じじぃの「歴史・思想_437_人新世の資本論・バルセロナの気候非常事態宣言」

11,000 scientists sign declaration of climate emergency

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3SD-Mrv7QLQ

Barcelona declares climate emergency

‘This is not a drill’: Barcelona declares climate emergency

16 January 2020 The Independent
The city of Barcelona has declared a “climate emergency”, setting a new target to cut its greenhouse gas emissions by 50 per cent by 2030 through more than 100 main measures that will also help residents adapt to the impacts of a warming planet.
https://www.independent.co.uk/news/world/europe/barcelona-climate-emergency-ada-colau-spain-a9286756.html

『人新世の「資本論」』

斎藤幸平/著 集英社新書 2020年発行

第8章――気候正義という「梃子(てこ)」 より

マルクスの「レンズ」で読み解く実践

脱成長コミュニズムの種4が世界中で芽吹きつつある。本書の最後に、晩期マルクスの「レンズ」を通して、いくつかの都市の革新的な試みを見ていきたい。本書が発掘したマルクスの新たなレンズを使って見ると、そうした運動や実践のどういった側面をさらに発展させていくべきかが、おのずと浮かび上がってくる。晩期マルクスのおかげで世界は違って見えるものだ。ここにこそ理論の役割がある。
だが、理論家は現場の苦しみや抵抗の試みからも学んでいく。マルクス進歩史観を完全に捨て、脱成長を受け入れるようになった背景には、グローバル・サウス(一般的に経済的により開発が進んでいない国、発展途上国)へのまなざしがあった。そこに真剣なまなざしを向けたことが、彼の価値観を大きく変えたのだ。もしマルクスがヨーロッパ中心主義に固執したままだったら、晩年の認識にたどり着くことは不可能だっただろう。
こうした晩期のマルクスのグローバル・サウスから学ぶ姿勢は、21世紀に、ますます重要性を増している。というのも、資本主義が引き起こす環境危機は、第1章(「気候変動と帝国的生活様式」)でも見たように、転嫁や外部化のせいでグローバル・サウスにおいて、その矛盾が激化しているからである。

自然回帰ではなく、新しい合理性を

ただ、誤解のないように繰り返せば、晩期マルクスの主張は、都市の生活や技術を捨てて、農耕共同社会に戻ろうというものではない。それは、もじはや不可能である。また、その暮らしを理想化する必要もない。彼らの暮らしにもいろいろな問題があるのは自明だろう。一方、都市にも技術発展にも、評価すべき点はたくさんある。その合理性を完全に否定してしまう必要は、もちろんどこにもない。
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つまり、ここで必要なのは、都市という資本が生み出した空間を批判し、新しい都市の合理性を生み出すことである。
幸いにも、合理的でエコロジカルな都市改革の動きが、地方自治体に芽生えつつある。なかでも、世界中から注目お浴びているのが「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」の旗を掲げるスペイン・バルセロナ市とともに闘う各国の自治体である。
最終章では、バルセロナの試みを、晩期マルクスの視点から評価してみたい。そうすることで、バルセロナの革命的意義が、はじめて浮かび上がってくるはずだ。

恐れ知らずの都市・バルセロナの気候非常事態宣言

「フィアレス・シティ」とは、国家が押しつける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体を指す。国家に対しても、グローバル企業に対しても恐れずに、住民のために行動することを目指す都市だ。
Airbnbの営業日数を規制したアムステルダムやパリ、グローバル企業の製品を学校給食から締め出したグルノーブルなど、さまざまな都市の政党や市民団体が「フィアレス・シティ」のネットワークに参加している。ひとつの自治体だけの試みでは、グローバル化した資本主義を変えることはできない。だから、世界中のさまざまな都市や市民が連携し、知恵を交換しながら、新しい社会を作り出そうとしているのだ。
なかでも、最初に「フィアレス・シティ」の旗を立てたバルセロナ市政の取り組みは野心的である。その革新的な姿勢は2020年1月に発表されたバルセロナの「気候非常事態宣言」にも表れている。
この宣言は、「気候変動を止めよう」という薄っぺらいかけ声だけに終わるものではない。2050年までの脱炭素化(二酸化炭素排出量ゼロ)という数値目標をしっかりと掲げ、数十頁に及ぶ分析と行動計画を備えたマニフェストである。大都市とはいえ、首都でもない地方自治体のこの政策策定能力の高さにまずは驚かされる。しかも、宣言は、自治体職員の作文でもなくシンクタンクによる提案書でもない。市民の力の結集なのだ。

気候正義という「梃子」

マルクスが非西欧・前資本主義社会から「脱成長」の理念を採り入れたように、バルセロナはグローバル・サウスから気候正義を取り入れたのだ。それが、あの革新的な気候非常事態宣言へとつながったのである。いわば、バルセロナは気候正義を革命の「梃子」にしようとしている。

なぜ気候正義が、そこまで重要なのだろうか。ここで、第2章(「気候ケインズ主義の限界」)や第5章(「加速主義という現実逃避」)の議論を思い出してほしい。トーマス・フリードマンジュレミー・リフキン、そしてアーロン・バスターニも、持続可能な経済への転換を訴えかけていた。だが、最終的には、経済成長を優先することで、周辺部からの収奪を強化することになってしまっている。
彼らに根本的に欠けているのは、グローバル・サウスへの視点である。いや、より正確にいえば、グローバル・サウスから学ぶ姿勢である。

脱成長を狙うバルセロナ

もちろん、バルセロナも、太陽光発電や電気バスの導入など、大胆なインフラ改革を掲げている。反緊縮政策による財政出動も必要となる。だが、気候正義という観点を踏まえれば、この大改革は、グローバル・サウスの人々や自然環境を犠牲にするものであってはならない。そして、犠牲を生まないためには、資本主義の経済成長に終止符を打つ必要がある。
だからこそ、「緑の経済成長」を掲げる代わりに、バルセロナの宣誓は「恒常的な成長と利潤獲得のための終りなき競争」をはっきりと批判したのである。
要するに、フリードマンらの「グリーン・ニューディール」とバルセロナの「気候非常事態宣言」の違いは、究極的に、「経済成長型」と「脱成長型」の違いである。グローバル・サウスから学ぶ姿勢を取り入れることによってこそ持続可能な将来社会のビジョンはまったく違ったものになるのだ。
このバルセロナのやり方こそ、晩期マルクスと同じ歩みではないか。グローバル・サウスから学びながら、新しい国際的連帯の可能性を切り拓く。そうすることで、経済成長という生産至上主義を捨て、「使用価値」を重視する社会のビジョンが生まれてくるのである。