じじぃの「歴史・思想_480_アメリカと銃・先住民虐殺と銃の歴史」

American Holocaust | The Genocide of Native Americans | Crimes against humanity

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t9lSu2bkT74

Native American History

Native American History Timeline - HISTORY

HISTORY.COM EDITORS
November 29, 1864: 650 Colorado volunteer forces attack Cheyenne and Arapaho encampments along Sand Creek, killing and mutilating more than 150 American Indians during what would become known as the Sandy Creek Massacre.
https://www.history.com/topics/native-american-history/native-american-timeline

アメリカと銃 銃と生きた4人のアメリカ人 大橋義輝

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今に続く「銃社会」はいかにしてつくられたのか?アメリカと銃の、想像を絶する深い関係に迫る。
全米一有名な「幽霊屋敷」の主サラ・ウィンチェスター、第26代大統領セオドア・ルーズベルトノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイ、そして西部劇の名優ジョン・ウェイン。銃にまつわる4人の生涯と、アメリカ社会がたどった「銃の歴史」が交錯するとき、この国の宿命が見えてくる―。

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アメリカと銃 銃と生きた4人のアメリカ人』

大橋義輝/著 共栄書房 2020年発行

第1章 銃社会アメリカ より

ピルグリム・ファーザーズ

彼らは銃とともにメイフラワー号に乗り込み2ヵ月後、プリマス(後のマサチューセッツ州)に到着した。新天地に到着した安堵感と同時に不安もあったはずだ。大挙して先住民に襲われたら、という恐れである。人数では圧倒的に不利。たとえ「銃」という武器を持っていたとしても対処できるだろうか、危機感はあったに違いない。
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さて、プリマスに到着した彼らは結果的に銃を使うこともなく、なんとか先住民との交渉を成し得た。なぜ紛争が起きなかったかと言えば、清教徒の人たちの中に病人が数人いたからだ。顔は蒼ざめ見るからに苦しそうな様に、先住民はすぐさま対応した。先祖伝来伝わる薬草の類を病人に与えたり、食料を与えたり、かいがいしく救いの手を差し伸べたのである。
一方、彼らも感謝の証にとかねてから用意していたタバコやお酒等の嗜好品を与え、先住民たちの警戒を解いた。次第に心の距離は縮まっていき、友好の輪が拡大していった。中には先住民の娘と結ばれた人もいたという。
メイフラワー号の乗員のうち、先住民の助けを受けるなどして生き残ったのは結局、約半数であった。そして彼らは「法に服従する」と誓った。いわゆるメイフラワー誓約を作って署名した。署名したのは、生き残った41名だった。のちに彼らは「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれた。そしてこの文書がアメリカ合衆国の原点となったのである。

先住民虐殺と銃の歴史

ところが――。その後、ピルグリム・ファーザーズに合流する人たちが増えていく。なぜならメイフラワー号に乗って第2、第3と入植者が増えていったのだ。
人が増えれば土地を広げていくのは自然の成り行きである。当初は彼らも、この広大な新大陸の一部を開墾し、小さな理想郷を作るぐらいにしか思っていなかっただろう。たとえば、いまでもアメリカに存在するアーミュシュのようなコミュニティを想定していたかもしれない。アーミュシュとは文明社会に抗って自動車を使わず場所を使用し、またファッションすら18世紀のクラシカルな衣装を身にまとう、現代からかけ離れたユニークな共同体である。
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先住民の虐殺が多く行なわれたコロラド州では、インディアンを踏み台にした悲惨な物語が残っている。それが「サンドクリークの虐殺」だ。1864年12月8日、インディアンとアメリカ軍の激しい戦いの結果、アメリカ軍の大勝利となった。インディアンの死者500人に対し、米軍死者9人と当時の地元紙は報じている。
しかし気になるのは記事の次の内容だ。殺したインディアンの男女の性器や頭の皮を剥ぎ取り、戦利品としてアメリカ軍は帽子に飾り、街(現州都デンバー)をパレードした、というのである。
何という残忍さであろうか。ヨーロッパではフランス革命から70年以上が経過し、日本では近代国家樹立の明治維新前夜のこの時代に、このような蛮行が行なわれていたのである。
アメリカという国は、銃をかざしながら相手を征服し、強大な国となった歴史がある。銃とともに刻んできた歴史に正統性を与えているのだ。したがって銃なくしてアメリカを語ることはできないというわけである。
彼らアメリカ人は自らを、荒涼たる土地をフロンティア・スピリットで開拓した勇気ある人間と誇示した。つまり侵略という言葉を決して口にしなかった。戦後日本でも流行した西部劇をみても、常に白人は善で、先住民つまりインディアンは悪として描かれた。多くの日本人は、インディアンは「野蛮で悪い人間」と頭に刷り込まれたのである。

アメリカと銃の歴史を象徴する4人の人物

これらを踏まえたうえでアメリカの歴史と銃の関係を俯瞰すると、私の脳裏には4人の人物が浮かぶのだった。1人の女と3人の男である。
まず女の名はサラ・ウィンチェスター。4ヵ国語を操る教養人にして美貌の持ち主。このサラは生涯にわたりインディアンの亡霊に脅えた女性だった。彼女は世界的に有名なライフル銃メーカーの御曹司の妻であったからだ。サラの私生活は謎に満ちていた。サラが住んでいた家はカリフォルニア州の史蹟に指定され、ミステリーハウスとして現在でも国内外から多くの観光客を集めている。
そして銃に関わる男3人は、ミスター・アメリカともいうべきアメリカン・ヒーローたちだ。
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以上4人を軸として彼らの人生を辿っていけば、建国から今日に至る「銃とアメリカ」の不可分な関係、ひいては昨今の乱射事件を引き起こす何かが見えてくるのではないか――。
かつて銃の恐怖を味わった私は、その背景にあるアメリカのアイデンティティと社会病理を、同時に追求してみたいと思った。