じじぃの「歴史・思想_363_死海文書物語・新約聖書との類比」

Remains of part of the main building at Qumran

where some scholars believe the Essenes lived

The Essenes and the origins of Christianity

JULY 13, 2018 The Jerusalem Post
The Essenes were part of an internal struggle within Jewish society at the end of the Second Temple Period.
Their customs and beliefs, their apocalyptic vision and rejection of accepted leadership not only created a rift between them and the rest of Jewish society; they provided elements for the beginning of a new religion.
https://www.jpost.com/jerusalem-report/the-essenes-and-the-origins-of-christianity-562442

死海文書 物語: どのように発見され、読まれてきたか』

J.J.コリンズ/著、山吉智久/訳 教文館 2020年発行

死海文書とキリスト教 より

死海文書は、紀元前後――ナザレのイエスの時代――のユダヤにおいて発見された、ヘブライ語アラム語で書かれた初めての文学集成である。
一般大衆が死海文書に引き付けられたのは、それらにイエスの経歴に関する、2000年近く隠蔽されていた、あるいはおそらく抑圧されていた情報が含まれているかもしれないという期待によるところが多かった。死海文書に携わる学者たちは、発見から10年ほどの間、それらと新約聖書の関連性ばかりに気を取られていた。公式の編集チームからユダヤ人の学者が除外されたことで、この時間の学者たちのバランスが取れていなかったことは間違いないが、これらのテクストが、西洋世界において支配的となった宗教の起源にどのような光を照らすかということに大きな関心が寄せられたのは必然であった。

エスと「教師」、第1局面

死海文書と新約聖書との間の幅広い類比を論じた最初の学者が、アンドレ・デュポン=ソメールである。彼はセム語学において広く知られたフランス人の専門家で、エッセネ派仮説を早い時期に擁護した一人でもあった、1950年5月26日、彼はパリでの「碑文アカデミー」におけるやりとりの中で、キリスト教が大きな成功を収めたエッセネ主義であり、エッセネ主義はキリスト教の先触れであったというエルネスト・ルナン(『イエスの生涯』の著者)の有名な言葉を想起しつつ、次のように述べた。「今日では、新しいテクストのおかげで、紀元前63年における『義の教師』の血で押印されたユダヤ教の新しい契約と、紀元後30年頃のガリラヤにおける『師』の血で押印されたキリスト教の新しい契約との間には、あらゆる側面から関係性が明らかになっている。キリスト教の起源をめぐる歴史には、思いがけない光が照らされれいる」。
デュポン=ソメールの見解は、1947年に発見された最初の死海文書の1つであった預言者ハバククの書のペシュルないし注解の解釈に大きく依存していた。

構造の比較

「教師」の運動とイエスの運動は、どちらもユダヤ教の宗派と言い表し得るものである。「教師」の運動の中にも、新しい契約という発想が生まれたが、外に留まる者たちと中にいる者たちとの間に明確な区別があった。イエスの運動は、指導者の生前にはそれほどはっきりとした輪郭は定まっていなかったが、彼の死後に徐々に制度化された。したがって、これら2つの運動をどのように比較するかと問われたのは必然であった。
死海文書の宗派をエッセネ派(パリサイ・サドカイ両派とともに、イエス時代のユダヤ教3大宗派の1つ。儀式的、律法的な清潔を重んじ、独身を守り、農業を中心とする修道院的共同生活を営んだ)と同定し、それと初期キリスト教との関係について古典的な研究は、1958年のフランク・ムーア・クロスによるものである。クロスが主張するに、「エッセネ派は、黙示的なユダヤ教伝統の伝播者であり、少なからず形成者であったことが分かる」(エッセネ派についてのギリシャ語やラテン語の記述はこのことをほとんど語っていないものの、死海文書が発見されるはるか前の19世紀には既にそのように見なされていた)。クロス曰く、「原始教会はある意味で、この共同体が培った黙示的な伝統の継承者である」。初期教会は、エッセネ派と同じく、既に終末のときを生きているという意識を持っている点が独特であった。従って初期教会の「終末論的な存在は」は、王国を予見する共同体の生活であったが、キリスト教に特有な現象ではなく、エッセネ派の共同体という前例があり、どちらも「黙示的な共同体」であった。
死海文書と新約聖書のさまざまな類比は、この共通の終末論的な意識という文脈の中で見なければならない。最も明白だったのは、『ヨハネによる福音書』や『ヨハネの手紙』のおける、「真理の霊と人を惑わす霊」(一ヨハ四6)、「光の子」(ヨハ一二36)、「永遠の命」[ヨハ三15、五24、一ヨハ12、二25など]などの語句である。
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クロスは、2つの運動の組織構造には、この終末論的な意識が反映されていると論じる。彼は最初から、初期教会にはクムラン(死海付近の自然および人工の洞窟群)における祭司たちの支配と同等のものはないと認めつつも、『共同体の規則』(1QS)第八欄1行目で言及される謎の「12人の人々と3人の祭司」は、12使徒に類似するものとみなした。「監察官」(mebaqqerないしpaqid)は、キリスト教の「監督」(episkoposないしbishop)に似るものと考えられた。
クロスによる最も大胆な類比は、「エッセネ派の共同体の中心的な『秘蹟』」、すなわち「洗礼」と「共同の食事」である。「エッセネ派の洗礼」は、「ヨハネのそれと同じようなもの」で、罪の悔い改めと終末的な共同体への受け入れを示していると見なされた。