じじぃの「歴史・思想_484_アメリカと銃・文豪ヘミングウェイと銃」

Hemingway in Africa: The Last Safari

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nY8A34XoUFQ

New York Times 「Hemingway」

Why Ernest Hemingway Was Probably the Most Interesting Man in the World

March 16, 2021 Feature Post
Ernest Hemingway is famous for being one of the most appreciated American fiction writers.
However, his personal life is no less interesting. A tough, hard-driving, hard-drinking, larger-than-life figure who hunts big game on the savannah, cheers toreadors, covers wars, and always, always writes. Reading the countless biographies and reports of Hemingway’s life, it’s easy to lose track of the fact that Hemingway also suffered from some serious mental health conditions. He was a real badass for sure, but he could also be a real prick!
https://www.zmescience.com/other/feature-post/ernest-hemingway-legendary-life-05335/

アメリカと銃 銃と生きた4人のアメリカ人 大橋義輝

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今に続く「銃社会」はいかにしてつくられたのか?アメリカと銃の、想像を絶する深い関係に迫る。
全米一有名な「幽霊屋敷」の主サラ・ウィンチェスター、第26代大統領セオドア・ルーズベルトノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイ、そして西部劇の名優ジョン・ウェイン。銃にまつわる4人の生涯と、アメリカ社会がたどった「銃の歴史」が交錯するとき、この国の宿命が見えてくる―。

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アメリカと銃 銃と生きた4人のアメリカ人』

大橋義輝/著 共栄書房 2020年発行

第5章 文豪ヘミングウェイと銃 より

アメリカを体現した文豪

アメリカは「ピルグリム・ファーザーズ(メイフラワー号に乗りアメリカに渡ったイギリスの清教徒)」たちの入植以来、銃と共に歴史を刻んできた。
この歴史を体現するアメリカ人として次に取り上げたいのは、ノーベル賞作家のアーネスト・ヘミングウェイである。この文学界の巨星も、銃をこよなく愛し、銃と運命をともにした人生を送った。
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイは1899年7月21日、医師の父エドモンドと声楽家だった母グレイスの子として、イリノイ州シカゴ郊外のオーク・パークで生まれた。教会が多く気品のある静かな町であった。
ハイスクール卒業後、叔父の伝手で「カンザスシティスター」紙の見習い記者となった。その後、第一次世界大戦の欧州戦線に赴き、オーストリア軍機銃掃射によって脚に重傷を負いミラノ陸軍病院に3ヵ月間入院した。復員後の21歳の時、父の伝手で「トロント・デイリー・スター」紙に入社。読み物記事を担当する。やがて才能が開花してトップ記者へとなっていく一方で、小説も書くようになった。
1926年27歳の時、デビュー作ともいうべき『日はまた昇る』を出版し注目される。以後、『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』等ヒット作を生み出し、かつ映画化されると世界的な流行作家となった。そしてピューリッツァー賞ノーベル文学賞を受賞、まさに文豪の名声を欲しいままにした人物である。
一方プライベートでは、22歳で結婚して以来離婚結婚を繰り返した。落ち着いたのは4人目の妻、メアリーとの結婚だった。1946年のこと、時にヘミングウェイ47歳であった。

堂に入った「銃の名人」

父と猟に出かけるたびに、ヘミングウェイは手取り足取り銃の扱い方や作法、さらに動物の仕留め方を学んでいった。銃のクリーニングがいかに大切であるかという基本から、たとえば「放たれた弾丸は秒速750フィート、エネルギーは62フィート・バウンド」といった専門的な弾道学まで教授された「銃の名人」の父の背中を追いかけ、強い男を目指したのであった。狩猟を通して銃のすごさ、銃がもたらす生と死をヘミングウェイは身をもって知った。
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翻ってヘミングウェイは戦場記者時代、どうであったのか。銃殺された動物の死は子供の頃からたくさん見てきたけれど、虫けらの如く人間が殺され、死と隣り合わせなのが日常的な戦場の世界。生と死を隔てるものとして「銃」が厳然と存在する。彼はこの世界で、ある種の死生観のようなものを体感したといっていい。だからこそあの作品を生み出したのだろう。『キリマンジャロの雪』である。迫りくる死を迎えて回想する主人公の真理を見事に描いた名作だ。やはり戦場体験があったからこそであろう。
もっともこんな話も漏れ聞こえてくるのが、ヘミングウェイたる人物だ。
「戦地では銃弾が飛び交う場所でみんなが逃げ出しても、彼は平気でメシを食ってた」
常にマイペースで自分の世界を持っていたヘミングウェイである。なにしろ恋愛をする余裕さえあった。相手は従軍看護師。この看護師との恋愛をペースに作品を生み出したのが、かの名作『誰がために鐘は鳴る』である。さすがというべきである。
ヘミングウェイには、16歳下の弟、レスターがいる。新聞記者から作家となるコースは兄のアーネストと同じである。『トランペットの音』や『兄ヘミングウェイ』等の作品がある。

武器よさらば

銃をこよなく愛したヘミングウェイだけに、作品中の銃の場面はさすがに迫力がある。たとえば巨大な雄ライオンを斃す場面では、
「弾丸は当然あつい焼けつくような吐き気をおぼえさせながら、胃袋の中を突き進んだ。(略)続いて3度目の轟音が起こり下部のろっ骨に当って、体内に食い込んでいく弾丸の衝撃を感じた。熱い血が突然泡だちながら口中にあふれた。(略)ライオンの重く黄色い巨体がこわばって(略)大きな頭ががくりと前にのめった」(『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』龍口直太郎訳、角川文庫)といった按配である。
ヘミングウェイがとても嬉しそうな1枚の写真がある。「ニューヨークタイムズ」紙(1954年1月25日付)に掲載されたものである。
カムバラ発となっている。至福に満ちた顔のヘミングウェイである。とはいえ助かった喜びの写真ではない。右手にショットガンを持ち、いかにも「どうだ、おれの銃の腕前」と言わんばかりの体に見える。ヘミングウェイ家3代目の「銃の名人」の風格が漂っている。傍らには大きなレパード(ヒョウ)が絶命していた。恐らくアフリカの猛獣狩りの時のものであろう。
弟のレスターは、兄ヘミングウェイの死を次のように言っていた。
「彼は最後の行動に出た。己れの名誉を他人に傷つけられたと感じた武士(サムライ)のように、兄は自分の肉体に裏切られたと感じた。兄自身、これまでの生涯に、無数の生き物たちにいわゆる”死の恵み”をあたえてきた人間だ。これ以上の裏切りを許すよりは、と、愛用の銃に弾をこめ、台尻を床にあてたまま身をかがめて、起こした打ち金を外したのだ」(『兄ヘミングウェイ』より)
「無数の生き物たち」を銃によって死に至らしめてきたヘミングウェイは、己自身に銃を向けて完結、と思ったのかもしれぬ。己自身が銃から逃れるのはアンフェアであり、公平さを保つことはできない、と思ったのかもしれない。要するにバランスをとったのであろうが、これをしも贖罪の意味と言えなくもないだろう。
戦場に赴いて作品の題材を求め、自然と対峙し、酒と女を愛し、世界的な名声を得たヘミングウェイ。彼の過剰ともいえる生の衝動は、銃によってもたらされ、高揚し、そして銃によって終焉を迎えた。
アーネスト・ヘミングウェイは、死して「武器よさらば」であった。