが「科学者や技術者の話は信頼できる/どちらかといえば信頼できる」と回答している。そして7割以上が、「国はもっと若手研究者を支援するべきだ」と応援してくれている。「研究や開発の資金を国はもっと支援すべきだ」という意見も6割近くにのぼる。国民からの支援と応援に、科学者と技術者も応えていかなければいけないと思うのだ。
科学技術と一般社会が、縁側を介してもっと相互に行き来できるようになることをめざそうではないか。