じじぃの「歴史・思想_337_エネルギーの世紀・LNG・シェール革命」

Graph showing petroleum production by country in 1980 and 2015

Fact #965: February 20, 2017 The United States Produced More Petroleum than Any Other Country in 2015

Department of Energy
World petroleum production was 96 million barrels per day (mmbd) in 2015 and the United States produced more than any other country. In 1980, the United States was the second highest producer in the world, just behind the former Union of Soviet Socialist Republics (USSR).
https://www.energy.gov/eere/vehicles/fact-965-february-20-2017-united-states-produced-more-petroleum-any-other-country-2015

『探求――エネルギーの世紀(上)』

ダニエル・ヤーギン/著、伏見威蕃/訳 日本経済新聞出版社 2012年発行

天然ガス革命 より

ブレークスルー

水圧破砕もしくは水圧フラクチャリングと呼ばれる技術が最初に使用されたのは、1940年代末だった。高圧をかけた水に砂と少々の化学物質を混ぜて頁岩(けつがん)層に送り込む。地中の岩盤が割れ、閉じ込められていた天然ガス(あるいは石油)の逃げ道ができて、抗井へと流れ出す。
ミッチェル・エナジーは、水圧破砕をまったく異なる方法論でずっと実験していた。1998年末、同社はついにブレークスルーを達成した。水圧破砕技術の応用で、シェールロックからガスを放り出すことに成功したのだ――この技術はライトサンド・フラシング(LSF)と呼ばれる。「実地に成否をたしかめるという手法で、ミッチェル・エナジーは大きな成果をあげた」と、ダン・スチュワードはいう。
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そんなわけで、シェールガスは商業生産が可能になり、大量に流通しはじめた。水圧破砕と水平抗井掘削技術の進歩により、非在来型天然ガス革命と呼ばれるものが一気にひろがった。
起業家精神の旺盛な独立系の石油・天然ガス会社が、そのテクノロジーに飛びつき、急いで他の地域でも駆使しはじめた――ルイジアナアーカンソーオクラホマ、さらに、ニューヨーク州西部からペンシルベニアを経てウエスバージニアに至る、”偉大なマーセラス”頁岩でも。

グローバル・ガス

これまでのところ、シェールガスが大量に生産されているのは北米だけの現象だが、それがすでにグローバルなガス・ビジネスの力関係を変えている。この新供給源の登場と、LNG液化天然ガス)の急増が、偶然にも重なった。2010年、カタールLNG生産能力が7700万トンに達した。――世界の生産の28パーセントに当たる。オーストラリアもLNGの大手として登場し、カタールに次ぐ第2位になり、さらに拡大をつづけている。しかも、アジアに供給するのにうってつけの場所にある。2004年から2012年にかけて、世界のLNG生産能力は倍増する見通しだ。つまり、LNG開発の最初の40年間における成果が、その8年のあいだにふたたび成し遂げられることになる。だが、その急速な増加を推進し、下支えしてきた前提が、いまではゆらいでいる。これまでは、アメリカは国内の供給が減るために大きな市場になるものと思われていたが、ほとんどとるにたらない市場になってしまった。
そのため、大量のLNGが、文字どおり海に出て市場を探さなければならなくなった。成長するアジアが、数年前のおおかたの予想をはるかに超える量を吸収してくれた。しかし、すべてを呑み込むのはとうてい無理だ。そんなわけで、いまや世界一競争の激しい市場になったヨーロッパが、直接の影響を受けた。ふんだんに手にはいるLNGがスポットで売られ、20年契約でもっと高い原油を指標としているパイプライン・ガスからシェアをむしり取った。

「友だちに傷つけられた」

1980年代、西シベリアでの大規模な発見により、ソ連アメリカを抜いて世界最大のガス生産国になった。当然ながら、この膨大な供給増もより、西欧へのガス輸出の拡大に弾みがついた。
ソ連とヨーロッパ諸国は、西シベリアの広大なウレンゴイ・ガス田から、全長6000キロメートルのあらたなパイプラインの建設を計画しはじめた。しかし、建設の着手する前に、西欧諸国のあいだに修復しはたい決裂が生じた、それが予兆となり、ヨーロッパに天然ガス供給に関する地政学上の意見の相違は、こんにちまでつづいている。
当時のレーガン政権は、東西陣営間の天然ガス貿易が増大する見通しに警戒した。それなでずっと、レーガン政権は、ソ連の軍事拡大に対抗し、大規模な軍備増強を行なっていた。天然ガス輸出で得る国際通貨が大幅に増えて、それがソ連軍事産業に注ぎ込まれるなど、もってのほかだった。また、ソ連天然ガスへの依存が強まれば、西欧各国の立場が弱まる。
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1982年末には、ひとつの解決策が生まれた。西欧諸国は、ソ連への依存の”懸命な”レベルを判断するために、問題をきわめて真摯に”研究する”ことになった。かなりの議論の末に、25パーセントという依存率のガイドラインが決まった。たまたまその数字は、新パイプラインもくわえたソ連からのガス供給を上まわっていた。天然ガスをあらたな大供給源から得ることも合意された。ノルウエーのトロール・ガス田から、ヨーロッパ市場に天然ガスが流れ込みはじめた。

未来の燃料

天然ガスは未来の燃料である。世界の消費は、この30年のあいだに3倍になり、今後20年のあいだに需要はさらに50パーセントと増加する可能性がある。

エネルギー市場における天然ガスのシェアも増大している。エネルギー換算でかつての石油のわずか45パーセントだったが、現在では約70パーセントである。理由ははっきりしている。比較的低炭素の資源だからだ。それはまた、扱いやすい燃料として電力で大きな役割を果たしている――それ自身の特性もあるが、より信頼性が高く、効率的で、なんといっても必要な、再生可能エネルギーの補完物でもある。在来型天然ガスの採掘、長距離パイプラインの輸送、LNG生産の拡大、そして最近の非在来型天然ガスなどのすべてで、テクノロジーの進歩により、ますます手に入れやすくなっている。
数年前には、主にLNGの急速な成長に焦点が絞られていた。その成長とともに、本格的な世界ガス市場ができつつあり、そこでは供給がさまざまな市場へと容易に移され、価格が収斂するだろうという見通しが、世界全体にひろがっていた。シェールガスの出現は、当面、その想定を否定することになった。しかし、北米におけるこの新資源の登場は、ガス市場が結局グローバル化していることを示し、予想された形でではないが、たしかに世界中に影響を及ばした。