How to Make a Rainbow
The rainbow emoji
How Emotions Are Made: The Theory of Constructed Emotion
APRIL 30, 2019 Forte Labs
Now look at the following picture:
Going back to the first one, you can probably now see a snake:
But what changed? The image is the same as before, but now you have a new concept in your brain. You’ve gained a “conceptual lens” that allows your brain to fill in the information that is missing. This process is so automatic, that you probably can’t go back to how you saw it before, even if you tried.
https://fortelabs.co/blog/how-emotions-are-made/
情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 紀伊国屋書店
【内容説明】
従来の理論を刷新し、人間の本性の見方に新たなパラダイムをもたらす!
幸福、悲しみ、怖れ、驚き、怒り、嫌悪――「脳は反応するのではなく、予測する」
心理学のみならず多くの学問分野を揺さぶる革命的理論を解説するとともに、情動の仕組みを知ることで得られる心身の健康の向上から法制度見直しまで、実践的なアイデアを提案。英語圏で14万部、13ヵ国で刊行の話題の書。
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第5章──概念、目的、言葉 より
虹を観察すると、図5.1の左図のような、はっきりと区分された色彩の縞模様が見える。だが実際には虹は、縞模様を持つわけではなく、右図のような波長および400~750ナノメートルの光の連続的なスペクトルから成る。このスペクトルには、いかなる境界も帯もない。
では、なぜ私たちは虹に縞模様を見るのだろうか? なぜなら、「赤」「オレンジ」「黄」などの色に関する心的概念を持っているからだ。脳は色の概念を用いて、自動的にスペクトルの特定の領域の波長をグループ化し、同じ色として分類する。脳は、おのおのの色のカテゴリー内の変化の種類を少なく見積もり、カテゴリー間の差異を強調する。だから私たちは、虹に色の帯を知覚するのである。
人間の声は連続的な音の流れだが、母語に耳を傾けるときには、そこにはっきりした言葉を聴き取る。どうしてそんなことが起こるのか? ここでもあなたは、概念を用いて、連続的な入力情報を分類している。私たちは乳児の頃から、会話の流れのなかに音素間の境界を明確化する規則を学ぶ。音素とは、ある言語において識別可能な最小の音の断片であり、たとえば英語の「D」や「P」などの音がそれに該当する。このような規則は概念になり、脳はそれを用いて、音の流れを音節や単語へと分類していく。
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分類、文脈、確率などの概念は、いずれもまったく直感に反するように思えるかもしれない。森の散歩中、おどろおどろしいヘビに出くわしたとき、私は「そう。たった今経験している一連の感覚とそれなりに似ている過去の経験をもとに構築されたさまざまな概念の競合を通じて、ヘビの出現を予測していた。それによってヘビの知覚が生み出されたんだ」などと独りごとを言ったりはしない。私は単に「ヘビを見る」。それからおそるおそる回れ右をし、走り出す。その際、「たった今私は、たくさんの予測から情動カテゴリー<怖れ>のインスタンスを絞り込んだ。だから逃げた」などと考えたりはしない。単に怖れを感じて、逃げたいという衝動に駆られただけだ。怖れは、刺激(ヘビ)が小さな爆弾(神経的な指標)の起爆装置のスイッチを入れ、反応(怖れと逃走)を引き起こしたかのように、突然、そして抑えようもなく生じる。
友人とコーヒーを飲みながらこのヘビのはナシをするなら、「私の脳は、過去の経験を用いて現在の状況に合った<怖れ>の概念のインスタンスを生成することで、行く手にヘビが現れれる前に視覚ニューロンの発火パターンを変え、ヘビを見て逆方向に走り出す準備を整えたんだ。そして自分の予測が正しいことが確認されると、感覚刺激が分類され、目的という用語でそのとき覚えた感覚の意味を説明する怖れの経験を構築し、心的推論を行なって怖れの原因をヘビに求め、その結果逃走することを選んだというわけさ」などと言うことはない。ただ「ヘビを見て、悲鳴をあげながら逃げたんだよ」と言うだけだ。
ヘビとの遭遇における何らかの要素が、自分がこの経験全体の構築者だと教えてくれるわけではない。それでも、ぼんやりしたミツバチの写真を見たときと同様、たとえ実感が湧かなくても、私自身がこの経験を構築した建築家なのだ。ヘビに気づく前でさえ、私の脳は、怖れのインスタンスを懸命に生成しようとしていた。私がいつかヘビを飼いたいと思っている8歳の少女だったら、興奮のインスタンスを生成したことだろう。あるいは、その少女の母親で、ヘビを飼うなどもっての他と考えていたなら、苛立ちのインスタンスを生成したに違いない。
「脳の仕事は刺激と反応」という考えは神話であり、脳の仕事は、予測とエラーの訂正である。そして私たちは、自分では気づかぬうちに情動経験を構築している。この説明は、脳の構造と機能に合致する。
簡潔に言えば、私はヘビを見て、しかるのちにそれを分類したのでもなければ、逃げないという衝動に駆られて、しかるのちにそれを分類したのでもない。自分の心臓の鼓動を感じて、次にそれを分類したのでもない。そうではなくヘビを見るために、逃げ出すために、心臓の鼓動を感じるために、さまざまな感覚刺激を分類したのである。私は生じるはずの感覚刺激を正しく予測し、それにあたり「怖れ」の概念のインスタンスを用いて感覚刺激を説明した。情動はこのように作られるのだ。