じじぃの「歴史・思想_458_サピエンスの未来・すべてを進化の相の下に見る」

World Evolutionary Humanism, Eugenics and UNESCO Pt 1

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5nmILo81wvE

ジュリアン・ハクスリー

ウィキペディアWikipedia) より
サー・ジュリアン・ソレル・ハクスリー(Sir Julian Sorell Huxley、1887年6月22日 - 1975年2月14日)は、イギリスの進化生物学者ヒューマニスト、国際間協力の推進者。
自然選択説を強力に擁護し20世紀中盤の 総合進化説の形成を主導した。1935年から1942年までロンドン動物学会の事務局長、1946年から1948年までユネスコの初代事務局長を勤めた。世界自然保護基金の創設メンバーでもある。
ハクスリーは書籍や記事、ラジオ、テレビで科学啓蒙活動を続けたことでよく知られていた。1953年にユネスコから科学普及の功績に対してカリンガ賞を贈られた。1956年にはロンドン王立協会からダーウィンメダルを受賞した。ダーウィンとウォレスが自然選択説を発表してからちょうど100年後の1958年にはロンドン・リンネ学会からダーウィン=ウォレス・メダルが贈られ、同年ナイトに叙された。1959年に人口問題に関する家族計画分野でラスカー財団から特別賞を受賞した。

                    • -

『サピエンスの未来 伝説の東大講義』

立花隆/著 講談社現代新書 2021年発行

はじめに より

この本で言わんとしていることを一言で要約するなら、「すべてを進化の相の下に見よ」ということである。「進化の相の下に見る」とはどういうことかについては、本文で詳しく説明しているが、最初に簡単に解説を付け加えておこう。
世界のすべては進化の過程にある。
    ・
我々はいま確かに進化の産物としてここにいる。そして、我々の未来も進化論的に展開していくのである。
我々がどこから来てどこに行こうとしているのかは、進化論的にしか語ることができない。もちろん、それが具体的にどのようなものになろうとしているのかなどといったことは、まだ語るべくもないが、どのような語りがありうるのかといったら、進化論的に語るしかない。
そして、人類の進化論的未来を語るなら、たかだか数年で世代交代を繰り返している産業社会の企業の未来や商品の未来などとちがって、少なくとも数万年の未来を視野において語らなければならない。人類の歴史を過去にたどるとき、ホモ属という属のレベルの歴史をたどるなら、100万年以上過去にさかのばらねばならない。
    ・
本書では、ジュリアン・ハックスレーやテイヤール・ド・シャルダンといったユニークな思想家の発想を手がかりとして、そこを考えてみたいと思っている。

第1章 すべてを進化の相の下に見る より

世界をダイナミズムの相の下に見る

ぼくがジュリアン・ハックスレーにこだわっているのは、この「人間の現在」という授業でぼくがやろうとしていることが、ハックスレーがここで考えていることと、非常に近いところにあるからです。ハックスレーが何を考えていたかというと、進化という概念を中心にすえてものを見ていくと、この世界が統一的にとらえられる、ということなんです。「この宇宙全体が、単一の進化の課程にある」というのが、彼の基本的な考えなんです。
彼はこういう考えを、論文「2つの文化と教育」(C・P・スノー『2つの文化と科学革命』第3版、松井巻之助訳、みすず書房所収)の他、いろんなところで表明しています。そして、そういうものの見方をさして、「すべてを進化の相の下に見る」見方であるといっています。「進化の相の下に」ということを、ラテン語を使って、”sub specie evolutionis”と表現していますが、これは、哲学史上非常に有名なことばのもじりなんです。何のもじりだかわかりますか? (手をあげた数人の1人に答えさせて)そう、スピノザの「永遠の相の下に(sub specie aeternitatis)」のもじりなんですね。
ぼくは、かつては、スピノザの「永遠の相の下に」という言葉がたいへん好きでして、この現世の下らない皮相の現象界から離れて、もっと本質的な問題を考えたいというときに、よくこの言葉を引用して文章を書いたりしたんですが、最近どうも、この「永遠の相の下に」世界を見る見方は、基本的に誤りであると考えるようになってきたんです。
世界の正しい見方は、時間軸を抜きにして「永遠の相の下に」世界を見、世界の不変性を知ることではなくて、時間軸を入れて、世界が絶えざる変化の状態にあることを知ること、すなわち世界を「ダイナミズムの相の下に」みることではないかと思うようになってきたんです。「人間の現在」は、そういうダイナミズムの中でしかとらえられないということです。進化というのは、時々刻々のダイナミズムの変化の積分みたいなものですから、ハックスレーがいっていることとぼくのいってることの間に基本的なちがいはありません。

人間はこの惑星の未来の進化に関して、すべての責任を負っている

こうして考えてくると(ビッグ・バン理論によれば)、この世界は、創生のはじめから進化の流れの中にあり、それは、さまざまにレベルのちがう相転移の連続だったということもできるわけです。
ジュリアン・ハックスレーがいったように、まさにこの宇宙は、「1つの壮大な進化の流れ」としてあるんです。しかし、ハックスレーがそういったとき、彼がどの程度のことを考えていたかというと、ここに述べたようなところまでは考えていなかったことは明らかです。というのは、その時代、まだ銀河進化などということは知られていなかったし、ビッグ・バン理論もまだ確立されていなかったからです。ビッグ・バン理論の根拠となる背景放射が発見されたのが1964年ですから、彼が論文「2つの文化と教育」を書いた当時は、まだ専門の天文学者といえども、ビッグ・バン説をマユにツバをつけて聞いていたひとが大半で、ビッグ・バンのプロセスの詳細などは、理論的枠組みもまだできていなかったころです。ですから、宇宙全体が1つの進化の流れにあるといいながら、この論文の中で無機的な物質進化の例としてあげているのは、実は、主として地質学の知識に基づいた、地球の地層の変化の話とか、地質的学変化で生まれた鉱物資源の話程度なんですね。あとはもっぱら、生物進化の話と、人間進化の話になっています。
ところが、60年代の後半になると、ハックスレーの宇宙における無機的進化の見方は一変します。宇宙背景放射の発見以後、宇宙そのものがとんでもなく巨大なスケールの進化をとげてきたのだということをみんな認めざるをえなくなり、宇宙進化を語ることが当たり前(とはいっても甲論乙駁の連続)になっていたからです。
「すべてを進化の相の下に見る」というのは、ハックスレーの持論でして、彼は何度か、この論文と似たようなことを別の機会にも述べているのですが、1965年にユネスコ主催で開かれたシンポジウムで語った「科学と綜合」と題するスピーチの内容とくらべてみると、そのちがいに驚かされます。
    ・
この(宇宙進化のなかで)人間進化の側面に関して、先に引用した論文の中で、ハックスレーは次のように述べています。
「我々人間は、宇宙の残りの部分と同じ物質で作られ、同じエネルギーで動かされています。他の生物と同じような遺伝子と酵素のシステムを用いて、自己再生産とメタボリズム(新陳代謝、物質交代)を実現しています。また高次の動物たちは同じような情動、欲求、記憶のメカニズムを持っています。
しかし、それにもかかわらず、人間はやはり特別な動物です。それは特別に発達した脳によって、新しい能力を獲得したからです。――理性的な推進能力、クリエイティブな想像力、概念を駆使する思考能力、言語を使用した高次のコミュニケーション能力、こうしたものによって、人間は新しい進化の方法を獲得しました。それは、お互いの体験の中から有意味で関連性のある部分を抽出し、それを伝えあい、蓄積していくという方法です。それによって人間はこの地球における優先種となりました。人間がいるかぎり、他のいかなる動物も、この地球上で人間をしのぐ優先種となるような進化をとげることはできません。ということは、人間はこの惑星の未来の進化に関して、すべての責任を持っているということでもあるのです」
このことを、我々はいつも頭に置いておかなければならないということです。