Do Japanese Want Immigrants in Japan? (Interview)
図録▽OECD諸国の移民人口比率
日本については、外国人登録によれば、外国人人口は2009年末で219万人、1.7%である。
国立社会保障・人口問題研究所の人口移動調査(サンプル調査)によれば外国生まれの人口比率は1.1%である(2006年調査、2011年調査とも同じ値)。日本の場合はいわゆる帰国子女が相当の割合を占めていると考えられる(注)。日本の移民人口比率がいかに欧米諸国と比較して低いかがうかがえよう。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/1170a.html
『2050年 世界人口大減少』
ダリル・ブリッカー、ジョン・イビットソン/著、河合雅司/解説、倉田幸信/訳 文藝春秋 2020年発行
日本とアジア、少子高齢化への解決策はある より
韓国、香港、台湾、シンガポールも
2065年までに日本の人口は8800万人になり、ピーク時の2010年の3分の2強まで減るだろう。日本政府は人口1億人を維持することを公式目標として掲げているが、その実現方法はまだ誰も知らない。若者は仕事と希望を求めて都会に移り、田舎を捨てる。「あまりにも人口が減り、せめてうわべだけでも賑やかにしようと地域住民がマネキンを飾る集落もある」
これは決して日本だけの話ではない。韓国、香港、台湾、シンガポールは1世紀分に相当する経済の近代化を、わずか1世代の間に駆け足で達成した。日本を含めたこの5つの社会はいまや世界でも最も出生率が低い。香港ではついに出生率が1を切ったとする概算もある。(訳注:2018年の韓国の出生率は0.98だったことが2019年2月に判明し、世界の主要メディアがこれを報じた)。経済がまだ完全には成熟していないが発展中という他のアジア諸国も、出生率の低さで先達に迫りつつある。タイは1.4、ベトナムは1.8、マレーシアは2.0だ。アジア太平洋地域の人口大国で、出生率が人口置換水準に近づき、それを下回るという動きが起きていることが、世界的な人口減少の主要因のひとつになっている。
アジアの虎たちはこの20~30年で、世界人口のかなりの部分を極貧状態から引き上げた。これはまさしく奇跡以外のなにものでもない。
誰が彼女たちを責められよう?
このように(勤続年数に応じて給料が上がる仕組み)、給与体系は育児休業する女性を罰する仕組みだし、社会規範は男性があまり家事をしなくても許されるとあっては、きっと日本や韓国の女性たちは専業主婦として家にとどまり子育てに専念しているのだろうと思うかもしれない。だが、彼女たちはそうはしていない。日本人女性と韓国人じょせいの労働参加率は、アジア以外の先進国より低めではあるが、それほど低くはないのだ。日本は49%、韓国は50%だが、米国は56%でドイツは55%である。国からも、雇用主からも、夫からも、ほとんど支援を得られないまま、それでも仕事をしようと心に決めた(おそらくはお金の必要性もあろう)アジア人女性の多くは、時間切れギリギリになるまで出産を先延ばしする。日本人女性の第1子出産時の平均年齢は30歳だ。米国では26歳である。
こうした事実は実際の現場になにをもたらすのか? 厚生労働省の調べでは、日本の2017年の婚姻件数は前年から1万3000減って60万7000組となり、記録を取り始めてから最低となった。また出生数も2年連続して100万人割れとなった。結婚していないカップルが子供を持つ場合や、女性が独りで出産するケースなど、婚外子の見通しについては考える必要もない。アジア社会では非嫡出子を不名誉とする考えがいまだに極めて根強いからだ。
すでに述べたとおり、世界的な都市化の傾向が女性の権利拡大をもたらし、それが出生率の低下につながっている。これは間違いのない事実だ。だが一方で、それぞれの文化はみな独特である。我々は世界を巡り、出生率に影響を与える独自要因が土地ごとにたくさんあることを知った。アジア諸国に共通する特徴のひとつは、男性優位の考え方が残っている点だ。女性は自由に教育を受けられるし、仕事を持つことも何の問題もない。だが、それと同時に女性は当然家のこともすべきだと思われている。そして子供が生まれれば、女性がキャリアを犠牲にして子育てをすべきだと思われている。アジア諸国の女性が子供の数を減らす理由はここにある。誰が彼女たちを責められよう?
移民を受け入れなかった場合の日本の将来
アジア太平洋の一部地域に飛躍的成長をもたらし、かつて想像もしなかった富と安定を人々に与えてくれた”人口ボーナス”は、そろそろ”人口ハンデ”へと変わる。社会の高齢化が進めば医療と年金のコストが増え、従属人口比率は望ましい方向と正反対に働き、若い世代は自分だけでなく両親まで含めた家計の収入を合わせるのに苦労するようになる。
東北大学の研究者は、およそ1750年後に、日本人の最後のひとりが死亡し、国が消滅するだろうと試算した。
もちろん、そんなことは起きない。だが日本人全体が今、ひとつの選択を迫られている。日本社会に移民を受け入れるか、それとも小国として生きるすべを学ぶか、そのどちらかしかない。おそらく日本人は後者を選ぶのではないだろうか。感情を表さずに優雅な冷静さを保ちながら、消えゆく村落や国富の減少を淡々と受け入れるのだ。労働時間は増え、収入は減るだろうが、家族やコミュニケーションから得られる喜びや慰めはなくならない。政府は残された財源を老人の健康や医療ニーズに重点的に振り向け、小中学校や大学は閉鎖されるだろう。無人となった地方のインフラは荒廃するにまかせ、一方で都市部の生活水準は可能な限り維持しようと努めるだろう。人口動態の変化はゆっくりと訪れるので、日本の人々は適応していく時間が十分に残される。なんとかやっていけるだろう。
これが、移民を受け入れなかった場合の日本の未来だ。アジア太平洋の先進国はみなこれと同じ未来が待っている。子供が生まれなければ、高望みのできない時代と折り合いをつけるしかない。増えるものはめったになく、減るものばからになる。
シンガポールの”ナショナル・ナイト”は失敗だった。