Nova: First Horse Warriors Promo
horse warriors
謎に包まれた騎馬民族「古代シベリアのスキタイ人」展@大英博物館
2017年9月27日 ロンドンアートめぐり
●スキタイ人とは何者なのか?
スキタイ人とは特定の民族を指すのではなく、イラン語を話し、同じような生活をしている複数の遊牧騎馬民族の総称である。紀元前800~200年に繁栄し、シベリアで、南中国から黒海まで領土を広げた。
https://art.japanesewriterinuk.com/article/scythians-in-bm.html
銃・病原菌・鉄: 1万3000年にわたる人類史の謎(上)、ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳、草思社(2000年)
【上巻目次】
第2部 食料生産にまつわる謎
第4章 食料生産と征服戦争
食料生産と植民/馬の家畜化と征服戦争/病原菌と征服戦争
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20141209/1473579333
『銃・病原菌・鉄 (上)』
ジャレド・ダイアモンド/著、倉骨彰/訳 草思社 2000年発行
食料生産と征服戦争 より
馬の家畜化と征服戦争
植物栽培と家畜飼育の開始が征服戦争に直接貢献した最大の例は、ユーラシア大陸で飼いはじめられた馬である。古代の戦争において馬は、戦闘車輌の役割を果たしている。第3章でふれたように、コルテスやピサロは馬を持っていたおかげで、少人数の軍隊でアステカ帝国やインカ帝国を打ち破ることができた。それ以前においても(紀元前4000年頃)、まだ人びとが鞍を使わずに馬に乗っていた時代に、もともとウクライナ地方でインド=ヨーロッパ言語を話していた人びとの居住地域が西方に拡がっていった背景には、軍事的要素としての馬の存在が欠かせなかったのではないかと思われる。こうして広まっていったインド=ヨーロッパ言語は、バスク語を除く初期の西ヨーロッパ言語のすべてによってかわっている。紀元前1900年頃に馬に二輪車などを牽引させる戦車が考案されると、近東や地中海地方、そして中国では戦争のやり方が大きく変化している。たとえば紀元前1674年には、まだ馬を持たないエジプトを、遊牧民のヒクソスが馬のおかげで征服し、一時ファラオの地位に就いている。
その後、鞍や鐙(あぶみ)が発明されるとフン族などのアジアの遊牧民が馬に乗って西方に押し寄せ、ローマ帝国やその後の国を脅かしている。結局、13世紀および14世紀には、モンゴル人がアジア大陸の大部分とロシアを征服している。馬は第一次世界大戦においてトラックや戦車が使われるようになるまで、敵を襲撃するための乗り物でありつづけた。戦いにおいて高速で移動するための手段だったのである。地域によっては、ヒトコブラクダやフタコブラクダが馬と同じ役割を果たしていた。馬あるいはラクダを家畜化し、その利用方法を編みだした人びとは、そうしなかった人びとにくらべて軍事的にははるかに有利な立場にあったのである。
病原菌と征服戦争
征服戦争において馬と同じく重要だったのは、家畜から人間にうつった病原菌の果たした役割である。
天然痘、麻疹(はしか)、インフルエンザなどの伝染病は、人間だけが疾患する病原菌によって引き起こされるが、これらの病原菌は動物に感染した病原菌の突然変異種である。 家畜を持った人びとは、新しく生まれた病原菌の最初の犠牲者となったものの、時間の経過とともに、これらの病原菌に対する抵抗力をしだいに身につけていった。すでに免疫を有する人びとが、それらの病原菌にまったくさらされたことのなかった人びとと接触したとき、疫病が大流行し、ひどいときには後者の99パーセントが死亡している。 このように、もともと家畜から人間にうつった病原菌は、ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸、南アフリカ、そして太平洋諸島の先住民を征服するうえで、決定的な役割を果たしたのである。
植物栽培と家畜飼育の開始は、より多くの食料が手に入ることを意味した。そしてそれは、人口が稠密化することを意味した。植物栽培と家畜飼育の結果として生まれる余剰食料の存在、また地域によってはそれを運べる動物の存在が、定住者的で、集権的であり、社会的に階層化された複雑な経済的構造を有する技術革新的な社会の誕生の前提条件だったのである。したがって、栽培できる植物や飼育できる家畜を手に入れることができたことが、帝国という政治形態がユーラシア大陸で最初に出現したことの根本的な要因である。また、読み書きの能力や鉄器の製造技術がユーラシア大陸で最初に発達したことの根本的な要因である。他の大陸では、帝国も読み書きの能力も、そして鉄器の製造技術も、その後になるまで発達しなかった。あるいはまったく発達しなかった。その根本的な要因もまたここにある。