じじぃの「歴史・思想_343_エネルギーの世紀・電気自動車」

Inside BYD Head Quarters (Shenzhen): The BYD Story

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PoKngtDz25g

中国の電気自動車

バフェット氏「日本の未来に参画」 5大商社株を取得

2020/8/31 日本経済新聞
著名投資家ウォーレン・バフェット氏率いる米バークシャー・ハザウェイ伊藤忠商事など5大商社株を買った。バークシャーが日本の上場株を本格的に購入するのは初めてとみられる。史上最高値圏にある米国株に比べ、割安な日本株に照準を当てた可能性がある。米国株に偏っていた運用の是正に一歩踏み出した形だ。
海外企業への投資は中国の電気自動車(EV)最大手、比亜迪(BYD)などに限られる。
バークシャーによる日本の上場株の大量保有が明らかになったのは、今回が初めてだ。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63235040R30C20A8I00000/

『探求――エネルギーの世紀(下)』

ダニエル・ヤーギン/著、伏見威蕃/訳 日本経済新聞出版社 2012年発行

遠大な電気自動車実験 より

電気自動車の復活

21世紀にはいると、いくつかの要素が重なり、電気自動車にあらたな生命を吹き込んだ。
自動車の排気ガスによる環境汚染は、ひとびとを苦しめ、つねにアメリカの公共政策の大きな問題だった。その後、メキシコシティや北京のような外国の都市も、おなじ苦難に見舞われ、大気汚染から解放される方法を模索した。そこに、気候変動というあらたな懸念もくわわった。世界的に見て、交通はCO2排出の約17パーセントを占めており、その絶対量は大きく、さらに増える可能性がある。原油価格の上昇も、あらためて注目された。電気自動車は、燃料価格上昇から消費者を護り、原油価格ショックの衝撃を和らげるという見通しを示した。
もうひとつの展開も、力強い支援になった。ハイブリッド車の登場は、自動車所有者の意識に強い影響をあたえた。ハイブリッド車は、バッテリーを使用する自動車を大衆に受け入れさせ、今後は輸送で電気がもっと大きな役割を果たすだろうということを認めさせて、電気自動車への橋渡し役をつとめた。
こういった要素が重なって、電気自動車は自動車博物館から出て、街路に戻った。1世紀前とは異なり、現在では電気を使う車はおもに2種類ある。ひとつはトーマス・エジソンが軌道に乗せようとしたものの直系で、バッテリーのみを使う純然たる電気自動車である。電気モーターだけで走り、ソケットにプラグを差して充電する。だが、現在ではもう1種類、プラグイン・ハイブリッド電気自動車(PHEV)という変種がある。ハイブリッド車の直系の子孫ではあるが、プリウス式のハイブリッドよりも、電気自動車に近い造りになっている。第1のエネルギー源は電気なので、”プラグを差す”。しかし、一定の距離を電気で走ると、あとは内臨機関が取って代わり、バッテリーに充電するか、あるいはじかに駆動して車を走らせる。あるいはそのふたつを同時にやる。
プラグインハイブリッド車の研究と実験は、何十年もつづけられていたが、ほとんど注目されていなかった。それが変ったのは2007年で、GMがシボレー・ボルトというPHEVを、デトロイト自動車ショーでスポーティなコンセプトカーとして発表した。この目につくデビューはかなり注目を集め、熱狂を引き起こしたので、GMはボルトの生産に踏み切った。1年とたたないうちに、ボルトはバイオ燃料から電気自動車への移行を象徴する存在になった。
2008年の大統領選挙の時期、ある政治評論家がいった。「デトロイトプラグインハイブリッド車、シボレー・ボルトは、アメリカ大統領選挙の支柱として絶対に欠かせない」GMは破滅的な経済問題をかかえていたが、バラク・オバマジョン・マケインも、必死でボルトにすり寄ろうとした。マケインは誇らしげに、「いまや世界の視線はボルトに集まっている」と宣言した。いっぽうオバマは、2015年までにプラグインハイブリッド車100万台が道路を走るようにする、と選挙運動中に約束した。

アジアが最初?

中国政府は、経済発展の戦略的分野7つのひとつとして、”新エネルギー車”を類別している。電気自動車購入が実現しやすく、魅力的になるように、かなりの額の助成金でこの取り組みを支えている。さらに、中央政府も地方政府も、電気自動車を公用車として、調達するプログラムを設けて、電気自動車を確立しようとしている。
国の役割はアメリカよりも中国のほうが突出しているが、国際的にもっとも知られている中国の電気自動車メーカーは、BYD(比亜迪汽車)という民間企業だ。BYDは1995年に、地方の電池メーカーとして設立された。創業者は29歳の化学を専攻する大学院生、王伝福だった。最初はニッカド電池を製造し、三洋やソニーと競争するために、その後リチウム系の電池製造に転じた。創業からわずか7年後の2002年には、携帯電話用充電池のメーカーとして、世界第4位以内にのしあがっていた。王は中国で”電池王”と誉めそやされた。コストで日本のメーカーに勝るBYDは、技術力への飽くなき集中で、この卓越した地位を得た。王の言葉によれば、「試行錯誤の連続だった」という。「中国では、私の世代は生活よりも仕事を重視する」とも述べている。
2003年、BYDは倒産した国有自動車会社を買収した。2008年には、中国でもっとも販売台数の多い乗用車を製造していた。その年、ウォーレン・バフェットが、BYDの株10パーセントを2億3000万ドルで買った。BYDは世界初の大量生産プラグインハイブリッド車と称する車の販売を開始したが、販売台数はごく少数だった。2年後、電池で成し遂げたように、中国市場だけではなくグローバル市場も征服する目的で、純電気自動車を発表した。2011年には、アメリカ市場に出すために監督機関の審査を受け、なおかつネブラスカ州オマハでひらかれるウォーレン・バフェットバークシャー・ハザウェイの年次総会で展示するために、F3DMプラグインハイブリッド車アメリカに送り込んだ。