The Humans That Lived Before Us
Basic village society
『言語の起源 人類の最も偉大な発明』
ダニエル・L・エヴェレット/著、松浦俊輔/訳 白揚社 2020年発行
人類、優れた脳を得る より
ヒト族の脳は、サヘラントロプス・チャデンシスから、約20万年前のホモ・サピエンスに至るまで、700万年以上にわたって大きくなり、発達してきた。その成長と発達は今、止まっているように見える。サピエンスが最初にアフリカを出て以降、ホモ属の脳の大きさが変化したという明確な証拠はない。20万年前には、ホモ・サピエンスは、ホモ・エレクトゥスやホモ・ネアンデルターレンシスよりも頭が良かったかもしれないが、証拠の示すところによれば、今日の人類は、アフリカを最初に出たときのサピエンスよりも頭が良いわけではないことになる。それはなぜだろう。これにはさまざまな因子が考えられる。サピエンスが初めて登場したときから、脳が進化するほどの時間が経っていないということかもしれない。20万年というのは進化の歴史から見れば短いということだ。もっとも、ネアンデルターレンシスはハイデルベルゲンシスから、ほんの10万年で分かれたとする説もある。
「大躍進」説という別の見方によれば、この5万年で変化が起きていて、それは芸術の出現と文化進化の躍進によるものだろうとされている。しかしこの考古学的記録における変化が、生物学的進化の結果としか考えられないと言えるほど説得力のある理由はとくにない。文化的発達と新しい経験が徐々に築かれ、最終的にそれ以前の世代からすれば奇跡に見えるような躍進(たとえば、19世紀の産業革命のような)につながったということはありうる。5万年というのは、原理的には少なくとも2つか3つの「大躍進」を生むのには十分な長さの期間だ。では、この20万年の間、脳に有意な変化がないように見えるのはなぜだろう。
もっとも、どうやら人間の脳の発達が止まったらしいことは、まったく恥ずかしいことではない。おそらくこれは、われわれの種が、順調な暮らしを送れているという単純な事実によるものだと思えるからだ。ホモ・サピエンスはこの豊かな惑星を農業や技術によって開発し、それまでの他の種が経験したことのないような生存率と生活の質を享受した。この世が始まって以来、他のどの生物も、人類の先祖でさえ、サピエンスほどの進化の絶頂にあったことはなかった。
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イギリスの人類学者ロビン・ダンバーは、ヒト族の知能を高めた主要な原動力は、社会的複雑さが増したことだと主張する。
ダンバーは、人間の知能の発達を促したのは生態学的変化による問題解決の必要ではなく、知能や脳化の圧力は、人間社会の規模が大きくなったことによるものだと論じる。
人類はより大きく、複雑な集団をつくって暮らすようになった。これは他の霊長類と比べても、大きさと複雑さで上まわっていた。そのダンバーの論旨は、全体としての集団の規模の拡大が緩やかなものであっても、そこから生じる社会的関係の数は指数関数に増えるということと関係している。現存する中で人類に最も近い類縁のチンパンジーは50個体ほどの社会集団で暮らしているが、人間の狩猟採集社会は平均して150人くらいであり、チンパンジーの3倍の規模の集団がもらたすはるかに多くの数の社会関係を把握するため、脳にかかる圧力も巨大になる。社会の個々の成員は脳のニューロンのようなものだ。増えれば増えるほど、その間の接続も増える。言い換えると、少なくともダンバーに従うなら、脳を構成するニューロンどうしの関係が複雑になるのと同じように、構成員の数が等差数列的に増えるとともに関係の数は指数関数的に増え、その関係を把握するために必要とする知的パワーも増すということだ。さらに言い換えれば、集団の大きさを増すと、人間の皮質も大きくなる。
この仮説を支持することとして、ダンバーは、いくつかの種について、皮質の大きさが集団の大きさと相関すると述べている。もちろん、ダンバーの主張はあべこべだとの反論もありうる。もしかしたら、脳が大きくなり知能が増したから、人間どうしの社会関係も増やせたのであって、その逆ではないかもしれない。しかし因果関係は、「脳の大きさ→社会の規模」ではなく、「社会の規模→脳の大きさ」になるというダンバーの方向の可能性が高そうに見える。社会的変化より先に脳に大きくなったのなら、人は人から離れる方を選んだかもしれない。つまり、先に脳が大きくなったとしたら、そこから生まれる社会モデルはいくらもありえただろうということだ。しかし社会の方が先に大きくなれば、それは実際に脳がその新しい関係の規模を把握できるようにする圧力を有していたはずだ。
社会が誘発する知能の成長を求める圧力としては、協力が増えることもある。人間が集団にまとまるにつれて、仕事も一緒に行なうようになった。
最初の集団は、共同作業によって成り立っていた。もちろん、どんな集団の営みでも、自分自身は全力を出さないのに他人の努力の恩恵はまるごと享受する「お荷物」の1人や2人はいる。したがって、集団での関係が効果的に機能するよう、自然淘汰は不正を探知するために、知能が向上するのを促しただろう。
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脳の大きさ、細胞構築、シナプスの複合度、白質、グロリア細胞などの関数としての高い知能に向かって、人類を淘汰したのは何だったのだろう。人間の知能の進化を促した最強の力は、どう見ても、シンボル、文法、音高、ジェスチャーを使って表される、言語と文化の組み合わせだった。こうしたコミュニケーションの方法を使うようになると、人々は一緒に考えられるようになり、身のまわりの世界を知り、その未来の形を予測する互いの能力を高めることができた。サピエンスの先祖の頭を占めるようになった疑問は次のようなことだった。「数秒後にあの動物はどこにいるか」、「あの火はどの方向に燃えひろがるか」、「今度雨が降るのはいつか」、「あの川はどこへ流れ、上流へ行くと何があり、下流へ行くと何があるか」そしてこうしたことを問いながら、自分たちの社会的相互作用を整理し、近親者などの関係者を特定して、認知能力の一般的向上をもたらすために、言語使用が必要になった。