Marxism and ecology - John Bellamy Foster - Marxism 2011
Anthropocene Marxism
Jun 14, 2018 MR Online
https://mronline.org/2018/06/14/anthropocene-marxism/
名著105「資本論」:100分 de 名著 「資本論 マルクス」
2021年1月25日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光、安部みちこ 【ゲスト講師】斎藤幸平(大阪市立大学経済学部准教授)
●第4回 〈コモン〉の再生
晩年のマルクスは『資本論』全体の構想に再検討を迫るような理論的転換を遂げようとしていた。これまで刊行されてこなかった手紙や研究ノートを読んでいくと,、晩期マルクスが環境問題と前資本主義段階の共同体への関心を深めていったことがうかがえる。
このような読み解きをしていくと、マルクスが最終的に思い描いたコミュニズムは、水、土地、エネルギー、住居など私たちにとっての「コモン(共有財産)」を取り戻すことを目指したものだということがわかるのだ。第4回は、生産力至上主義として批判されてきたマルクスが、気候変動や環境問題といった喫緊の問題を乗り越えるビジョンをもっていたことを『資本論』と晩年の思想を読み解くことで明らかにし、現代社会を生きる我々が何をなすべきかを考える。
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/105_sihonron/index.html
第1章――気候変動と帝国的生活様式 より
ノーベル経済学賞の罪
2018年にノーベル経済学賞を受賞したイェール大学のウィリアム・ノードハウスの専門分野は、気候変動の経済学である。そんな人物がノーベル賞を受賞したのは、気候危機に直面する現代社会にとって素晴らしいことだと思われるかもしれない。だが、一部の環境運動家たちからは、受賞の決定に対して、厳しい批判の声が上がったのだ。どうしてだろうか。
批判の俎上(そじょう)にのせられたのは、ノードハウスが1991年に発表した論文であった。この論文は、ノーベル経済学賞をもたらした一連の研究の端緒になったものである。
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ところが、彼の提唱した二酸化炭素削減率では、地球の平均気温は、2100年までになんと3.5℃も上がってしまう。これは、実質的になにも気候変動対策をしないことが、経済学にとっての最適解だということを意味している。
ちなみに、2016年に発効したパリ協定が目指しているのは2100年までの気温上昇を産業革命以前と比較して、2℃未満(可能であれば、1.5℃未満)に抑え込むことである。
だが、いまや、その2℃目標でさえ非常に危険であると多くの科学者たちが警鐘を鳴らしている。それなのに、ノードハウスのモデルでは、3.5℃も上昇してしまうのである。
もちろん、3.5℃もの気温上昇が起きれば、アフリカやアジアの途上国を中心に壊滅的な被害が及ぶことになる。だが、世界全体のGDP(国内総生産)に対する彼らの寄与は小さい。むろん、農業も深刻なダメージを受けるだろう。しかし、農業が世界のGDPに占める割合は、「わずか」4%である。わずか4%ならば、いいではないか。アフリカやアジアの人々に被害が及ぼうとも――。こうした発想がノーベル経済学賞を受賞した研究の内実である。
マルクスによる環境危機の予言
資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。解決策の代わりに資本主義が提供してきたのは、収奪と負荷の外部化・転嫁ばかりなのだ。矛盾をどこか遠いところへと転嫁し、問題解決の先送りを繰り返してきたのである。
実は、この転嫁による外部性の創出とその問題点を、早くも19世紀半ばに分析していたのが、あのカール・マルクスであった。
マルクスはこう強調していた。資本主義は自らの矛盾を別のところへ転嫁し、不可視化する。だが、その転嫁によって、さらに矛盾が深まっていく泥沼化の惨状が必然的に起こるであろうと。
資本による転嫁の試みは最終的には破綻する。このことが、資本によっては克服不可能な限界になると、マルクスは考えていたのである。
そうした資本主義の限界の所在を突き止めるべく、マルクスを参照しながら、技術的、空間的、時間的という3種類の転嫁について整理しておこう。
【第1~第3の要約】
第1の転嫁方法は、環境危機を技術的発展によって乗り越えようとする方法である。マルクスが扱っているのは農業による土壌疲弊の問題である。(略)技術的転嫁は問題を解決しないのだ。むしろ、技術の濫用によって、矛盾は深まっていくばかりである。
第2の転嫁方法は、空間的転嫁である。この点についても、マルクスは、土壌疲弊との関係で考察している。(略)この事例からもわかるように、矛盾を中核部にとってのみ有利な形で解消する天下の試みは、「生態学的帝国主義」という形を取る。生態学的帝国主義は周辺部からの掠奪に依存し、同時に矛盾を周辺部へと移転するが、まさにその行為によって、原住民の暮らしや、生態系に大きな打撃を与えつつ、矛盾を深めていく。
第3の転嫁方法は、時間的なものである。マルクスが扱っているのは森林の過剰伐採だが、現代において時間的転嫁が最もはっきりと現れているのが、気候変動である。
周辺部の二重の負担
以上(第1~第3)、マルクスにならって、3種類の転嫁を見てきた。このように、資本はさまざまな手段を使って、今後も、否定的帰結を絶えず周辺部へと転嫁していくに違いない。
その結果、周辺部は二重の負担に直面することになる。つまり、生態学的帝国主義の掠奪に苦しんだ後に、さらに、転嫁がもたらす破壊的作用を不平等な形で押しつけられるのである。
例えば、南米チリでは、欧米人の「ヘルシーな食生活」のため、つまり帝国的生活様式のために、輸出向けのアボカドを栽培してきた。「森のバター」とも呼ばれるアボカドの栽培には多量の水が必要となる。また、土壌の養分を食いつくすため、一度アボカドを生産すると、ほかの種類の果物などの栽培は困難になってしまう。チリは自分たちの生活用水や食料生産を犠牲にしてきたのである。
そのチリを大干ばつが襲い、深刻な水不足を招いている。これには気候変動が影響しているといわれている。先に見たように、気候変動は転嫁の帰結だ。そこに、新型コロナウイルスによるパンデミックが追い打ちをかけた。ところが、大干ばつでますます希少となった水は、コロナ対策として手荒いに使われるのではなく、輸出用のアボカド栽培にに使われている。水道が民営化されているせいである。
このように、欧米人の消費主義的ライフスタイルがもたらす気候変動やパンデミックによる被害に、真っ先に晒(さら)されるのは周辺部なのである。
大分岐の時代
このように、外部の消尽によって、危機から目を背けることは、いまやますます困難になっている。もはや「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」と優雅に構えているわけにはいかない。「大洪水」は私たちの「すぐそば」にまで迫って来ているからだ。
気候危機が人類に突きつけているのは、採取主義と外部化に依拠した帝国的生活様式を抜本的に見直さなくてはならないという厳しい現実にほかならない。
だが、転嫁がいよいよ困難であることが判明し、人々のあいだには危機感や不安が生まれると、排外主義的運動が勢力を強めていく。右派ポピュリズムは、気候危機を自らの宣伝に利用し、排外主義的ナショナリズムを煽動(せんどう)するだろう。そして、社会に分断を持ち込むことで、民主主義の危機を深めていく。その結果、権威主義的なリーダーが支配者の地位に就けば、「気候ファシズム」とも呼ぶべき、統治体制が到来しかねない。この危うさについては第3章でも議論したい。
しかし、この危機の瞬間には、好機もあるはずだ。気候危機によって、先進国の人々は自分たちの振る舞いが引き起こした現実を直視せざるを得なくなる。外部性が消尽することで、ついに自分たちも被害者となるからである。その結果、今までの生活様式を改め、より公正な社会を求める要求や行動が、広範な支持を得るようになるかもしれない。