じじぃの「人類が得た盾と矛・ウイルス・ナイチンゲールが広めた公衆衛生!ワイドスクランブル」

Florence Nightingale Biography

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=65rPhLeEXpc

池上彰×増田ユリヤ感染症の歴史を振り返る 『感染症対人類の世界史』電子版が緊急先行発売

2020.04.13 Real Sound
本書ではこれまで何度となく繰り返されてきた感染症と人類の戦いの歴史を振り返り、冷静に感染症と向き合う術を学ぶというもの。
https://realsound.jp/book/2020/04/post-537908.html

大下容子ワイド!スクランブル

2020年4月13日 テレビ朝日
【司会】 小松靖大下容子 【コメンテーター】マライ・メントライン(ドイツ放送プロデューサー)、瀬尾傑(スマートニュースメディア研究所所長) 【解説】池上彰(ジャーナリスト)、増田ユリヤ(ジャーナリスト)

池上彰増田ユリヤ・徹底生解説 人類が得た盾と矛

感染症を歴史から見てみる。
感染症 人類が得た“盾と矛”
盾:病原体から守る予防薬・ワクチン。
矛:病原体をやっつけるための治療薬・抗菌薬。
生物由来のものが抗生物質
代表的なものがイギリスの細菌学者フレミングが発見したペニシリン
ウイルスの治療薬は抗ウイルス薬といわれ、最近注目されているアビガンなどがある。
危険な感染症をこの世から一掃しようという人類の闘いが1つだけ成功したものがある。
天然痘
最古のものは紀元前3000年のエジプトのラムセス5世のミイラから発見。
高熱、発疹が出たりして死亡率が20%~50%。
冷戦下の米ソの協力で1980年に撲滅することに成功。
●人類の武器 「手洗い」の歴史
手洗いは感染症と戦う武器だった。
医者が手術の前に手を洗うようになったのは19世紀になってから。
ハンガリーの医師ゼンメルワイスが始めた。
“手洗いの父”と呼ばれている。
当時、手洗い、手洗いをせずに手術を行っていたため術後に感染症で死亡する例が多かった。
ゼンメルワイスは医師が感染症をうつしていると考え、手洗いや爪切りを自身の医療チームに徹底させた。
すると術後の感染症による死者が激減。
現在は「手洗い」が当然の事となっていて、人間の手には約100万ものウイルスが着いているとされるが、流水で15秒手洗いを行うことで約1万に。ハンドソープでのもみ洗いや15秒のすすぎを2度行うことで数個にウイルスを減らすことができるという。
ナイチンゲールが広めた公衆衛生
ゼンメルワイスと関係のないところで公衆衛生の大切さを見つけ、世に広めようとした人がいた。
イギリスの看護婦のナイチンゲールクリミア戦争で看護師として活躍したということで有名。
看護師として従軍したが現地の軍医の方たちに軽視された。
いわゆる女性蔑視。なかなか仕事に入れなかった。
どの部署の管轄でもなかったトイレ掃除などを一生懸命になって行い病院での居場所を確保していった。
仕事ができるようになった彼女は多くの兵士たちが死んでいくのはけがが直接の原因ではなく、ナイチンゲール感染症で死亡する兵士が多いことに着目。
掃除をして部屋の換気を行い、下水処理を行い、シーツを交換、包帯を清潔なものにして病床を徹底的に清潔にした結果、死亡率がグンと下がった。
全体の8分の1まで減ったというデータがある。
その資料をきちんと作ってみんなと共有して検証してということで国にその統計資料を報告。
数字やグラフを武器に国会での説明を行う姿からナイチンゲールへの敬意を持つデータサイエンティストも多いという。
●「結核VS人間」 感染症との闘い
ゼンメルワイスナイチンゲールは不潔ではいけないという取り組みはしたが、本当の敵はまだ見えていなかった。
見えない敵の代表例は結核
結核
結核は9000年前の人骨からもその痕跡が見つかっているといわれている。
日本には弥生時代に稲作が大陸から渡ってくるときに結核も一緒に日本に渡ってきたといわれている。
代表的な肺結核にかかると初期症状は風邪と非常によく似ている。
たんや発熱が長く続くが、やがて呼吸困難に陥っていく。
今でも日本国内で年間約2300人が結核で死亡。
歴史を見ると幕末の沖田総司、5千円札の樋口一葉、作曲家ショパン結核で死亡。
結核にかかると特に女性は、顔が細くなる(美人になる)といわれた。
だから、結核は恋の病などといわれた。
近代細菌学の開祖といわれるドイツの医師ロベルト・コッホ(19~20世紀)は1876年に感染症の原因が病原菌だと突き止める。
研究を始め炭疽菌を見つけ、1882年に結核菌、1884年コレラ菌を発見する。
コッホは美少女の絵を見つけてひと目ぼれをし、17歳の少女を突き止めて結婚をしようとして顕微鏡をプレゼントしてくれた妻と離婚。
コッホによってロベルト・コッホ研究所ができた。
新型コロナウイルスとの闘いでもドイツでは非常に大きな役割を果たしている。
●人類の敵 「エイズ」との闘い
新型コロナウイルスとの闘いで、特にアジア人に対する差別が出てきている。
特に差別と偏見というとエイズが非常に大きな問題だった。
エイズHIV・ヒト免疫不全ウイルスに感染することで発症。
人間が免疫を持っていろんな病原体と闘うその免疫を破壊してしまう。
普段かからないような病気になってどんどん死亡する。
最初の症例報告は1981年。
かつては死の病といわれていた。
しかし、治療薬の開発により感染してもウイルスが体内に入っても発病しないようにすることができるようになった。
世界初のエイズ治療薬を開発したのは、毎年ノーベル賞候補にも名前が挙がっている日本のウイルス学者 満屋裕明さん。
今は国立国際医療研究センター研究所長をしていて、新型コロナと闘う日本の最前線にいる。
エイズ薬を開発したときには米国の国立衛生研究所(NIH)のがん研究所に所属。
世界初のエイズ治療薬AZT・アジドチミジンという薬の開発に成功した。
しかし特許を製薬会社が取ってしまい、製薬会社が高額で売り出した。
満屋はみんなを治したいと思っていたので、新たな薬の開発に取り組み、ddI(ジダノシン)、ddC(ザルシタビン)という新しい治療薬を開発して特許を研究所が取得。
企業にライセンスを与えるときに適正な価格で販売してほしいという条件をつけた。
前に作られた薬も適正な価格で販売せざるを得なくなり、前の価格の3分の1まで引き下げることができた。
2006年にダルナビルという抗HIV薬を作ったが、これは無償で特許を譲渡。
世界でエイズの死者は、最多の2004年に比べて55%も減らすことができた。
池上さんは、人類と感染症の戦いを、先月 番組でやった際に反響が大きかったため、『感染症対人類の世界史』という本が発売されると紹介した。
https://www.tv-asahi.co.jp/scramble/

『人間臨終図巻 下巻』

山田風太郎著 徳間書店
ナイチンゲール (1820-1910) 90歳で死亡。
クリミア戦争に看護婦長として従軍したのをはじめ、赤十字社運動の創造者としてナイチンゲールは、病者や傷者には慈母のごとく、しかし医務関係者には――看護婦から陸軍大臣にいたるまで――恐怖の魔女であった。
痩せてごつごつした身体、薄くそげた鼻、癇(かん)の強い、ひきしまった唇という、典雅で厳格な要望に加えて、スウィフトのように凄烈(せいれつ)な毒舌と告発と嘲罵の化身であった。彼女は「足るを知らず怒(いか)れる者」という綽名(あだな)をつけられた。
老齢が近づき、病身を口実にサウス街の小さな家にひき籠ってからも、彼女はヨーロッパの慈善事業会の隠然たる女王であった。
そのナイチンゲールが、晩年まるまるとふとり出し、少女たちの感傷的なお世辞に涙をながすようになった。87歳のとき、勅命により勲功章がささげられたとき、彼女はすでに老耄(ろうもう)していて、ベッドの枕に身をもたせかけているだけであったが、「ありがたい・・・・ありがたいことだ」と、つぶやいた。
彼女はさらにそれから3年間生きていて、90歳で死んだ。