【知の旅は終わらない】立花隆著 2020年刊 立花隆の自伝的総括 知の巨人は、データと格闘しながら嗅覚で動いてきた
2020.02.13 yagihiroshi.net
現存する中で、知の巨人は立花隆だと思う。
食らいついて、とことん追いかける生き様も、ダイナミックで羨ましいと思い続けていた。
https://yagihiroshi.net/tachibana-takashi-chinotabi/
『文藝春秋』 2009年10月号
巻頭随筆 「尿道があぶない!」 評論家 立花隆 より
心臓の冠動脈にステントを入れた。ステントというのは、細いステンレスの金網で作られた円筒である。冠動脈が動脈硬化によって狭窄をきたしており、このまま放っておくと遠からず狭心症から心筋梗塞にいたる確率がきわめて高いと診断され、場合によっては突然死にいたる可能性もあると診断されたので、狭窄部分にステントを入れて血流を確保したのである。なにしろ、ただの狭窄ではなかった。造影剤を入れて検査したところ、主な冠動脈3本のうち1本は90%狭窄、もう1本が75%狭窄をきたしているのがわかった。90%狭窄のほうは本当に見るからに細くなっており、かろうじてつながっているという感じだった。何が狭窄を起こしたのか。動脈硬化がもたらした病変部にカルシウムが沈着し、それが石灰化したのだ。石灰化部分はCTで白く映るからそれがハッキリわかった。はじめは心臓にカテーテルを入れての2泊3日の検査入院のつもりだったのに、検査結果がハッキリ出たところで、医者からこの際、一挙にステントを入れる手術までやったほうがいいとすすめられて、そうしたのである。
手術といっても、開胸したわけではない。すべては手首からカテーテルを入れておこなうカテーテル心臓手術なのだ。しかもこの手術、心臓外科が行うのではない。循環器内科で内科医が行う施術である。かっては、心臓の血管に検査用のカテーテルを入れることさえとんでもないことといわれていたのに、いまや、カテーテルの先にバルーンを入れて、通りの悪い血管をふくらませたり、ステントを入れてそれを留置したりといった治療が日常茶飯に行われている。それどころか、ミクロのダイアモンドカッター付きのローターを超高速回転させて石灰化部分を削りとったり、エキシマレーザー光線で焼き切ったりといったことすら行われている。しかもこのカテーテル手術、全身麻酔でなくカテーテルを入れる部分の局所麻酔だけで行われるから、術後の回復が早い。手術の翌日には歩いて退院できる(私もそうだった)。麻酔をしないから、手術の経過を全部知ることができる。私の場合、バルーンを入れて、狭窄部をふくらませるところからはじめるのだが、私の動脈は、相当硬化がすすんでいたそうで、徐々に圧を高めていって、最終的には20気圧以上の圧を加えたので、「そんなに圧を高めて大丈夫か?」とヒヤヒヤした。
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『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』
立花隆/著 文春新書 2020年発行
東京大学で講義を受け持つ
1995年のことですが、東京大学から声がかかって東京大学先端科学技術研究センター客員教授となります。翌96年には東大の教養学部(駒場)に「立花ゼミ」というものができまして、「人間の現在」という講義をうけもつことになります。
どうして学生相手の講義を引き受けたかといいますと、そのときはちょうど50代半ばを過ぎたころだったんですが、自分が死ぬまでに何ができるのか、そういうことがだんだん見えてくるんですね。自分の子どもの未来も意識するし、それまで蓄積してきたものを、ネクスト・ジェネレーションへ継承しなければということが気になってくる。それ以前は、ある意味で自分のことしか考えていなかったということかもしれません。
近現代史をとらえ直してみると、第二次世界大戦の終結まで、日本は歴史の荒波に揉まれつづけてきました。そういう歴史の荒波がすべて終結し、戦後がはじまった時点で僕は5歳です。ちょうど自意識を持ちはじめるころでしょう。1945年に成立したこの戦後システムが、多少の揺れ動きはあっても、基本的には冷戦終結までつづく。進化史でいう断続平衡の「平衡」の時期が半世紀ほどつづきました。
ところが、この平衡が、1989年に起きたベルリンの壁崩壊で破られ、世界の状況は激変して、ふたたびカオス状態の中でシャッフルのし直しが行われた。日本の政治や経済の大変動もその流れで起きているわけです。混乱期というのは、それまでの枠組が一挙に崩れるわけだから、大変なんだけれども、面白いんですね。
混乱期に投げ込まれると、緩やかな平衡進化の間に出来上がっていつの間にか頭にこびりついていた各種固定観念がぶち壊されざるを得ませんそれによって、それまでとはちがう大きな視点でものを見られるようになる。この時期が、僕がちょうど50歳を迎えたころなんです。
そういう時代に直面して気づいたのは、それまで自分ではいろんなものが見えたつもりだったんだけれど、本当の意味では、いろんなことが見えていなかったということなんです。たとえば、同時代人として生きてきた戦後現代史です。
同時代人なのだから、全部わかっていたつもりになって「いたのに、逆に同時代人だからこそ見えていなかったことのほうが多いことに気がつきます。
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20世紀の後半というのは、科学がおそるべく進歩した時代で、生物進化史も、地球史も、宇宙史も、それまでまったく見えなかったものが見えてきて、歴史の大幅な書き換えが進んできた時代です。あらゆる意味で、歴史がより深く、より遠くまで見えるようになってきた。それは人間像、生物像、物質像、社会像のすべてにいてパラダイムの大転換が進んできたことでもある。現代は、人類史上いまだかってない知的大革命の時代なんです。
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どうでもいい、じじぃの日記。
時々、月刊誌『文藝春秋』を買ってきて読む。
毎月、「巻頭随筆」に載っている立花隆さんの随筆を読むのが楽しみだった。
2012年4月号『文藝春秋 NEXT』に、「これからの10年『日本人の底力』立花隆 日本を救う夢の先端技術『SACLA』」が載っていた。
「X線自由電子レーザー、スプリング8、そして『京』、この3つの世界一は3つとも中国が逆立ちしても追いつけない技術だ。3つとも日本の産業に広く開かれている。中国は金儲けと国威発揚には熱心だが、基礎科学では日本にかなわない」
「スプリング8」というのを知ったのは、立花隆さんの本からだった。
立花隆著『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』の最後のページにこんなことが書かれている。
「書き終わる前に寿命が尽きてしまうかもしれません。結局、人間というのは、いろんな仕事をやりかけのままに死ぬのだろうし、僕もおそらくそういう運命を辿るんでしょう。でも『形而上学』のはじめの20行くらいはすでに書いてあるんですよ(笑)」
立花隆さんは今、一番 気になる人なんです。