82年生まれ、キム・ジヨン
2018年12月15日 愚銀のブログ
『82年生まれ、キム・ジヨン』は問題作だ。韓国における女性差別の実態を告発したフェミニズム小説である。
この小説に描かれたのはごく普通の女性の日常なのに、なぜこんなにも過酷なのか。女性差別と、女性差別に対して寛容な社会、セクハラ犯罪とセクハラに寛容な社会構造を、言葉にできない読者に代わって訴えた小説だ。日本の読者は、これ韓国だけに限った話じゃないと思うだろう。
それに昨今の日本、性差別事件が目立つ。セクシャルハラスメントや性的暴行は止まることがない。未だに戦時性犯罪に対する理解も度し難い。政治家やマスコミによる被害女性に対する誹謗が続いている。
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第5章 韓国女性のいま―男尊女卑は変わるか より
キム・ジヨンとは誰か
2016年、『82年生まれ、キム・ジヨン』という小説が韓国で100万部を超える大ベストセラーとなった。著者は1978年生まれの趙南柱(チョ・ナムジュ)。放送作家を経て、2011年に長編小説『耳をすませば』でデビューした。
本作は、1982年生まれのひとりの韓国人女性の半生をフィクションで描いた作品だが、そのリアリティから多くの読者を得た。18ヵ国・地域で翻訳出版が進んでおり、2018年末に刊行された日本でも15万部を超えるベストセラーになった。
ジヨンという名前は、1982年生まれの女の子の名前でもっとも多かったことから付けられた。つまり、この小説の主人公は、特別でない平凡な、どこにでもいる女性という設定になっている。
ジヨンが生まれた1980年代は、男の子が生まれた病室は歓声と誕生を祝う親族であふれる一方、女の子が生まれた病室はひと気もなく静まりかえっていた。女の子を産んだ母親が、姑や舅の前で罪人のようにうなだれる時代だった。これは第1章で触れたように、のちに男女の著しい人口差となって社会問題化する。
あらすじを簡単に紹介しよう。1982年にジヨンは次女として生まれた瞬間、家族からがぅかりされた。娘より息子が大事にされ優先されることを不満に思いながら成長し、大学卒業後は、女性は抑圧する男性優位の社会でさまざまな不平等に直面する。
結婚して妊娠したが、出産退職を余儀なくされる。
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小説の最後はこう終わる。ある日、精神か病院の女性スタッフがトラブル続きの妊娠で辞職することになった。やれやれと思いながら、担当医は心のなかでこうつぶやく。
「育児の問題を抱えたスタッフはいろいろと難しい。後任は未婚の女性を探さなければ」
結局、女性差別は変わらないのだ、という悲壮感が漂う結末は救いがない。
「やっぱり子どもは産みたくない」
その後、韓国では小説を原作とした同名の映画が製作され、2019年10月下旬に公開された。小説と映画版の最大の違いは、話の結末である。映画版はハッピーエンドとまではいかないまでも、社会とのつながりを取り戻したジヨンの嬉しそうな笑顔で終わる。
ジヨンの成長過程では、男子が優遇され、女の子というだけで差別され傷つけられる場面が幾度となく登場する。
文在寅への疑問符
朴槿恵から大統領選を奪取した文在寅は、現在のところ女性の味方を自称する、もっとも強い力を持つ男性である。フェミニストは、ことあるごとに「性の平等が、民主主義の完成である」とスローガンを掲げ、性差別の是正を政府に要求し続けてきた。人権派弁護士出身で民主化運動の闘士だった文大統領が、こうしたスローガンを意識しないわけがない。ことあるごとに、文在寅大統領は女性の味方であると公言してきた。
スタジオにいる市民からの問いかけに大統領がその場で答える「国民との対話」が、2019年11月19日に生放送で放映された。その際、質問に立った若い女性と大統領の間で次のようなやりとりがみられた。
女性「大統領が『自分はフェミニスト大統領である』と宣言されたことに、とても感銘を受けた。わが国では男女の賃金格差の開きはこの15年間、OECD加盟国のなかで不動の1位だが、この問題をどう解決していくのか」
大統領「現政権は女性差別の解消にばかり格別の関心をみせ、男性が受けている差別には無関心だと反発する人もいるだろう。私が大統領になってから、女性の社会的地位や社会進出は目覚ましく改善された。ただ、経済活動参加率や雇用率、賃金格差、ガラスの天井といった差別が残存しているのは事実だ。さらに関心をもって取り組んでいく」
ここまでは模範解答だとして、文大統領の次の一言で、質問者の顔が一瞬曇った。大統領がこう付け加えたからだ。
「こうした(女性)政策は、少子化問題とも深く関連する。ヨーロッパで出生率の低下が反転した国をみると、女性の雇用率が上がると、出生率が上向くということがわかっているからだ」
文政権がジェンダー問題に熱心に取り込んでいるのは、少子化対策のためだったのか、という疑念を抱かせる場面であった。