Inca Empire
『ビッグヒストリー大図鑑:宇宙と人類 138億年の物語』
デイヴィッド・クリスチャン/監修、ビッグヒストリー・インスティテュート/協力、オフィス宮崎/日本語版編集 河出書房新社 2017年発行
東西の出会い より
1492年まで、「旧世界」(アフロユーラシア)と「新世界」(アメリカ大陸)の人びとは、お互い相手の存在を気づいていなかった。この2つの世界を結びつけたのはヨーロッパの探検家で、これをきっかけに世界は「コロンブス交換」、すなわち人間や動物、作物、病気、技術の移動を経験することになる。
ヨーロッパの探検家は自分たちが優位に立てる技術(乗馬、銃や鋼鉄製の武器など)を最大限に利用して新世界の人びとを征服した。またヨーロッパから持ち込まれた病気も新大陸征服に味方した。コロンブス交換によって世界各地の生活は一変する。
人びとはどこにいても新種の食料が手に入るようになり、その結果、その後2世紀にわたって世界の人口は増加の一途をたどった。作物や家畜の拡散とともに、改良された農業技術や体系的な新しい方法が入ってくる。政府の力が拡大し、人口や収入を増やすために自国の領土を拡張しようとした。その結果、人間はますます土地に改変を加えるようになる。
銃・病原菌・鉄: 1万3000年にわたる人類史の謎(上)、ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳、草思社(2000年)
【上巻目次】
第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第3章 スペイン人とインカ帝国の激突
ピサロと皇帝アタワルパ/カハマルカの惨劇/ピサロはなぜ勝利できたか/銃・病原菌・鉄
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20141209/1473579333
『銃・病原菌・鉄 (上)』
ジャレド・ダイアモンド/著、倉骨彰/訳 草思社 2000年発行
スペイン人とインカ帝国の激突 より
ピサロと皇帝アタワルパ
近代において人口構成を最も大きく変化させたのは、ヨーロッパ人による新世界の植民地化である。ヨーロッパ人が新大陸を征服した結果、アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の人口が激変し、部族によっては滅亡してしまったものもある。しかし、第1章で述べたように、新大陸に人間が移り住んだのはこれが初めてではない。人類は紀元前1万1000年頃、あるいはそれより以前に、シベリア、ベーリング海峡、アラスカを経由してアメリカ大陸に移住し、それ以来アメリカ大陸では、その移住経路のはるか南方に至るまで複雑な農耕社会が形成され、旧世界で誕生しつつあった複雑な社会とはまったく無関係に発展した。アジア大陸から人びとが移住したあとも、ベーリング海峡の両岸の狩猟採集民のあいだには接触があった。また、南米を経て海上ルートでポリネシアにサツマイモが伝えられたと思われる。新世界とアジア太平洋域との接触ではっきり検証されているのはこの2つだけである。
アメリカ大陸の原住民とヨーロッパ人との接触については、西暦986年から1500年頃までの間に古代スカンジナビア人がグリーンランドに少数住み着いているが、とくに目に見える影響は残していない。むしろ、旧世界とアメリカ大陸に住む人びとの積極派、西暦1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ先住民が大勢住むカリブ海諸島を「発見」したときに、突然始まったといえる。
ヨーロッパ人とアメリカ先住民との関係におけるもっとも劇的な瞬間は、1532年11月16日にスペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会ったときである。アタワルパは、アメリカ大陸で最大かつもっとも進歩した国家の絶対君主であった。対するピサロは、ヨーロッパ最強の君主国であった神聖ローマ帝国カール5世の世界を代表していた(皇帝カール5世は、スペイン王カルロス1世としてもしられている)。そのときピサロは、168人のならず者部隊を率いていたが、土地には不案内であり、地域住民のこともまったくわかっていなかった。いちばん近いスペイン人の居留地(パナマ)から北方1000マイル(約1600キロ)のところにいて、タイミングよく援軍を求めることもできない状況にあった。一方、アタワルパは何百万の臣民を抱える帝国の中心にいて、他のインディアン(インディオ)相手につい最近勝利したばかりの8万の兵士によって護られていた。それにもかかわらず、ピサロは、アタワルパと目を合わせたほんの数分後に彼を捕らえていた。そして、その8ヵ月後、アタワルパを人質に身代金交渉をおこない、彼の解放を餌に世界最高額の身代金をせしめている。しかもピサロは、縦22フィート、横17フィート、高さ8フィートの部屋を満たすほどの黄金をインディオたちに運ばせた後、約束を反故(ほご)にしてアタワルパを処刑してしまった。
銃・病原菌・鉄
結論をまとめると、ピサロが皇帝アタワルパを捕虜にできた要因こそ、まさにヨーロッパ人が新世界を植民地できた直接の要因である。アメリカ先住民がヨーロッパを植民地したのではなく、ヨーロッパ人が新世界を植民地したことの直接の要因がまさにそこにあったのである。ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。本書のタイトルの『銃・病原菌・鉄』は、ヨーロッパ人が大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。しかし、銃や鉄がヨーロッパで作られる以前においても、あとの章で見るように、非ヨーロッパ系の民族が同じ要因を背景に自分たちの勢力範囲を拡大していた。
この章では、ヨーロッパ人が他の大陸の人びとを征服できた直接の要因を考察したが、それらの要因が新世界ではなく、なぜヨーロッパで生まれたのかという根本的な疑問は依然として謎のままである。銃や鉄剣を発明したのは、なぜインカ人でなかったのか。なぜインカ人は、馬と同じくらい恐ろしい獣を乗りこなすようにならなかったのか。なぜインカ人は、ヨーロッパ人が耐性をもたない疫病に対する免疫を持ち合わせるようにならなかったのか。なぜ、大海を航海できる船を建造するようにならなかったのか。なぜ、進んだ政治機構を生み出さなかったのか。なぜ、人類数千年の歴史を書きとめ、経験を身に付けることができなかったのか。これらの疑問は依然としてのこされたままである。