じじぃの「科学・地球_19_科学とはなにか・科学知と生活知」

Best Date Ideas That Increase Oxytocin | Inverse

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-xey8CM1iP4

Oxytocin and Breastfeeding

Breastfeeding 101: What is the Let-Down Refle

SEP 17, 2020 Lilu
https://www.wearlilu.com/blogs/lilu-blog/breastfeeding-101-what-is-the-let-down-reflex

ブダペスト会議

ウィキペディアWikipedia) より
ブダペスト会議は、1999年6月26日から7月1日に、ハンガリーの首都ブダペストで、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)と国際科学会議(ICSU)の共催により開催された世界科学会議のこと。

「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」

まずこの宣言は前文において、人間はみな同一の惑星のもと暮しており、私たちは自然との相互依存の中にいる。そしてこの地球と自然との関わりを科学のあらゆる分野において維持されなければならないと述べている。
1.知識のための科学(進歩のための知識)
科学活動の本来の機能は、自然と社会の両者を総合的に考え、そこから新しい知識が生まれる。その知識が教育・文化・知的な豊かさをもたらし、人々に恩恵を与える。
2.平和のための科学
科学的思考の本質は、あらゆることを批判的に分析し、様々な角度から考察することで諸現象を研明することにある。
3.開発のための科学
政府や民間部門は、経済・社会・文化・環境などに配慮した開発のために、不可欠で基礎的である、バランスのとれた科学的・技術的能力の育成のために、強力な支援を行わなければならない。
4.社会における科学と社会のための科学
科学研究の遂行と、その研究によって得られる知識の利用は、人類の福祉を目的とし、人間の尊厳と諸権利、世界的な環境を尊重し、現代と次世代への責任をするものでなければならない。

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『科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点』

佐倉統/著 ブルーバックス 2020年発行

第5章 科学知と生活知──科学技術の飼い慣らし方・理論編 より

オキシトシンが出るから母乳をあげる?

物理学や天文学の場合、ここでの人間は観測者、すなわち科学者である。一般市民ではない。しかし、これが生命科学の領域になると、観測者だけでなく研究成果の受け取り手として、専門家以外の人たちを含まざるをえないという状況が現出している。
もともとは博物学の一分野だった生物学が、19世紀に独立した分野となり、生理学、進化学、細胞学、遺伝学、分子生物学と新しい領域を広げていくにつれて、人とそれ以外の生物との境界はどんどん消失しつづけた。この流にれは、20世紀後半の脳神経科学の発展に至って頂点に達し、基礎研究の成果がそのまま、人間についての言明に直結するという事態を招来した。ヒトを対象とする医学と、ヒト以外の生物を対象としてきた生命科学との関係は以前から密接ではあったが、両者が実質的に融合して「生命医科学(biomedicine)」となったのは20世紀の後半、分子生物学がさかんになってからといってよいだろう。
たとえば、人と人がハグをしたり、お母さんが赤ちゃんに母乳をあげると、オキシトシンという神経伝達物質が増えて、落ち着いた感情がもたらされる、といった類の研究結果がある。こういった実験の結果は科学的「事実」である。すなわち、価値をともなわない中立な事柄である、と研究者たちはいう。それはそのとおりだし、オキシトシンの話は科学的にとても興味深い結果なのだが、それがひとたび科学界の「外」に出てしまうと、人に関する事実の記述が、たちまちある種の価値を帯びてしまう事態は避けられない。
オキシトシンが出て気持ちが落ち着くのだから、お子さんをハグしてあげましょう。赤ちゃんには母乳をあげましょう──。オキシトシンが出て気持ちが落ち着くことと、その状態を積極的に求めるべきだということのあいだには、じつはなんの論理的つながりもない。「気持ちが落ち着くのは良いことだ」という無意識の価値判断や好みがはたらいて初めて、つながっているように感じるにすぎない。

東日本大震災で科学者への信頼感が低下した理由

2011年の東日本大震災では福島第一原子力発電所が重大な事故を起こし、放射性物質が大量に漏出した。福島県の太平洋寄りにあたる浜通り一帯は汚染され、ピーク時には約16万人の住民が非難を余儀なくされた。
その際に問題になったのが、放射線被曝量による健康被害リスクの解釈である。多くの専門家は、100ミリシーベルト以下の被曝量では大きな健康被害リスクはないという科学的データをもとに、非難するべきか留まるべきかの助言を地域住民にしていたが、住民のあいだでは、これでは日常生活の中でのさまざまな行動や場所がどの程度安全なのか、たとえば庭の井戸水は飲んでも安全なのか、洗濯物を干しても大丈夫なのか、といった行動の基準がわからないという不満と不安が大きくなるばかりだった。
当時のアンケート調査で、この事故によって科学者・技術者に対する信頼感が大きく低下したことが明らかになっている。
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同じようなことは日本だけでなく、他の国でも繰り返し起こっている。たとえばイギリスでは、チェルノブイリ原発事故後に放射能汚染が帰順値を超えたセラフィールド地区のヒツジの扱いに関して、ヒツジの生態や現地の状況に無知な専門家たちが現実離れした助言をして牧羊農家からの信頼を失った事例が知られている。
この状況を詳しく調査したイギリスの科学技術社会論研究者ブライアン・ウィンは、「羊飼いたちは科学的な事柄については、科学者に不信感をもってはいなかった。科学者が丘陵地帯での牧羊の環境や実際の動向などに無知であることを見たときに、不信感をあらわにしたのだ」と指摘している。

科学があるべき4つの理由──ブダペスト宣言が語っていること

ブダペスト宣言は、「科学は何のためにあるべきか」という根本的な問いに、4つの回答を提出している。知識のため、平和のため、開発のため、そして、社会のため。
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さて、第4の「社会における科学と社会のための科学」は、一見すると科学の成果が社会に役立つことを述べていて、やはり19世紀的思想の再現のように見える。しかし、もう少し詳しく見てみると、必ずしもそうではないことがわかる。この項目について、この宣言の前文第4項には以下のように書かれている。
  今日、科学の分野における前例を見ないほどの進歩が予想されている折から、科学知識 の生産と利用について、活発で開かれた、民主的な議論が必要とされている。科学者の共同体と政策決定者はこのような議論を通じて、一般市社会の科学に対する信用と支援を、さらに強化することを目指さなければならない。
これは単に、科学や科学技術の成果が社会に役立つようにせよ、というだけの話ではない。科学の担い手として一般社会を想定せよ、そのために、科学技術に関してはつねに民主的で開かれた議論を担保せよ、といっているのである。国家でも民間企業でもなく、一般社会を構成する市民、生活者こそが、これからの社会の担い手なのである、と宣言しているのだ。
高邁な理念である。
だが、この本を書いている今は2020年。ブダペスト宣言からすでに20年以上が経過した。この理想主義的な宣言について、現在の時点から振り返って総括しておくことも必要だろう。次章はそこから始める。