じじぃの「歴史・思想_333_ユダヤ人の歴史・さまよえるユダヤ人・アハシュエロス」

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アハシュエロス コトバンク より

【さまよえるユダヤ人】
ヨーロッパの伝説に語られる永遠に呪われた放浪者。
中世末期に広まった伝説によれば、十字架を担って刑場におもむくキリストがアハスエルス(アハシュエロス)Ahasuerusなる靴屋の家の前で休息をもとめたとき、彼はこれを拒絶した。そのときキリストは〈汝、我の来たるを待て〉と答えて立ち去り、それ以後アハスエルスは故郷と安息とを失い、〈最後の審判〉の日まで地上をさまよう運命を負わされたという。

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ユダヤ人の歴史〈上巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

放浪者アハシュエロス より

1492年にスペインから、1497年にポルトガルからユダヤ人が追放され、スファラド系の大離散が始まった。難民となったユダヤ人がある地域に大挙して押し寄せると、そこでも排斥運動が起こり、いたるところでユダヤ人人口の流動化を招いた。すでにユダヤ人を追い出した町へは足を踏み入れることすら許されず、衣食にも事欠く多くのユダヤ人は行商に頼るしかなかった。この頃「彷徨(さまよ)えるユダヤ人」の伝説ができあがっているが、偶然の一致ではない。これはイエス・キリスト受難のときに、ヴィア・ドロローサでキリストを打った罰として、再臨のときまで放浪する運命になったユダヤ人の伝説で、1223年のボローニャ年代記に最初に登場する。その5年後にウェンドーヴァーのロジャーが著した『歴史の華』にも同じ話が収録されている。
しかし、放浪者の名がアハシュエロスになり、年老いて、髭を生やし、ぼろをまとい、悲しそうで、災いをもたらすユダヤ人の行商人という原型が定着したのは16世紀初頭のことであった。シュレスヴィヒの司教は1542年にハンブルグのとある教会でアハシュエロスを見たと言っている。似たような民話は何百もあって、印刷物まで出回っていた。それらによれば、アハシュエロスは1603年にはリューベクで、1604年にはパリで、1640年にはブリュッセルで、1642年にはライプチヒで、1721年にはミュンヘンで、1818年にはロンドンで目撃されている。アハシュエロスを題材にした文献も数多く残っている。実際に放浪生活を送るユダヤ人は無数に存在した。かつてアブラハムは「よそ者の寄留者」と呼ばれたが、ルネサンス期以降ユダヤ人は再度同じ苦境に立たされたのである。
そのような放浪者の一人にシュロモ・イブン・ヴェルガ(1450~1525年頃)がいる。イブン・ヴェルガはマラガに生まれたが、スペイン、次いでポルトガルを追われ、1506年にイタリアに辿り着き、そこを放浪した。最終的にどこに腰を落ち着けたのかは不明であるが、しばらくローマにいたことはわかっている。ローマでは『シュヴェト・イェフダ』(イェフダの血統)という書物を書き、人はなぜユダヤ人を嫌うのかという問いを発している。1400年前にヨセフスが『ユダヤ古代史』を書いて以来、ユダヤ史と呼べる著作はなかったが、『シュヴェト・イェフダ』には64件におよぶユダヤ人の迫害が書き記されており、ユダヤ史と呼ぶに値する内容をもっている。これはかすかながらユダヤ人に歴史的意識が戻ってきたしるしであった。
イブン・ヴェルガは存命中に著書を出版することができず、1554年頃にようやくトルコで初版が出ている。これは、当時のヨーロッパ・キリスト教世界においてユダヤ人がいかに厳しい境遇に置かれていたかを物語る事例に他ならない。しかし同時に彼はルネサンスの人間だけあって、合理的な物の考え方、何でも疑ってみる心、そして自由な精神の持ち主であった。タルムードを槍玉にあげ、マイモニデスを笑いものにし、イェフダ・ハレヴィの見解をパロディーに仕立て、架空の対話を使ってユダヤの学問の成果をこきおろした。いわく、ユダヤ人には虐(しいた)げられても自業自得だと言える面がおおいにある。自尊心が高い反面、受け身で神を簡単に信じすぎる。希望に満ちているのはいいが、従順すぎる。政治と軍事をおろそかにしてきたため、「輪をかけて無防備」である。ユダヤ教徒キリスト教徒も他の宗教は認めないが、迷信や伝説は黙認してきた。キリスト教徒に寛容さがないとするなら、ユダヤ教徒には順応性がないと言えるだろう、と。
イブン・ヴェルガによれば、概して「スペインとフランスの王、貴族、学者、高位の人たちはみなユダヤ人に対して好意的で」、偏見をもっていたのは主に無学で教養がなく貧しい人々だったという。彼は賢者の口を借りて次のようにも言っている。「わたしは良識ある人物がユダヤ人を毛嫌いするのを見たことがない。ユダヤ人を毛嫌いするのはもっぱら庶民である。これには理由がある。ユダヤ人は尊大で、常に優位に立とうとする。町から町へと追放されたり、奴隷に身を落とした者にはとても見えない。むしろ、支配者か君主のような顔をしている。ゆえに、庶民はユダヤ人をねたむのである」。ユダヤ人が腰を低くして控えめにふるまい、宗教面で寛容と理解を訴えれば偏見をなくすこともできたはずなのに、そうしなかったのはなぜだろうか。