じじぃの「歴史・思想_364_死海文書物語・初期キリスト教との比較」

The Essenes

Esoteric Encyclopedia: The Essenes

The Essene mystics true origins were lost to history, but they are generally believed to have existed in the era encompassing the birth and death of Jesus Christ.
Many have claimed that the biblical Enoch was the founder of the Essene church, as the book of Enoch describes his celestial journey through the heavens, where he is purified and transformed into the archangel Metatron. The Essene’s believed that humans could be purified and transformed into angels, and this commonality leads many to believe that Enoch was the inspiration for the doctrine.
https://www.evolveandascend.com/2019/02/28/esoteric-encyclopedia-the-essenes/

死海文書

2019年02月17日 tableau_in_mind Ⅲ
死海文書(英語: Dead Sea Scrolls)あるいは死海写本は、1947年以降、死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にある遺跡ヒルベト・クムラン(英語版) (Khirbet Qumran) 周辺で発見された972の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。
死海文書の発見場所は1947年当時イギリス委任統治領であったが、現在ではヨルダン川西岸地区に属している。「二十世紀最大の考古学的発見」ともいわれる。なお、広義に死海文書という場合、クムランだけでなく20世紀後半の調査によってマサダやエン・ゲディ近くのナハル・ヘベルの洞窟から見つかった文書断片なども含むので、文書数には幅が生じる。
http://blog.livedoor.jp/tableaui_in_mind2/archives/15322278.html

死海文書 物語: どのように発見され、読まれてきたか』

J.J.コリンズ/著、山吉智久/訳 教文館 2020年発行

死海文書とキリスト教 より

構造の比較

「教師」の運動とイエスの運動は、どちらもユダヤ教の宗派と言い表し得るものである。「教師」の運動の中にも、新しい契約という発想が生まれたが、外に留まる者たちと中にいる者たちとの間に明確な区別があった。イエスの運動は、指導者の生前にはそれほどはっきりとした輪郭は定まっていなかったが、彼の死後に徐々に制度化された。したがって、これら2つの運動をどのように比較するかと問われたのは必然であった。
死海文書の宗派をエッセネ派(パリサイ・サドカイ両派とともに、イエス時代のユダヤ教3大宗派の1つ。儀式的、律法的な清潔を重んじ、独身を守り、農業を中心とする修道院的共同生活を営んだ)と同定し、それと初期キリスト教との関係について古典的な研究は、1958年のフランク・ムーア・クロスによるものである。クロスが主張するに、「エッセネ派は、黙示的なユダヤ教伝統の伝播者であり、少なからず形成者であったことが分かる」(エッセネ派についてのギリシャ語やラテン語の記述はこのことをほとんど語っていないものの、死海文書が発見されるはるか前の19世紀には既にそのように見なされていた)。クロス曰く、「原始教会はある意味で、この共同体が培った黙示的な伝統の継承者である」。初期教会は、エッセネ派と同じく、既に終末のときを生きているという意識を持っている点が独特であった。従って初期教会の「終末論的な存在は」は、王国を予見する共同体の生活であったが、キリスト教に特有な現象ではなく、エッセネ派の共同体という前例があり、どちらも「黙示的な共同体」であった。
死海文書と新約聖書のさまざまな類比は、この共通の終末論的な意識という文脈の中で見なければならない。最も明白だったのは、『ヨハネによる福音書』や『ヨハネの手紙』のおける、「真理の霊と人を惑わす霊」(一ヨハ四6)、「光の子」(ヨハ一二36)、「永遠の命」[ヨハ三15、五24、一ヨハ12、二25など]などの語句である。
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クロスは、2つの運動の組織構造には、この終末論的な意識が反映されていると論じる。彼は最初から、初期教会にはクムラン(死海付近の自然および人工の洞窟群)における祭司たちの支配と同等のものはないと認めつつも、『共同体の規則』(1QS)第八欄1行目で言及される謎の「12人の人々と3人の祭司」は、12使徒に類似するものとみなした。「監察官」(mebaqqerないしpaqid)は、キリスト教の「監督」(episkoposないしbishop)に似るものと考えられた。
クロスによる最も大胆な類比は、「エッセネ派の共同体の中心的な『秘蹟』」、すなわち「洗礼」と「共同の食事」である。「エッセネ派の洗礼」は、「ヨハネのそれと同じようなもの」で、罪の悔い改めと終末的な共同体への受け入れを示していると見なされた。

共通の文脈

死海文書の中に初期キリスト教のまさに原型を見つけようとする多くの野心的な試みが妄想であることが明らかにされてきた一方で、死海文書が多くの点で新約聖書に光を照らすのは間違いない。
この2つの運動は、時間的に重なり合い、文化的な文脈も同じであった。彼らは同じ聖典を使い、しばしばそれらを同じ方法で用いた。死海文書は、当時のすべてのユダヤ人にとっての関心事であった離婚や安息日遵守などの事柄をめぐる議論についての文脈を提供している。クムランで見つかった知恵のテクストは、パウロの手紙に見られるのと同じ形で、肉体と精神を対比している。また別の知恵のテクストには、詳細はかなり異なるものの、「山上の説教」と少なくとも形式のよく似た「幸い」の章句が含まれる。この宗派は他のユダヤ教とは異なる点を示している「トーラーのいくつかの業」についての解説である4QMMT(モーセ律法の解釈、ミクツァト・マアセ・ハトラーを略してMMTと称す)は、パウロが「律法の業」という言葉で表していることの並行として引き合いに出されてきた。メルキゼデクと名付けられた天的な人物についてのある文書は、『ヘブライ人への手紙』の中のメルキゼデクについての謎めいた言葉のおよその背景を提供している。例は他にもたくさんある。しかし、これらのことから新約聖書の著者たちが、クムランで見つかった特定のテクストによる影響を受けた可能性が主張される可能性が主張されることはほぼない。肝心なのはむしろ、両者の運動が同じ文化的、宗教的な伝統を引き継いでおり、彼らの神聖なテクストをしばしば同じ方法で理解していた。またはそれらについて似たような問いが生じていたということである。
しかしながら、2つの運動の様相を見てみると、少なくとも類似点よりも相違点の方が顕著である。クロスが主張したように、いずれの運動もメシア(たち)の到来(または再来)を待望し、この世での行為が次の世における救済あるいは破滅を決定すると信じていた。『戦いの巻物』で構想されている筋書は、『ヨハネの黙示録』のそれとさほど遠くない。どちらも、善の力と悪の力との間の激しい対立と、後者の最終的な破壊を予想している。しかし、2つの運動の中では、救済につながると考えられている行動の類が根本的に異なる。死海文書では、純粋な状態の獲得と維持に重点が置かれており、これは「穴の人々」(1QSa:『会衆規定』、CD:『ダマスコ文書』)と呼ばれる社会の他の部分から自らを分離することによって達成された。イエス、また更にパウロは、それとは対照的に、儀礼法の遵守に重きを置かなかった。イエスによれば、人を汚すのは、人の中に入るものではなく、人の口から出てくるものである(マコ七18以下参照)。そこでパウロは、不浄の世界からの分離とは程遠く、異邦人への宣教を開始した。エッセネ主義とキリスト教は、本質的に同じ環境で起こったにもかかわらず、異なる価値観を持った、異なる運動であった。