じじぃの「歴史・思想_163_銃・病原菌・鉄・大型動物の絶滅」

Animals Of The Stone Age

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gB4fPhv2jWA

moa hunt

銃・病原菌・鉄: 1万3000年にわたる人類史の謎(上)、ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳、草思社(2000年)

【上巻目次】
第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第1章 1万3000年前のスタートライン
人類の大躍進/大型動物の絶滅/南北アメリカ大陸での展開/移住・順応・人口増加
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20141209/1473579333

『銃・病原菌・鉄 (上)』

ジャレド・ダイアモンド/著、倉骨彰/訳 草思社 2000年発行

1万3000年前のスタートライン より

大型動物の絶滅

「大躍進」があった時代は、われわれの祖先の居住地域が飛躍的に広がった時期と合致している。それまでアフリカとユーラシアにしか住んでいなかった人類が最初にむかlったのは、当時まだ地続きであったオーストラリア大陸ニューギニアである。これらの地域の遺跡では、4万年前から3万年前に人類がいたことが、炭素14年代測定法によってたびたび検証されている(もちろん、もっと古くからだとする見解もある)。オーストラリア大陸に登場してまもなく、人類はニューギニア熱帯雨林や山岳地から、オーストラリア内陸部の乾燥地帯や南東部の多湿地帯にいたるまで大陸全体に進出し、各地の環境に順応していった。
海水の大部分が氷河であった最終氷河期には、世界各地の海水面は現在の水位より数百フィートも低かった。そのため、アジア大陸と、スマトラ、パリ、ジャワ、ボルネオなどのインドネシア諸島とのあいだの浅いところは陸続きであった(ベーリング海峡英仏海峡なども同じであった)。また、ユーラシア大陸の東南アジア部の海岸線は、現在の位置より700マイル(約1120キロ)も東にあった。しかし、バリ島とオーストラリア大陸のあいだは深い海峡で隔てられていて陸続きではなかった。その時代、アジア大陸からオーストラリアやニューギニアに到達するには、少なくとも8つの海峡を渡らなければならず、それらの海峡のいちばん広いところは少なくとも50マイル(約80キロ)はあった。多くの島からは近隣の島々が見えたが、オーストラリアだけは、もっとも近いティモール島やタニンバル諸島からでさえ視界におさめることのできない距離にあった。したがって、オーストラリア・ニューギニアに人類が行くには舟が必要だった。歴史上、初めて舟が使用されたことを証明するものとして、この地域への人類の進出がもつ意味は大きい。これ以降に舟の使用がはっきりとわかっているのは、その3万年後(いまから1万3000年前)の地中海での証拠しかない。
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私個人としては、オーストラリア史上、数え切れないほどの干魃に遭遇しながら何千万年も生き延びてきた大型動物が、最初の人類がやってきたとたん、短期間(ここでいう短期間とは百万年のスケールで考えた場合のことで、数千年などというのはほんのわずかの期間にすぎない)のうちに偶然に、突然死に絶えたとは考えにくい。大型動物の絶滅は、乾燥地帯のオーストラリア内陸部だけでなく、多湿地帯のニューギニアやオーストラリア南東部でも起こっている。彼らは、乾燥地帯でも熱帯雨林地帯でも、寒冷雨林地帯でも、あらゆるところで死に絶えているのだ。したがって私の考えでは、大型動物は、人間によって(食用のために)直接的に殺されたり、(人間が放った火によって焼き殺されたり生息地が開拓されたことで)間接的に殺されたように思える。オーストラリア・ニューギニアから大型動物がいなくなってしまったことは、それが殺戮仮説の指摘するような理由によるものであろうと、天候仮説の指摘するような理由によるものであろうと、それ以降の人類の歴史に非常に大きな影響をおよぼしていることはたしかである。これから見ていくように、これらの大型動物の絶滅は、それらを家畜として飼いならす機会を人類から奪ってしまったのである。そのため、現代においてもオーストラリア人やニューギニア人は土着の動物を家畜化していない。

移住・順応・人口増加

タイムマシンに乗って紀元前1万1000年頃の世界に行った考古学者は、南北アメリカ大陸の住民の生活ぶりを目のあたりにして、明らかに先にスタートを切って他の大陸の人びとを一歩リードしていたアフリカの住民は、1000年のうちに、初期のアメリカの住民に追い抜かれたと結論づける可能性もある。その後は、アフリカ大陸より50パーセント広い南北アメリカ大陸の大きさと、環境的な多様性がアメリカの住民により有利に作用したかもしれない。
つぎに考古学者は、ユーラシア大陸に目をむけて、以下のように推論する可能性もある。ユーラシアは世界最大の大陸であり、アフリカを除けばもっとも長く人類が住んでいる。人類は、100万年前にユーラシアに住みつく前はアフリカに長く住んでいたが、初期人類が相当に原始的な段階にあったことを考えれば、この事実は意味がない。考古学者はまた、2万年前から1万2000年前にヨーロッパ南西部で花開いた旧石器時代後期の文化を見て、その工芸品や複雑な道具の存在から、少なくとも局地的には、ユーラシア大陸の住民は他の大陸の住民よりも先にスタートを切り、一歩リードしていたと考えるかもしれない。
最後に、考古学者はオーストラリア・ニューギニアに目をむけて、まずその小ささ(もっとも小さな大陸である)を指摘するかもしれない。そして、ほとんどが人間の住めない砂漠で覆われた地域であることや、他の大陸から孤立していること、アフリカ大陸やユーラシア大陸のよりあとに人類が住みついたことなどに注目し、オーストラリア・ニューギニアでは人類の発達が遅れたと考えるかもしれない。しかし、オーストラリア・ニューギニアの住民こそ、世界のどの地の人たちよりも早く舟を作りだしたのである。彼らが洞窟内に壁画を描いた時期も、ヨーロッパのクロマニヨン人と同じくらいに早い。