How ‘man of science’ was dumped in favour of ‘scientist’
August 5, 2014 The Conversation
JT Carrington, editor of the popular science magazine Science-Gossip, achieved a remarkable feat in December of 1894.
He found a subject on which the Duke of Argyll, a combative anti-Darwinian, and Thomas Huxley, also known as “Darwin’s bulldog”, held the same opinion.
https://theconversation.com/how-man-of-science-was-dumped-in-favour-of-scientist-30132
第6章 「二正面作戦」を戦い抜くために──科学技術の飼い慣らし方・実践編 より
自然科学における「新しい野の学問」
柳田国男(1875~1962)や菅豊が拠って立っているのは民俗学であって、自然科学ではない。しかし、彼らの出発点は「そもそも学問とは誰のものなのか」という問いであり、これは自然科学においても十分に有効で、かつ重要な問いだ。したがって、それへの回答である「野の学問」の考え方は、同様に自然科学によっても重要なはずである。
すでに見てきたように、実利的な技術だけではなく、科学が生み出す知識というものが、そもそもは公益に資するものであるべきだという考え方が、19世紀前半までは共有されていた。それが19世紀末からの国民国家の形成や帝国主義的覇権争いのなかで、公益=国益に変換されてしまった過程も、前章までに見たとおりである。
国益が悪いというつもりはない。しかし、国益が公益のすべてではない。菅が主張する「新しい野の学問」とは、国益でカバーできない公益に資するかたちで21世紀の学問のあり方を再検討する作業であり、そのための枠組みであり、展望のことである。であれば、その「学問」には当然、自然科学も含まれるはずだ。いや、含まれなければならない。
では、科学技術の領域で、新しい野の学問に相当する動きとして、どのようなものが見られるのか。それらは、ブダペスト宣言の不十分な箇所を埋めるバージョンアップ作業が、この20年間でどれだけおこなわれてきたかを示すものであるし、同時に、この理念がこの20年間でどれだけ具現化されてきたかを示すものでもある。
興隆する「市民科学」
まず挙げたいのは、市民科学(シチズン・サイエンス)の隆盛である。これにはさまざまな定義があるが、ここでは広く、科学技術の専門家だけが研究をおこなうのではなく、アマチュアや一般市民が研究に参加する運動を一括して市民科学としておきたい。
市民科学には、研究の枠組みや方法は専門家が策定し、データ収集や分析の段階で市民が参加するタイプ(一般参画型)と、研究テーマ自体を決める段階で専門家でない人たちが主導するタイプ(理念拡張型)の2つがある。日本では、前者を「シチズン・サイエンス」とカタカナで書き、後者を「市民科学」と漢字で表記して区別することが多いが、この両者の区別は質的なものではなく程度の問題だと強調したいので、ここではあえて一緒に「市民科学(シチズン・サイエンス)」と表記する。
一般参画型の例は、市民科学という用語を提唱したひとりであるアメリカの鳥類学者リック・ポニーらによる、大規模市民参加研究プロジェクト「eBird」が典型例として知られる。全米のアマチュア・バードウォッチャーらに鳥の発見情報や写真、動画などを提供してもらい、保全と生態研究を推進するものである。ビッグデータ科学のひとつとしても位置づけられる。
科学が対象とするもの、しないもの
科学と価値の関係は鬼門だ。
第4章で述べたように、19世紀に「科学者 scientist」という言葉が造られたのは、それまでの「自然科学者」のように自然現象を解明して、その背後にある統一的な価値観を追求するのではなく、自然現象の解明に関心をもつ者が増えてきたからである。だいぶ違うヤツらだぞ、あいつらに「哲学者」を名乗らせるのはどうなのか、と。
それは、科学が対象とするのは「事実」であって、「価値」ではないという考え方が主流になりつつあったということである。
そういう風潮に反発する人たちもいた。ダーウィン進化論の熱心な普及者で、ダーウィンに代わっていつも論争の最前線に立っていたため、「ダーウィンのブルドッグ」ともよばれたトマス・ヘンリー・ハクスリーや、科学者から見た科学論の書『自然哲学研究試論』(1830年)を執筆したション・ハーシェルから(第3章、第4章参照)は、”scientist”とよばれることを嫌い、自分たちのことは”man of science”とよぶようにと周囲に言っていたという。
どちらも日本語に訳せば「科学者」となってしまうが、そもそも”scientist”の発案者ヒューウェルは、”artist”からの類推でこの単語を造ったのであり、哲学的に追求するというニュアンスは削ぎ落とされている。ハクスリーやハーシェルらが忌避したのは、この点だった。
しかし、”scientist”という用語が登場して、それで科学の知見が価値からスパッと切り離されたかといえば、全然そんなことはない。19世紀後半に一世を風靡したダーウィンの進化論は、発表と同時に社会的にも話題沸騰で、同じくイギリスの、哲学者というべきか評論家というべきか、いずれにせよちょっと知的誇大妄想狂的なハーバート・スペンサー(1820~1903)が自身の社会進化論に自然選択説を(大いに歪曲して)取り込んでしまい、進化論はむしろ、社会科学の新理論として大流行したのだった。
「日本で」科学を考えるということ
科学的知識だけにもとづいて善の状態を決めるのではないとすれば、何が拠りどころになるのか。かつて宗教だったろうし、哲学などの人文知もその役割を果たしていた。今は、そのような機能は宗教や哲学にはあまりないように見える。
だが、状況はさほど昔と変わっていないのではないか。人類の祖先たちが営々と築き上げてきた人文知は、この価値なき時代にあってこそ、ぼくたちの行き先を照らしてくれるはずだ。
科学が事実探究のためのツールであるならば、人文学は価値探究のためのツールだ。人文学をそのように使いこなすことも、科学を飼い慣らすことと同じように、今の時代に必要なのだと思う。
今の時代──。これは時間的な条件だが、もうひとつ重要なのは「日本で」という地域的な条件だ。世界は広いし、万事が国際化の世の中だけれども、だからこそ、今の時代のここ日本で、科学技術について考えることの意味を再確認しておく必要がある。
科学技術は日本社会にとって何なのか? 日本が世界の科学技術に貢献できることは何なのか?
それを考えるのが次の章のテーマだ。