じじぃの「歴史・思想_378_物語ベルギーの歴史・はしがき」

Why does Belgium Exist? (Short Animated Documentary)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6eGEX_LTqhQ

Kingdom of Belgium

Kingdom of Belgium

House of Wettin
Historically, Belgium, the Netherlands and Luxembourg were known as the Low Countries, which used to cover a somewhat larger area than the current Benelux group of states.
The region was called Belgica in Latin because of the Roman province Gallia Belgica which covered more or less the same area. From the end of the Middle Ages until the 17th century, it was a prosperous centre of commerce and culture. From the 16th century until the Belgian Revolution in 1830, when Belgium seceded from the Netherlands, many battles between European powers were fought in the area of Belgium, causing it to be dubbed the battleground of Europe, a reputation strengthened by both World Wars.
http://www.almanachdegotha.org/id6.html

『物語ベルギーの歴史 - ヨーロッパの十字路』

松尾秀哉/著 中公新書 2014年発行

はしがき より

ベルギー王国について、日本人はどのようなイメージをもっているだろうか。チョコレートの国としての印象があるかもしれないし、無数の地ビールがある国だと知っている人も多いはずだ。また国際政治に詳しい人は、EUヨーロッパ連合)やNATO北大西洋条約機構)の本部を抱える「ヨーロッパの首都」ブリュッセルを首都とする国として思い浮かべることだろう。
こうしたイメージは、それぞれベルギーを言い表している。ベルギーは、面積が約3万平方キロメートル。日本の関東地方とほぼ同じで、人口は1100万強。つまり東京都の人口と同じくらいの小国である。都市部の人口密度は東京並みに高いが、農村部はそれほどでもない。電車や車から眺めていると、都市境を出てからはのどかな田園風景が続く。
概して夏は涼しく過ごしやすい。夜も9時ごろまで明るい。逆に冬は寒くて雪も多く、日照時間も短くなる。日本で言えば北海道の気候に1番近く、西岸海洋性気候に区分される。冬の天気のいい日には、老若男女を問わず日光浴するのが、ベルギーの人々の習慣になっている。
そのため、ベルギーの人々の生活の様子は、日本人から見るとのんびりしているように映る。夏休みを長くとり、日光浴を楽しむ。夜もゆっくりと遅くまで食事とビールを味わう。時間に追われて生活している人の姿をあまり見かけない。
この一見のんびりしたようにも見えるベルギーが、独立以来もっとも悩まされてきたのは「言語問題」である。この国の北方は、オランダ語を話す人々が暮らすフランデレン(フランス語では「フランドル」。英語では「フランダース」)地方、または南方はフランス語を話す人々が暮らすワロン地方と呼ばれている。さらに人口の0.5%はドイツ語を話す、多言語国家である。多言語国家はヨーロッパでもスイスやスペイン、アメリカ大陸でもカナダなど数多く、それぞれに問題を抱えているが、それはベルギーでも同様である。
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歴史に目を転じると、この地は、西欧は、西欧の中心に位置しているため、独立以前は大国が奪い合いを続けていた。独立は1830年で、まだ西欧では若い国である。かつてローマ帝国支配下にあったとき、この地は「ベルガエ人」が暮らしていたこらから、「ベルギカ州」と呼ばれていた。この「ベルガエ」がベルギーの語源とされる。しかし、その後「ベルギー」の名は西欧史において、独立するまでほとんど目にすることはない。ネーデルランドやフランデレン地方と呼ばれていたのだ。
1830年にベルギーがオランダから独立したとき、かつてその地を統治していた隣国フランスの新聞は、このニュースを「国内事情」の欄で紹介した。また第3代国王アルベール1世の王妃がドイツから嫁いでくると、ドイツの新聞は、「これでドイツはこの地を勢力圏に収めることができた」と報道した。
現在でもフランス人のなかには、自国で意にそぐわない政権が成立すると、「もうベルギーに移住しよう」というジョークが飛んだりする。よく言えばベルギーは「第2の故郷」なのだろう。また、かつての支配国オランダでは、ベルギーのオランダ語を「訛り」と馬鹿にするジョークがある。オランダからすれば「田舎者」というわけだ。
この各国に振り回されてきた小国の国章の中央には、ライオンの絵が描かれている。そう、百獣の王である。在日ベルギー大使館の正面入口にもこの絵が目立つように飾られている。これは、1302年にフランスの侵略を退けた闘いに由来し、その後も侵略者ナポレオンを退けた、1815年のワーテルローの戦いを記念する獅子像に引き継がれてきた。
ナポレオンに限らず、かつてローマ帝国カエサルに一時は侵略を断念させた「勇敢なベルガエの人々」、第二次世界大戦のときアドルフ・ヒトラーの侵攻に徹底抗戦した「ベルギーの戦い」などを誇って、ベルギーの人々は自らの国の歴史を振り返るとき、しばしば「勇敢な」という表現を用いる。西欧の中心であるからこそ、そして大国に振り回されてきたからこそ、都市や地方の自治を誇り、自由を愛して、勇敢な獅子のように戦った歴史があるのだ。