じじぃの「歴史・思想_489_大分断・日本の課題と教育格差」

Embargoed U S Media Briefing - OECD PISA 2018 Results with Andreas Schleicher

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PISA 2018 Worldwide Ranking - average score of mathematics, science and reading

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『大分断 教育がもたらす新たな階級化社会』

エマニュエル・トッド/著、大野舞/訳 PHP新書 2020年発行

第4章 日本の課題と教育格差 より

日本における「能力主義

第2章では、民主主義における能力主義の矛盾について論じました。さらに第3章では、教育格差が民主主義を崩壊させる点について各国の例を挙げながら考察しました。本章では、こうした事象が日本においてどのように現われているのか、見ていきたいと思います。
前述したように、アメリカやフランスのような平等主義の社会では、能力主義は平等という理想の歪んだ形として表出してしまいました。最初は、誰もが学業をするべきで、教育は皆のものだと言われました。しかし、マイケル・ヤングが気づいたのは、大衆層の中の優秀な人たちが進学すると、社会は再び階級化するだろうということでした。そして上層には、上層にいると考える人たちによって新たなグループが形成されるのです。
フランスなどでは能力主義のコンセプトは常にポジティブに評価されてきました。人々は、能力主義は民主主義から生まれたものだと捉えているのです。多くの人は、これが実は教育の民主化の悲惨な二次的影響であり、結局は自己破壊に陥ってしまうものであることを理解していません。この民主化プロセスは最終段階(100%の人が高等教育を受ける段階)まで行き着けないものなのですから。
戦後の日本においてもこの能力主義という考え方は非常に根強かったのではないでしょうか。ただ、日本の特殊な点は、直系家族構造における不平等を受け入れる価値観と、江戸時代の非常に特殊なヒエラルキーの考え方、この2つをベースにしながら、それと同時に能力主義の考え方があったという点です。一方でフランスでは、能力主義とは人類の平等と強く結びついた観念であることを先ほど述べました。この違いがあるため、2つの国の結果は異なるのです。
基本的に直系家族を基盤とする日本のような社会は、そもそもが身分制の社会です。ここでは長男が重要とされてきました。それは徐々に男性全体が特権を持つ、つまり男性優位社会へと変化していきました。日本でももちろん、戦後には能力主義の発展が見られましたが、そこにはフランスで見られるような、平等に対する強いこだわりがないのです。

日本は「少しばかりの無秩序」を受け入れよ

さらに言えば、文化的な意味で江戸時代のリバイバルを目指すべきでしょう。日本は確かに鎖国をしていましたが、国内では商人たちが活躍し、すぐれた芸術もあり、創造性に富んだ社会がありました。それに江戸時代の人々は今の日本人のように完璧主義に悩まされることもなかったのです。だから豊かな創造性がある社会だったのではないでしょうか。性的にもとても開放的であったといいます。浮世絵の気品のある性、エロティズムは素晴らしく、フランス人が多いに共鳴する部分だと思います。
日本で話をする時に、よく半分冗談として言うのは「日本にとっていいモデルとなるのは、江戸時代の日本だ」ということです。19世紀の直系家族システムの最盛期ではなく、むしろ江戸時代を参考にしたらいいと思うです。

移民政策は政府がしっかりと管理しておこなうべきではあるのですが、それと同時に日本人は「無秩序」を学び直す必要があると確信しています。例えば、日本では学校で子供たちに掃除の仕方を教えるといいます。また、スポーツ選手たちのクロークは試合後も非常に綺麗だそうです。それらは非常な美点であり、維持するべきです。しかしそれと同時に「多少秩序が乱れていても世界は崩壊しない」ということを学ぶべきではないでしょうか。

フランス人たちはそういう点でお手本になれると思います。フランスは1000年以上、かなりの無秩序さを維持したまま生き延びている国だからです。
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日本社会はこのコロナ危機もわりとうまく切り抜けたように見えす。それは日本文化や社会的なディシプリン(規律)のおかげなのかはわかりません。しかし、あるレベルにおいては、日本のように「完璧」を追い求めることや、実際に日本にある「完璧」と言えるような状態というのはその社会にとって、重荷にもなるのです。だから子供が減っているのでしょう。いつもここに戻ってくるわけです。
変わりつつあるとはいえ、日本と移民との関係というのはいまだに難しいものがあります。日本ももちろん世界から圧力を受け、教育による格差の広がりがあり、グローバル化の悪影響も受けています。それでもやはり他の国に比べると比較的持ちこたえていると思います。ですが、これらは人口の増加を犠牲にしている上で成り立っているため、少子化が抑えられません。あるレベルにおいては、社会的な格差よりも人口の収縮の方が深刻な問題になりうるのです。日本に関しては人口の問題を何とかするしかないのです。
繰り返しになりますが、これからの日本に必要なのは「少しばかりの無秩序」であると私は謹言したい。男女間での無秩序、家族内での無秩序、そして移民を受け入れることで発生する無秩序。日本社会のように完璧を常に求めることは、ある程度発展した社会では逆に障害になってしまうからです。